―邪炎竜―
「――だから私は、今ここに生きている」
ザンが語る過去の物語は、5分ほどで終わった。
かなり端折った部分もあるようだが、それでもカードから受けたダメージを癒やす時間としては十分な時間を稼げただろう。
「なるほどな……。
邪竜王様の呪いを受けて、生き残れるはずが無いとは思っておったが……。
まさか下賤な人間の血で、生き残ることになろうとはのぉ……」
「下賤……だと?」
カードの言葉に、ザンは怒りで顔を引き攣らせた。
「おや? 気に障ったかね。
しかし我らにしてみれば、人間なんぞ永い退屈な時を紛らわす為の玩具……。
謂わば単なる嗜好品にすぎぬわ……!」
カードはそう言い放ち、甲高い笑い声をあげた。
(な、なんて奴だ……!)
物陰からザンとカードの会話を聞いていたルーフは、カードのあまりの物言いに激しい怒りを覚えた。
……が、それは行動には繋がらない。
彼はカードが発する明らかに人間のものとは異質な気配に、身を竦ませていたのだ。
また、ザンから発せられる強い殺気も恐ろしい。
──恐ろしいが、不思議と彼女の顔から、視線を逸らすことができなかった。
(……さっきの話って、本当なのかな……?)
先ほどまでザンが語っていた話の内容が本当なのだとすれば、彼女の人間離れした強さも納得できる。
だが、それでは邪竜大戦が終結した200年前という、気が遠くなるような過去から現在までの間、彼女は邪竜を憎み、そして戦ってきたことになる。
ルーフにはそれが信じられなかった。
もしも自身が同じ立場ならば――いや、大切な家族を理不尽に奪われたという点においては、全く同じ立場だ。
そんな彼でさえ、それだけの長い年月の間、何かを憎み続けられるとは思えなかった。
まず精神が耐えられないだろう。
ルーフは父が死んだ時、カードや竜に復讐できる力が欲しいと思った。
しかし今のザンの姿を見ていると、そんな力が無かったことは、むしろ幸いだったのではないかと思えてくる。
事実、ザンに戦う力なんてものが無かったとしたら、彼女は復讐という手段など選ばなかっただろう。
ルーフがそうであったように、激しい怒りを心の内に抱えつつも、現実との折り合いをつけて結局は普通の生活を送っていたに違いない。
たとえ復讐の道を選んだとしても、ただの人間ならば志半ばで倒れていたはずだ。
それは妥協であり、悲劇でもあるだろう。
だが何かを延々と憎み続けるよりは、余程いいのかもしれない。
しかしザンには力があったが為に、復讐という道を選び、200年もの年月を戦いに費やしてきた。
それはある意味、地獄の責め苦なのかもしれない。
だが、ザンの心から憎悪の炎が消えない限りは、彼女はあえてその地獄の中に自らを留め続ける。
これからも未来永劫──。
(なんだかあの人、可哀相だ……)
そんなルーフの想いをザンが知れば、「同情や哀れみなど欲しくない」と怒り狂ったかもしれないが、それでもそう思わずにはいられなかった。
一方ザンは、カードへと殺気のこもった視線を向け続けていた。
ところが、彼女は唐突に笑みを浮かべた。
ただ、笑みとはいっても目は笑っていない。
それは鬼気をふくんだ冷笑だった。
「……そうかい。
なら、あんたにはその下賤な人間の血を引く私に倒されるという、屈辱を味わわせてやるよ。
だからさっさと正体を見せな!」
まるでザンは、ようやく出会えた宿敵を前にして、喜びを感じているかのようであった。
いや、まさにそうなのであろう。
今、自身の目の前にいる者は、捜し続けて来た本当の敵に違いないという確信が、彼女にはあった。
だから彼女は嗤う
「ふん……。
少しばかり斬竜剣士の血を引いた人間が、つけあがりおって!
貴様如きにこの儂は倒せぬ!」
次の瞬間、カードの身体が膨脹し始めた。
着込んでいた衣類は破れ散り、その下から赤黒い肌を持つ肉体が現れる。
元が枯れ枝のような老人だったとは思えぬような、筋肉質の身体であった。
その変化は、身体の巨大化だけには留まらない。
まず、白髪だったはずの髪も獅子の鬣の如く逆立った黒髪となり、瞳の色も黒から毒々しいまでに鮮やかな黄色へと変色した。
そして耳まで裂けようかというほど広がった口腔には、鋭く大きな牙が並び、とりわけ犬歯は口の開閉を阻害するほど異様な大きさだ。
また、額からは、ねじ曲がった一対の角が突き出し、更に肩や肘からも角のような物体が突き出している。
背からは鯨の鰭を連想させるような一対の翼が生え、下半身は四足歩行型の竜のそれに変じていく。
つまり足がもう一組増え、尾も生えたたのだ。
カードはわずか1分にも満たない時間で、凄まじいまでの変貌を遂げた。
最早老人であった頃の面影は殆ど見られず、精々顎髭が残るくらいだ。
それどころかその姿は、最早竜ですらない。
全体的なシルエットは、半人半馬の魔物・ケンタウロスに近いのかもしれないが、そんな生やさしい存在では決して無い。
少なくとも上半身のそれは、悪魔と呼ぶのが最も適切であろう。
その上で竜の下半身である。
これは、魔界に潜む邪悪な怪物としか言いようのない姿だ。
その変化の過程を目の当たりにしていなければ、とてもカードと同一の存在であったとは、誰も信じなかったに違いない。
そんなカードの変化に、ファーブは唸る。
「……これほどまでに肉体を変形させる竜は、滅多に見ないな。
だが、それだけ巨大な力を持つ証拠だ……!」
竜は瞬時に傷を再生してしまうなどの、特殊な肉体制御能力を持つ者が多い。
中には細胞単位で自身の肉体を操り、その姿を別の生物へと変貌させる者さえ存在する。
しかし細胞を操る能力は、当然ながら誰しもが簡単にできることではなく、よほど肉体の操作に長けた者でなければ、不可能な業だ。
しかも竜から人間へと、全く質量の違うものへの変化は、通常では有りえない。
細胞の、あるいは分子の密度さえも圧縮するという、凄まじく高度な技術が必要であり、それが可能なのはおそらく竜という種の中でも、十指もあれば数えるのに事足りるかもしれない。
そのことを鑑みれば、今ザン達の目の前にいる者は、並の肉体制御能力の持ち主ではないことが一目で分かった。
肉体の制御能力が長けているということは、そのまま運動能力が――つまりは戦闘力が高いことを物語っている。
その巨体は火炎竜であるブロッザムよりも若干小さいが、その引き締まった筋肉の量を見る限り、重量ではこちらの方が明らかに勝っている。
その超重量を伴って繰り出される攻撃の威力がどれほどのものになるのか、それはザンでさえもはかりかねた。
カードの正体は、間違い無くブロッザムをはるかに超越した竜であることは間違いない。
そう、それはつまり――
「しかもこいつは……邪竜王の側近、四天王にも数えられたほどの邪竜……ヴリトラ!」
ファーブの言葉は、緊張に満ちていた。
(ああ……こいつがか。
200年前にも遠見の水晶でも見たっけ……)
ザンは宿敵とも言える存在を目の前にして、凄絶な笑みを浮かべた。
この200年間、世界中を旅してなお見つけることができなかった存在に、ようやく巡り会えたのだ。
その喜びは、他者には計り知れないだろう。
これでようやく、振り上げた拳を振り下ろすことができる。
ここからが、復讐の本番だった。
火の四天王担当ヴリトラ。元ネタの神話では「暴風雨」の象徴であるともされているのですが、他にも「乾期」の象徴だったり、「火の中から生まれた」という記述もある為、本作では火の属性の竜であると設定しました。
実は神話や伝承の中に書かれている竜の中には、火と強い関連性がある存在は少なくて(口から炎を吐く者すら殆どいない。いてもボスキャラの格が無い)、火の四天王の選出には苦労しました。ヴリトラ以外にもう1つ候補はあったのだけど、そちらは別の形で登場させます。




