―奔る紅蓮―
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フラウヒルデは更に、リチャードの刃を押し返す。
いや、それだけではない。
焔天の刃はリチャードの刃を、浅くではあるが確かに斬り裂き始めた。
刃が刃を斬るとは、信じがたい斬れ味である。
「ガキがぁっ!」
だが、リチャードも並ではない。
その斬り裂かれた箇所を瞬時に再生し、更に今まで右腕だけでフラウヒルデを押さえ込んでいたところに、更に左腕の刃も加えて、焔天の刃を押し戻した。
「く……っ!」
彼の竜にも匹敵する筋力をもってすれば、このまま力のみでフラウヒルデを再び地に叩きつけることも不可能ではなかろう。
いや、それができて当たり前だった。
しかし、フラウヒルデとて一歩も引かなかった。
筋力ではリチャードよりもはるかに劣っているはずなのに──しかも満身創痍とも言える身体の状態なのに、それでも彼女の掲げる焔天はリチャードの刃に押し切られることはなかった。
無論、この状況が長引けば、フラウヒルデは糸の切れた操り人形の如く、唐突に力尽きることは疑いようもなかった。
それほどまでに彼女の負った傷は深い。
ただ精神力によって、限界以上の力を引き出しているに過ぎないのだ。
それでもフラウヒルデは、一歩たりとも引かない。
焔天の刃が高熱を発し、紅く輝く。
リチャードがいかに再生力を駆使しようとも、その部分を次から次へと焼き尽くしてゆくのだ。
もっともリチャードも、絶え間なく再生を繰り返している為に、それ以上焼き進むには至ってはいなかったが、焔天が発する熱は徐々に高くなっているようでもあった。
(……なるほど、焔天の神髄は熱で焼き斬るという訳か。
この熱を極限にまで高めることができれば……あるいは鋼鉄すらも溶かし斬る!)
焔天の制作者であるバルカンが「この世のあらゆるものを斬ることが可能」と語る真相は、そこにあるのかもしれない。
フラウヒルデは確かな手応えを得て、焔天へと更に闘気を注ぎ込んだ。
「お……おのれ!」
一方、リチャードは焦燥感を強めていた。
今は拮抗状態の力の競り合いも、いずれは彼が勝つ。
それは間違いない。
しかしそれでも、一歩も引く気配を見せないフラウヒルデの姿を見ていると、このままでは彼の優勢が逆転するのではないかという不安を持たずにはいられなかった。
また、更に激しく燃える焔天の存在も無視できない。
それに自身が竜の血に操られているという、フラウヒルデの指摘が彼の心を揺さぶった。
今となってみれば、自分は本当にこの戦いを望んでいたのだろうか。
何故、このような小娘に命を脅かされるような状況に、身を置かなければならないのか。
こんな割の合わない戦いをすることに、何の意味があるのか――リチャードにはその答えを得ることができなかった。
だから、リチャードは自身の力を信じ切れなかった。
それでいて、竜の能力を過信していた。
「死ねぇっ!」
リチャードの両肩に、再び瞳が浮き出た。
おそらくその瞳は次の瞬間に、フラウヒルデへ向けて光線を撃ち放ち、それでこの戦いは決着するはずだった。
だが――、
「馬鹿めっ!
それを予測していないと思ったかっ!」
「ガアっ!?」
フラウヒルデが未だに右手に携えていた、光烈武剣が眩い光を放つ。
リチャードが今まさに光線を撃ち放とうとしていた瞳は元より、彼の元々持つ両目は至近距離から受けた閃光に網膜を焼かれ、突然に視力を失った。
結果、彼の身体から思わず力が抜ける。
「フラウ!」
「フラウヒルデ様っ!」
アイゼルンデとメリジューヌの声援が、今まさにフラウヒルデにとって唯一の勝機だということを彼女に伝えている。
それはフラウヒルデも承知の上だが、彼女達の存在が――守るべきものが、更なる力を与えていた。
「私と貴様とでは……覚悟も……背負う物も違うっ!!」
フラウヒルデは深手を負い、ロクに動かないはずの右手を振り上げた。
肩口の傷から更に勢いよく血が噴き出すが、彼女自身はそんなことを気にしている余裕は無い。
いや、この最後の一撃に全てを賭ける――ただそれだけしか頭に無かった。
「十字破斬っ!!」
フラウヒルデは光烈武剣を、焔天へと交差させるように叩き付けた。
勿論、鍛冶の神と異名を持つバルカンの製作した剣と刀だ、その程度では破損しない。
だがその衝撃によって、崩れかけていたリチャードとのせめぎ合いの拮抗状態は、完全に崩壊した。
「アアアァァァァァァァァァァァァァーっ!!」
フラウヒルデの気合いの叫びと共に、焔天はリチャードの刃を焼き、溶かし、蒸発させながら斬り進んだ。
そしてついには――、
リチャードの身体に一条の紅蓮の軌跡が奔る。
軌跡は彼の身体を突き抜け、その背後の大地にも穿たれた。
彼は何か信じられぬものでもを見たかのような表情で、その何も見えぬ虚ろな視線の先を凝視した。
彼の左肩から右脇腹に突き抜ける紅い線が、徐々に広がっていく。
「お……?」
それは出血ではなかった。
斬撃の切断面を炎が焼き広げているのだ。
そして次の瞬間には、炎が瞬く間に彼の全身に燃え広がり、まさしく爆発の如き勢いで身体を焼いていく。
火の粉を吹き上げながら崩れ落ちるリチャードの姿を見つめながら、フラウヒルデは茫然と立ち尽くしていた。
(……奴が下手な小細工を使わずに、あのまま力で押し切られていたら……私には勝ち目が無かっただろうな……。
良くて相打ちを狙うしかなかった……。
いや……そもそも、焔天と光烈武剣が無ければ、奴に傷1つ付けることができたかどうか……)
フラウヒルデはわずかに苦笑を浮かべた。
「私は……まだまだ修行不足だな……」
彼女はそう自嘲するが、上位竜をも上回る敵を相手に、命を懸けて戦いを挑んで勝利した。
そして命も失わずに済んだ。
それだけでも十分な戦果である。
誇ってもいい。
だが、そんな風にフラウヒルデが、勝利を噛みしめる暇はなかった。
彼女の身体は唐突に、ゼンマイが切れた玩具のように停止し、そしてそのまま前のめりに倒れた。
とっくに過ぎていた身体の限界を、精神力で誤魔化し切れなくなったのだ。
悲鳴を上げつつ、慌ててアイゼルンデが駆け寄って来る。
そして倒れているフラウヒルデの容態を確認する為に、その顔を覗き見てみると、彼女の顔は何処か満足げだった。
「……フラウ……お疲れ様でした……」
アイゼルンデは涙声でそう呟きながら、フラウヒルデの身体を優しく抱きしめる。
アースガルの命運を左右する戦いの1つは、ここに終結を迎えたのである。




