―全ての喪失―
今回で過去の回想は終わりです。
惨劇の日から3週間近い時が経過した頃、リザンの容態はようやく安定し始めた。
だがその間、彼女は大半の時間を昏睡状態で過ごし、あるいはそのまま永遠に目覚めないかと思われるような危篤状態にも何度か直面している。
たとえ目覚めていても意識の混濁も酷く、まともな思考が全くできないという状態が続いていた。
しかしそれはリザンにとって、ある意味では幸運だったのかもしれない。
もしもその思考能力が正常に働いていれば、嫌でも気付いたはずだ。
あれだけ彼女にいつも寄り添っていた母が、1度も姿を見せないという事実──それが彼女を不安にさせただろう。
そして真実を知れば、その精神的な衝撃が衰弱し切ったリザンの肉体へと、更に深刻なダメージを与えかねなかった。
そう、彼女は何も知らなかったからこそ、その生命を繋ぎ止めたと言っても過言ではない。
だが真実は、いつまでも隠し通せるものではない。
辛うじてではあるが、なんとか立ち上がれるまでに回復したリザンは、母を求めて動き始める。
彼女はまだ不自由な身体をおして、治療を受けていた部屋を抜け出そうとすることを幾度となく繰り返した。
「母様に会わせて!」
そんな少女の悲痛な叫びが、竜王の心を動かした。
リザンはとある一室に連れていかれた。
それは氷室のような、冷気が漂う部屋だった。
「…………!」
リザンの目の前にはまるで眠るかのように、寝台に身体を横たえる母ベルヒルデの姿があった。
その母の姿を、彼女はひたすらに凝視していた。
母はハッとするほど美しく、穏やかな表情をしていた。
その遺体は、腐敗から保護する為の白色に輝く結界に包まれており、その所為もあってか、リザンにはそれが神々しく神聖なものであるかのようにさえ見えた。
だがその母は、微塵も動かない。
生命の温もりも感じられない。
この時リザンは、自身が感じ続けていたあの不安感の正体を知った。
思い知らされた。
リザンのまだ癒えぬ胸の傷が痛む。
それは激痛とさえ言えるほどのものであったが、彼女自身はそれを他人事のように感じていた。
ただ、もう二度と自分を抱きしめてくれることができなくなった母の姿を、瞬きをすることも忘れて凝視し続ける。
そんなリザンに、
『そなたの母は、自らの生命と引き換えにして、そなたを救ったのだ……。
その救われた生命を、寿命が尽きるその時まで大切に使うがよい……』
何処からともなく竜王の声が聞こえてきたが、リザンの耳にその声は届いていなかったのかもしれない。
たとえ届いていたところで、そんなことは改めて言われるまでもない。
その命を軽んじ、安易に終わらせることは、母の死を無意味なものにするも同然の行いなのだから。
この救われた命は、絶対に無駄にする訳にはいかなかった。
だが、リザンがそれを心に誓うのは、今ではない。
今の彼女はまだ、必死で目の前の現実を否定することしかできなかった。
(これ、夢だよね……?)
そう思いたかったが、どうしようもないほどの喪失感は、時が過ぎるほどに大きく、耐え難いものへと変わっていく。
幾度否定を繰り返しても、目の前の現実は決して変わらない。
リザンの紅い瞳は、常に動かぬ母を映したままだった。
目を閉じてもう1度開けてみたら、こんな悪夢は消えて無くなるかもしれない──。
そんなことを思い、リザンはギュっと目を閉じてみる。
そしてじっくりと待ってから再び目を開けると、願い通り全ては消えた。
だが、望んだ結果はそこには無い。
涙で霞んで、何も見えなくなっただけだった。
「母……様……」
ついに堪えきれなくなったリザンは、立ちつくしたまま肩を震わせ泣いた。
いつまでも、いつまでも…………。
それからリザンは激しい悲しみの中で、両親と一族全員の命を失ったことを知った。
そしておそらくは、自分自身すらも……。
今の彼女に残されたのは、母が救ってくれた傷ついた身体と、壊れた心――その2つだけだった。
最早、喜びも、夢も、未来への希望すらも残ってはいなかった。
全てが絶望と憎しみに覆い尽くされていた。
あまりの悲しみの為に、邪竜達へ怒りを向けることしかできなかった。
そうしなければ、自身を支えることすらままならなかった。
リザンは誓う。
自身の名を「斬竜剣士ザン」と、戦士の物へと改め、大切な存在を犠牲にしなければならなかった無力な少女の自分を捨てることを。
そして己の命以外の全てを捨てでも、大戦を生き残った邪竜達に復讐し、滅ぼすことを――。
それから1年、10年、100年と、時は数多の戦いと悲劇を抱えながら、止まることなく無情に流れていった。
しかしそれでも、彼女が負った深い傷を癒やす為には、まだ長い時間の流れが必要だった……。
この後、ザンがルーフと出会うまでの空白の200年間に何をやっていたのかについては、今後語られることもあると思いますが、主に0章や外伝で……ということになりますね。
……そこまで辿り着くのに、かなり時間がかかると思いますが……。現状では、毎日更新する為には、1話2000文字前後というのが負担の無い形っぽいのですが、この文字数だと予想以上に進行がゆっくりだ……。




