―魂を繋ぐ―
竜王は語る、リザンが助かる唯一の可能性を。
『……その娘が斬竜剣士の血を受け継いでいるのならば、我ら竜族と同様に多少の傷をも瞬時に回復させることができる再生能力があるはずだ……。
しかし今、娘の魂は力を殆ど失い、肉体から消えかけている。
魂は生命の根元たる力──それが消耗すれば再生能力もまた、正常に働かなくなるのも道理。
このままではいくら回復魔法を施したところで、効果は薄いであろう』
「……つまりその魂の力が十分で、再生能力が働きさえすれば、リザンは助かるのですね……?」
ベルヒルデはすがるような視線で、竜王を見上げる。
竜王の言葉は、彼女にとって最後の希望であった。
ただ、それは小さな可能性だ。
『娘の負った傷が深すぎるが故に、確実とは言えぬ……。
魂があってこそ肉体は活動するが、その逆も然りであり、おそらく万に1つの可能性やもしれぬ……。
しかも失われし魂の力を回復させることは容易ではなく、他者が自らの魂の力を分け与えてやる必要があるだろう。
その上、魂の持つ波長が合う者でなければ、力を分け与えても拒絶反応が生じて害になる。
我ら竜族では、この娘と魂の質が違いすぎる……。
今この場でこの娘と同質の魂の波長を持つ者は、おそらく母であるそなただけであろう……。
そしてそなたの魂の力を全て注ぎ込まなければ、娘の回復は望めぬやもしれぬ……。
つまりそなたは、娘の命を救う為に己の命を賭けてまでして、小さな可能性にすがるか、それとも娘をこのまま天に捧げるか──それを選択せねばならない……』
竜王の提案は唯一の手段でありながらも、確実に成功する保証の無い、危険な賭けであった。
結局、絶望的な状況は殆ど変わってはいない。
しかしベルヒルデの顔は、希望に満ちていた。
「それならば、何も迷うことはありません。
リザンが救えるのならば、私はこの命を惜しみません」
『……それでよいのか?
その娘は父や一族に続いて、母までも失うことになるのやもしれぬのだ……。
そうまでして生き残ることが、幸せだとは限らぬのだぞ?』
竜王の言葉に、ベルヒルデは少し寂しげな表情を作る。
「ええ……分かっています。
確かに竜王様の仰る通りなのかもしれません。
私が死ねば、リザンは癒やし難い悲しみを背負うことになるでしょう……。
それは間違いありません。
しかしそれは私も同じなのです。
その悲しみは、この寿命が尽きる時まで続くかもしれません」
ベルヒルデに残された寿命がどれほどあるのか、それは分からなかったが、この時代の人間の平均寿命は50年そこそこだ。
それを考えれば、あと30年足らず。
国を既に捨てている彼女にとって、今の生活を失ってしまえば、もう帰る場所は無いに等しい。
一から人生をやり直すには、十分な時間だとは思えなかった。
「あるいはリザンも、それは同じなのかもしれませんが……。
それでもあの子にはまだ、あと数百年以上の寿命があるはずです。
それだけの時間があれば、悲しみを癒やすことも、そして新たな幸福を手に入れることもできると私は信じています。
あの子はこれから育っていくのです……。
成長と共に、色々な物を得ていくことでしょう。
それがあの子の助けとなるはずです。
それに……子はいつか親を失うもの。
誰もが乗り越えなければならない試練を、あの子はほんの少し早く受けるだけです……。
あの子は強い子ですから、きっと負けないでしょう」
ベルヒルデの言葉は力強かった。
(そうよ、負けないって私と約束したものね)
ベルヒルデは更に言葉を継いだ。
「何よりもベーオルフの血を受け継ぐ者が生き続けることは、竜王様にも、そしてこの世界にも大きな意義があることなのではないですか?」
『………………ふむ』
ベルヒルデのその言葉が、竜王を決断させる。
邪竜王が倒れたとは言え、邪竜が全て滅びた訳ではない。
いずれまた、邪竜王のような存在が現れないとは言いきれなかった。
その時には、斬竜剣士の力が必ず必要になるだろう。
今ここで、斬竜剣士唯一の生き残りであるリザンを死なせてしまっては、それは世界にとって大きな損失となるかもしれない。
『……本当にそなたの命を犠牲にしても、構わぬのだな?』
「はい……。
あの子に苦しい思いをさせることは辛いけれど、それでも私はあの子を幸せにしてあげたい……。
未来に希望があるのならば、やはり生き続けてほしいのです」
ベルヒルデの言葉には、一切の迷いがなかった。
顔には穏やかな微笑みさえ浮かんでいる。
『……よかろう。
そなたの命は、決して無駄にはせぬ』
「ありがとうございます。
偉大なる竜王様……」
『真に偉大なのはそなたの方だ、母よ……』
竜王のその言葉を受けて、ベルヒルデは恐れ多いとばかりにペコリと頭を下げる。
『では、始めるぞ……。
──ウォン!』
竜王が短く呪文を唱えると、それに倣うかのように、今までリザンの治癒に専念していた竜達が呪文の詠唱を切り替えた。
するとベルヒルデの身体が淡い光を放ち始め、やがてその光はリザンの身体の方へと吸い寄せられていく。
(リザン……。
暫くの間、寂しい思いをするだろうけど、いつか私以上にあなたを大切にしてくれる人に出会えるわ。
私がベーオルフと出会ったようにね……。
だから大丈夫よね? リザン……)
ベルヒルデは娘の未来を想って、少しだけ不安げに表情を曇らせたが、すぐに微笑んだ。
娘に残す最後の表情が悲しげなものであれば、リザンの苦しみは更に大きくなるかもしれない。
この微笑みは、いつかリザンに気づかせることだろう。
『母は、自らの命を犠牲にしたことを、微塵も悔いてなかった』
──ということに。
そしてリザン自身は、何も責を負う必要は無いということに。
やがて美しく輝く生命の光の中で、ベルヒルデの意識は急速に失われていった。
ちなみにベルヒルデの故郷では、彼女は既に死んでいることになっているので、事情を知っている一部の人間と密かに会うことは出来ても、そこで生活することはできません。
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