―動く竜族―
まるで塔の如く大地より突き出した巨大な岩塊──。
その内部にはいくつもの洞穴が存在し、迷宮のように入り組んでいる。
まさに天然の要塞とも言えるその岩塊の名は、竜宮と言う。
竜宮には竜族の統治者である竜王ペンドラゴンを頂点に、彼に仕える何百、何千もの竜達が集う、まさに竜族の総本山とも言える場所であった
今、その竜宮の内部は、混乱の極みにある。
「タイタロスの状況は、まだ分からぬのかっ!?」
1人の竜人が怒声を上げた。
そんな彼の姿は人間に近い。
勿論、皮膚を覆う鱗や、頭部の形状は竜のそれであり、人間のものとは決定的な差異がある。
しかし両足で直立し、人間と大差ない背丈の身体をローブで包んだその姿は、竜と人間のどちらに近いかと問われれば、返答に窮する者も少なくはないだろう。
彼は竜王の側近を務める者――名はカンヘルと言う。
「はっ、強力な結界に阻まれて、遠視の術が通用しません。
しかし彼の地の周辺において、数多くの邪竜共の存在が確認できます。
その数、およそ2000はくだらないかと……」
1人の竜人の報告に、その場に居合わせた10名ほどの竜人達はざわめいた。
「2000だとっ!?
それだけの数の邪竜共が、今まで我々の監視網にかからず、何処に潜んでいたと言うのだっ!?」
「……あるいは、ここ数日中で生み落とされたのか……」
「…………!!」
カンヘルの言葉に、一同は静まりかえった。
それだけ膨大な数の竜を短期間に生み出せる存在など、彼らは1人しか知らない。
「その邪竜達は、近隣の都市を襲撃しかけている模様。
その犠牲となった人間の魂が、タイタロスへと引き寄せられています」
「……200年前と同じだな。
奴め、この世界を覆い尽くすかのように殖えた人間達を使って、膨大なエネルギーを貯め込もうとしている。
やはり『邪竜王が復活した』というファーブニルの、遠距離念話による報告は間違いないようだ……。
戦士達の招集は完了しそうか?
一刻も早く奴を討たねば、今以上に増長するぞ!」
「ハッ! 全竜族より、約5000の戦士が馳せ参じました!」
「よし、今度は斬竜剣士には頼れぬ。
いかなる犠牲を払おうとも、我らが全戦力をもってティアマットを討ち滅ぼしてくれる!」
「オオッ!!」
カンヘルの声に、皆が勇ましく応じる。
だがその時、1人の竜人が取り乱した様子で、この場に躍り込んだ。
「カ、カンヘル様っ!!」
「何事かっ?」
カンヘルのその問いに、竜人はすぐに答えることができなかった。
乱れた呼吸を十数秒かけて整え、それでもなお、酷く狼狽した様子で言葉を発した。
「せ、世界中に流星雨が降り注ぎました!
しかも、人間の都市部に集中しています!
被害は計測できないほど甚大っ!!」
「馬鹿なっ!?」
「隕石召喚を使用したというのかっ!?」
突然にもたらされた報告に、その場は更なる混乱に支配された。
「……で、やはり犠牲者の魂はタイタロスへか?」
「はっ、どうやらそのようで」
「……おのれぇ!
先手を取られ過ぎたな……。
タイタロスの巨大爆発を確認した時点で、もっと迅速に対処するべきだったか……」
カンヘルの顔に苦渋の色が浮かぶ。
彼らは既に、取り返しの付かない失策をいくつも犯してしまった。
ティアマットの復活を予期できず、それを防ぐことができなかったこともそうだが、相手に先手を打たれ、敵がより増長する暇を与えてしまったことが、なおのこと手痛い。
おそらくティアマットは、「隕石召喚」などという大それた術を使用しながらも、さほど疲弊はしていないだろう。
何故ならば、一撃で世界に壊滅的なダメージを与えるような巨大天体は、遠い宇宙の彼方から召喚する必要がある為に膨大な魔力を必要とするが、数mからの小天体ならば、この星の周囲にも無数に漂流している。
それらを呼び寄せるだけならば、カンヘルにだって不可能ではない。
しかも、こうしている間にも状況は刻々と悪化していく。
「た、大変ですっ!!」
また1人の竜人が、悪い報せを持って駆け込んできた。
「今度は何事だっ!?」
「流星雨の第二波が来ます!
まだ大気圏外ですが、今度はこの竜宮も標的に入っている模様っ!!」
「第二波だとっ!?
馬鹿なっ、数億規模の命が失われるぞっ!!」
「しかも……それが皆、ティアマットの力の源となる……」
誰かが呟いたその言葉に、場が一瞬で凍りついた。
「いかんっ!
今すぐ集った戦士の半数を使い、惑星の大気圏全域を覆うように結界を形成させろっ! 万が一結界を抜ける隕石があれば、呪文でも息でもなんでもいい!
いかなる手段を用いてでも、粉砕するのだ!!」
カンヘルの怒号が周囲に響き渡る。
「し、しかし、戦士の半数とは!?」
「それぐらいでなければ、対応しきれん。
ともかく、これ以上ティアマットにエネルギーを供給するようなことになれば、我々には最早勝ち目が無いぞっ!」
カンヘルのその言葉に、異を唱える者は誰もいなかった。
かつての邪竜大戦も、ティアマットと同等以上の能力を持った「斬竜王」と言う存在があってこその勝利だと言える。
少なくとも彼の存在無くしては、今存在するの竜族の半数、あるいはそれ以上が滅ばされていただろう。
しかも蘇ったティアマットは、明らかに以前よりも強大な能力を有している。
既にその能力は、神々に匹敵するとさえ言って良い。
あるいは竜族の現存する全戦力を投入しても、勝てる見込みはもう無いのかもしれない。
(せめて竜王様がご健在ならば……)
おそらく、カンヘルならずとも、竜族の誰しもが思ったことだろう。
しかし竜王は既に、高齢の為に動くことすらままならぬ身なのだ。
現状はまさに、竜族にとって――いや、世界そのものにとって、光明の見えぬ絶望的なものだと言えた。
だが、カンヘルはふと、
「何よりベーオルフの血を受け継ぐ者が生き続けることは、竜王様にも、そしてこの世界にも大きな意義があるのではないですか?」
200年もの過去に、とある母が自らの命を捨ててまでして、娘を救おうとした時の言葉を脳裡によぎらせた。
何故、今それを思い出したのかは分からない。
だが、大きな意味があるような気がしてならなかった。
(少なくとも……かつてティアマットを倒した者の、血を受け継ぐ者はまだ生きている……か)
気休めかもしれないが、小さな希望をカンヘルは感じた。
その時、また新たな情報が飛び込んでくる。
「邪竜達に動きがありました。
皆、一斉にタイタロスから東へ向けて侵攻中」
「何処へ向かうつもりだ……?」
竜人達の多くは、何故、邪竜達が突然に動き出したのか分からなかった。
だが、カンヘルには分かるような気がした。
タイタロスのすぐ間近に、おそらく竜族以外では世界で唯一、邪竜に対抗し得る勢力が存在する場所がある。
かつて幾度となく邪竜の侵攻を凌ぎ切った、大いなる魔女の統治する国が――。
邪竜達は手近な邪魔者から、排除しようという魂胆なのだろう。
「……我々もアースガルへ向かうぞ!」
それからほどなくして、約2500にも登る竜達が竜宮を後にした。




