―竜 王―
リザンの生命はもうすぐ尽きようとしていた。
しかし彼女は、折角この世に生まれてきたにも関わらず、両親以外の者から全くと言っていいほど愛情を受けることが無く、これまでの人生が幸福なものだったとはとても言えないものだった。
ベルヒルデにはそれが忍びなく、そして人の親としての自らの不甲斐なさを痛感せずにはいられなかった。
(このまま死なせるなんて、絶対にさせない!
きっとまだ方法はあるはずだわ……!)
このままリザンの一生を終わらせてしまうのは、あまりにも不憫過ぎる。
だからベルヒルデは、まだ諦めない。
『希望を捨てた瞬間、その人間は死んだも同然だ。
少なくともその時点で生きている意味を失う。
だが、希望を見失いさえしなければ、進むべき道は必ず何処かにある』
それは元騎士であるベルヒルデが、戦いの中で学んだことであり、そして信念でもあった。
どんなに困難に思えることでも、諦めさえしなければ成し遂げられる可能性は決して零ではない。
だが、諦めれば可能性は零のままで終わってしまう。
だからベルヒルデは、ここで諦める訳にはいかなかった。
「竜王様!」
ベルヒルデは自身がいる空洞から、更に広い空洞へと繋がる境目の暗がりに向かって叫ぶ。
するとその暗がりの奥から、1匹の竜が姿を現した。
しかしそれは頭部のみであった。
ただし、巨大な──。
その竜の頭部はそれだけでも数十mもあり、通常の竜の全長をも上回る。
ましてやその全長が何百mになるのか、ベルヒルデの目には確認のしようもなかった。
頭部だけでも彼女の視界の殆どを占めているということもあるが、その巨躯が故に全身がこちら側に入ることができないからだ。
そんな巨竜の身体には無数の深い皺が刻まれ、皮膚の随所は苔生している。
その有様は、この巨竜が積み重ねてきた年月の、気が遠くなるほどの長さを物語っていた。
事実、数千年以上生きるが故に、人間の目からは年齢が分かりにくい竜族であったが、この巨竜は明らかに老齢であるということが分かる。
あるいは数万の時を重ねてすらいるのかもしれない。
この巨竜こそが、神々に生み出されし唯一無二の原初の竜――竜族を治めし者、竜王ペンドラゴンである。
元来「竜」という存在はこのペンドラゴンのみを指し、他の竜族は彼によって生み出された眷属とその末裔に過ぎない。
まさに竜王は、正真正銘の「神獣」と呼ぶべき存在なのである。
本来なら竜王は、人間が声をかけることすらはばかられる神聖な存在だ。
だがベルヒルデは、竜王に対して悲痛な声で懇願する。
「偉大なる竜王様!
どうか私の娘を、お助けください!」
しかし竜王は暫し沈黙をした後、厳かな口調でベルヒルデへと告げた。
『それは……できぬ』
「竜王様っ!?」
ベルヒルデの顔が、驚きと失望で強張る。
「何故ですかっ!?
竜王様ほどのお力があれば、リザンの命を救うことくらいできるはずではないのですか!?
それとも下賤な人間である私の願いは、聞けぬとでも?」
思わぬ竜王の言葉に、ベルヒルデは口調を荒らげた。
神の如き存在である竜王に対して、万死にも値する無礼な行為であるとは分かっていたが、彼女にとってはそんなことを気にしている場合ではない。
しかし竜王は、そんな彼女デの態度に気分を害した様子も無く答える。
『そうではない、人間よ……。
私は今回の大戦で力を使い過ぎた……。
今の私には、新たに斬竜剣士を創造することはおろか、その娘の命を救う力も残ってはおらぬのだ……』
そう語る竜王の口調は弱々しい。
今や年老いた竜王の力は、全盛期の数百分の一にも満たないだろう。
最早老衰による死も、そう遠い未来の話ではないのかもしれない。
「そんな……竜王様でも駄目なのならば、リザンを救う方法はもう何1つ残っていないのですか……?」
ベルヒルデは脱力し、ヘナヘナと崩れ落ちるように床に膝をついた。
その顔はもとより白かった物が、更に蒼白となってゆく。
「なんで……私には力が無いのよ…………!?」
そんなベルヒルデの言葉は、呟きのようにしか聞こえない弱々しいものであったが、そこに込められた想いは、間違いなく魂の底から発せられた悲痛な叫びであった。
彼女の目からは、一筋の涙がこぼれ落ちる。
──その時だ。
『………………もしも』
悲嘆にくれるベルヒルデの様子をみかねたのか、竜王は少々躊躇いがちに口を開いた。
『……1つ可能性があるとすれば……』
その竜王の言葉に、ベルヒルデの顔は希望に輝く。
「あるのですね?
リザンを救う方法がっ!?」
心が折れかけていたベルヒルデの顔に、僅かながらも希望の光が蘇る。
だがこれから竜王が提示するその手段は、彼女にとって重大な選択を迫られるものだった。