―残されたもの―
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「…………!?」
気絶から目覚めたルーフは、パニック状態に陥っていた。
本来は足下にあるはずの大地が、数百mも下方にあったからだ。
「ヒイィ――――――!?」
思わず絶叫をあげるが、次の瞬間には悲鳴を上げているどころの騒ぎではない状況へと、ルーフは投げ出された。
「うるさいよ」
ルーフを掴み、支えていたファーブの掌が開かれる。
そう、まさに彼は投げ出されたのだ。
「っ――――――!?」
なにやら懐かしい落下感に、ルーフは襲われた。
こんな感覚は彼が幼児の時に母親が手を滑らせ、高所から床に落とされてしまった時以来だ。
その時の記憶が走馬燈の如く鮮明に蘇るが、できることならそんな記憶は思い出したくなかった。
落下するルーフの頭上では、ファーブの姿があっと言う間にはるか上空へと昇って――いや、置き去りにされていく。
が、数秒後には、急下降したファーブの掌に再び掴み取られ、事なきを得た。
「少し黙っていろ」
ファーブが冷淡に言い放つ。
しかし言われずともルーフは、あまりの恐怖が故に歯をカチカチと打ち鳴らすばかりで、まともに声を発せそうにない。
そして暫くしてから、ようやく平静を取り戻した彼は抗議の声を上げようとしたが、周囲の雰囲気に気付いて口を噤む。
今、ルーフを支えているファーブの右手の隣――左手にはザンの姿があった。
そして後ろ脚の方には、フラウヒルデとメリジューヌの姿もある。
どうやら空を飛翔するファーブによって、運んでもらっている最中のようだった。
目指す地はアースガルだろうか。
空は暗く曇天であった。
巨大な爆発によって巻き上げられ粉塵が、雲を形作っているのかもしれない。
事実、タイタロスの方角に目を向けてみると、そこには未だにもうもうと黒煙が漂っている。
皆の表情は一様に硬く沈鬱であった。
まるで何者かの葬儀の場にいるかのような――いや、皆の心境はまさにそれに近いのかもしれない。
タイタロスの皇都では何十万人という人間の命が奪われ、そして、本来共にアースガルへ帰るべきシグルーンとクロの姿がここには無い。
ザン達には、2人の安否を知る術が無かった。
今からタイタロスへ引き返して、2人の捜索を行うのはあまりにも危険が大きい。
下手をすれば更に犠牲者が増える。
それに恐らくはもう、全てが手遅れだ。
少なくともあの超巨大魔法に巻き込まれてしまえば、何者も無事では済まされまい。
疲弊しきったシグルーン、そして直撃を受けたクロ、どちらもあの爆発の中で生き延びることはかなり困難なことだろう。
それどころか、遺体すらも残っていない可能性もある。
いや、十中八九全て燃え尽きているに違いない。
故に、シグルーンの身内であるザンとフラウヒルデが抱えた不安は、並ならぬものがあるだろう。
ただひたすらに、2人があの爆発に飲み込まれる前に脱出できたことを願わずにはいられない。
ファーブが「黙っていろ」と言うのも、頷ける状況であった。
ルーフはファーブの姿を見上げた。
どこから見ても、なるほど竜の姿である。
しかし、目玉の姿しか知らなかった彼には違和感が大きい。
だが、そのスラリと引き締まり、洗練された肉体を見る限り、その身体的能力の高さは容易に想像することができた。
事実、先程の彼は、音速を超える速度で飛翔してみせたばかりだ。
ただ、今の彼の飛行速度はさほど速くはない。
邪竜王が復活したという緊急事態だ、早急にアースガルに戻って今後の対策を立てるなり、竜族の総本山である竜宮に向かって、竜王の指示を仰ぐなりした方が賢明だろう。
そしてことが急を要するのならば、わざわざ飛行せずとも、転移魔法による瞬時の移動を行うべきだ。
それでもファーブがあえてそれを行わないのは、ザンに考える時間を―― いや、覚悟する時間を与えたかったからなのかもしれない。
アースガルに戻れば、シグルーンが戻ってきていないという事実に直面することになるのかもしれないからだ。
そうなれば、アイゼルンデをはじめとする一族の者達に、彼女の死の可能性を告げなければならなくなる。
勿論、シグルーン達がザン達よりも先に、アーガルに帰還していることだって有り得る。
しかし、最悪の事態を想定しておかなければ、いざ現実に直面した時の衝撃は大きくなるのだ。
そして今後、邪竜王ティアマットに対して、どのような対策を講ずるのか――だ。
恐らくザンは戦いの道を選ぶに違いないが、相手は勝つ見込みが無いほど巨大な能力を持っている。
その上で、ティアマットに支配された父の身体を取り戻すのか、それともそれを諦めるのか、それらを選択しなければならない。
これからザンには、いや、この世界の全ての存在には、あらゆる決断と覚悟を迫られることとなるだろう。
だからファーブは、わずかながらも皆に時間を用意したのだ。
「…………」
暫くの間ザンは無言でいた。
その顔にはもう涙は無いが、虚空を呆けたように眺めるその表情には、力強さがない。
やはり彼女の受けた精神的衝撃は、かなりのものであったのだろう。
そう簡単には立ち直れないのも、無理からぬことだ。
それは他の者も同じであった。
自らが失ったもの、そしてこれから立ち向かわなければならないもの、そのあまりの大きさに茫然としている。
そんな中、最初に立ち直る切っ掛けを得たのは、メリジューヌだった。
「…………あ」
メリジューヌは何かに気付いて小さく声を上げた。そしてはるか下方の大地へ向けて目をこらす。
「………………!!」
そんな彼女の顔には、見る見る内に明るさが宿った。
「済みませんファーブニル様!
地上へ……地上へ降りては頂けませんか!?」
メリジューヌの呼び掛けを受け、ファーブは大地を見下ろした。
そして連なる山々の狭間――やや開けた渓谷の底に無数の動く影を見つける。
「……人だ!」




