―魔界への道―
ラーソエルは語る。
「この世界と魔界を隔てる空間の壁は、あまりにも厚い。
ボクもこちらへ来る為に、200年近い時間を要しましたからね。
これでは少し行き来が不便です。
そこでティアマット様の空間を操る能力です。
まあ、あなたの力でも相当な時間はかかると思いますが、魔界と行き来できる道を造ることは不可能ではないでしょう?」
「…………」
ティアマットは無言のまま答えない。
その表情もわずかに硬かった。
この世界と異なる異世界――魔界。
神々に反旗を翻した者、あるいは神々が意図したものとは別の形に創造されてしまった、あるいは進化してしまった者。
言わば失敗作とも言える存在が、封じ込まれた地である。
|神々とその被造物の大敵とされる「神々の黄昏の邪神」も、この魔界に封じ込まれているという。
この魔界には竜をも上回る能力を有した、悪魔や魔神が無数に生息し、その頂点には4人の魔王が君臨する。
その能力はもしかしたら、ティアマットをも超えているかもしれない。
事実、これまでにティアマットが使用した魔法のいくつかは、かつて魔王達がこの世界に存在していた頃に遺した物だとされているが、あまりにも膨大な魔力と高度な魔法技術が必要であるが故に、「隕石召喚」と並んで使用者が失われたも同然の魔法であった。
その証拠に200年前の時点では、彼女ですら自らの生命を代償にしなければ発動できなかったほどだ。
だからこそティアマットも、魔界の王達の恐ろしさを理解しているつもりだ。
「しかしそれでは、この世界に四魔王の軍勢が押し寄せて来るかもしれぬな。
……四魔王があの御方の配下だという話は、聞いておらぬが……」
「その通りです。
我らが神が復活していない以上、我々も表だった動きはできません。
我らが神ならばともかく、今の我々では四魔王を配下に置くことは少々難しい話ですし、迂闊に敵対すれば神が復活した頃には、それを祝うべき部下達が壊滅状態ということになりかねませんからね」
「つまり……道を造り、更にそなたらに代わって、私が四魔王の相手をしなければならぬ、ということなのじゃな?」
「はい、この世界の支配は持続させなくてはいけない、と先程申し上げましたよね?
我らが神が復活した暁には、速やかにこの世界へ降臨することができる道が完成していることを──そして速やかに支配権を返上できる状況になっていることを期待していますよ」
ラーソエルはニッコリと笑った。
しかし彼の言葉は、恐ろしく困難なことであった。
ティアマットに課せられた使命はあまりにも大きく、彼女にとっては笑いごとではない。
「少々分が悪い取り引きであったようじゃな……」
ティアマットは渋面を作る。
「……まあ、良い。
あの御方には復活を手助けされた恩義もある。
隕石召喚などのお力も頂いた。
四魔王を倒すこととて、必ずしも不可能ではあるまい。
やれるだけやってやろうぞ」
「はい、ご健闘をお祈り申し上げます。
それじゃあボクは、ティアマット様のお手並み拝見といきましょうか。
なんか面白そうなことがあったら、手伝ってもいいですよ?」
「なんじゃ?
もう用が無いのであれば、さっさと帰ればよかろう。
貴様のような者にまとわりつかれては、鬱陶しくてかなわんわ」
「嫌ですよ、また200年もかけて帰るなんて。
どうせボクは創られてすぐに、こちらの方へ送り出されてしまいましたから、魔界が古里っていう実感もないですし。
このまま、この世界に住み着きます」
「帰還命令は受けていないのか?」
「全然」
ことも無げなラーソエルの返答に、ティアマットは内心唖然とした。
(ただ伝令の為だけに、これだけのモノを創り上げたというのか、こやつの主とやらは!?)
200年もの時間をかけたとは言え、魔界とこの世界の壁を越えてくるほどの存在を生み出すことは「邪竜の母神」と称えられる彼女にしても容易なことではない。
しかしこのラーソエルの主は、さほど苦もなく彼を生み出したらしい。
彼が使い捨ても同然の扱いを受けているのを見れば、それは窺い知れた。
しかもそれだけの実力を持ちながらも、ラグナロクの邪神の配下の1人に過ぎないのだという。
(ふふ……上には上がいるということか)
ティアマットはわずかに苦笑した。
しかし、その苦笑は次の瞬間、凄まじい邪気を含んだ凄惨なものへと変わる。
(上がいるというのならば、私も更に巨大な力を手に入れなければならないのぅ……)
そんな彼女の決意は、この世界に更なる悲劇をもたらすものだった。




