―復活せし者―
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俄に垂れ込るる暗雲によって、大地は闇に包まれつつあった。
それはただ独り――この大地から比べれば、あまりにも矮小な一個体にしかすぎないはずの者から発せられた邪気が、まるで嵐の如く大気をかき乱し、暗雲を発生させてこの地より光を奪い去ったのだ。
そんな強大な存在と正面より対峙する者は、その精神をより深い闇に覆われたかのように感じているに違いない。
正気を保てるはずがなかった。
「はあーっ、はあーっ」
巨大な圧迫感を受け、呼吸が激しく乱れる。
全身も冷たい汗に濡れている。
ともすれば、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に彼女は駆られた。
しかし、逃げ出す訳にはいかない。
今、彼女の前に立つ者の身体は、彼女にとって最も愛すべき存在の片割れであったのだから。
その者から発せられる巨大な邪気が、彼女の銀髪をかき乱し、その視界を遮るかのように乱れ飛ぶ。
だが、彼女はそれさえも目に入らないかのように、かつて父であった――しかし今は、魔性の女神と化した者の姿をただただ凝視していた。
かつては竜種最大の力をもって数多の邪竜を支配し、世界を破壊し尽くした戦いの元凶となりし者。
邪竜王あるいは邪竜大母神と呼ばれし者――ティアマットの姿を。
「ザン!」
銀髪の背後から叫び声が上がる。
その声を発したのは、50センチmほどの球体――竜の目玉のファーブである。
その後方には小柄な少女――メリジューヌが、あまりにも激しい事態の変容に、顔を青く染めて硬直している。
「ザン、相手が悪い!
一旦退くぞっ!」
しかし、ザンと呼ばれた銀髪の女は、ファーブの呼び掛けには一切の反応を示さなかった。
ただひたすらに、ティアマットへと視線を注ぎ続けている。
「ザン!」
「うるさいっ!」
再度のファーブの呼び掛けを、ザンは怒号で返した。
「……父様の身体から、出ていけっ!」
激しい怒りの視線と共に、ザンは手にしていた剣をティアマットへと向ける。
「聞けぬ相談じゃなぁ……。
なにせ、この身体はもう私のものじゃ」
「貴様ぁっ!」
怒りに我を忘れたのか、ザンは不用意にもティアマットに斬りかかってしまった。
「元はお前の父の身体ではなかったのかえ?」
「――っ!」
そんなティアマットの指摘を受け、ザンは振り下ろす剣を止めようとした。
しかし勢いの乗った、しかも相手に命中寸前の斬撃を、そう簡単に止められるものではない。
だが、確実に勢いは衰える。
そこへ――、
「あ……!」
ティアマットは掌で、斬撃をいとも簡単に受け止めた。
ザンは慌てて剣を引き戻そうとしたが、ティアマットは剣を離さない。
それどころか、あっさりと剣を握り潰す。
「…………っっ!!」
「斬竜剣を折る……そなたも先程やったことであろう……?」
ティアマットは平然と言ってのけるが、先程のザンは両手の拳を犠牲にまでして、辛うじて剣を叩き折ることができたに過ぎない。
だがティアマットは、単純な握力だけで斬竜剣を破壊した。
これは竜を素手で倒すことを可能としているザンと比べても、その力が桁外れに強いことを物語っている。
「くっ……!」
ザンは慌てて後退さった。
その顔には焦りの色が浮かんでいる。
いや、明らかに脅えの色すら浮かんでいた。
かつてのリヴァイアサン戦の時のような、勝つ見込みの無い絶望的な恐怖を彼女は感じていたのだ。
ザンは一瞬だけ躊躇したが、すぐに決断し行動に移る。
ファーブとメリジューヌの場所まで更に後退し、
「……退く」
と、小さな声で呻くように言った。
その顔は苦渋の色に満ちている。
「その方がよろしいようですね……」
「よし!」
次の瞬間、ファーブはあらかじめ用意しておいた転移魔法を発動――。
瞬時に彼らの視界が変わった。
「………………!?」
「従姉殿!?」
目の前にいきなり現れたザン達の姿に、ルーフとフラフヒルデは驚愕した。
「ど、どうしたんですか、ザンさん!?」
「詳しい話は後だっ!
とにかくここから逃げる。
ファーブ、早く次の転移準備をっ!」
「今やって――」
ファーブの声が途中で途切れた。何故ならば、彼の視線の先では空間に揺らぎが生じ、そこからティアマットの姿が現れたからだ。
「もう追ってきたっ!?」
「クソっ!
これじゃあ、ちょっとやそっとの距離を転移しても、すぐ追いつかれる。
奴に感知されないほど遠くに跳ばなきゃ、逃げ切れないということになるが……」
「しかし……そんな長距離を跳べるような転移魔法を発動させるまでに、一体何分かかるのやら……。
逃がすつもりは無いぞ?」
ティアマットは不敵な笑みを浮かべて指摘する。
それ受け、ザン達の背に戦慄が走った。
「おお……魔界に君臨せし四魔王が1人、闇を司りし王アステロスよ。
我にその力を貸し与え給え」
ティアマットは厳かに、呪文の詠唱を始めた。
それと同時に、彼女へと膨大な魔力が集中していく。
それは「隕石召喚」ほどでないにしても、凄まじい破壊を生み出すには充分過ぎるエネルギーだ。
「深き大地の底に封じられし渓谷──冥界に燃ゆる炎よ。
数多の死人)を焼き、其の怨嗟の叫びを糧として、激しく燃え盛る者よ。
汝、我が呼びかけに応じ、ケルベロスの顎をくぐりて来たれ」
「ファーブっ!!」
ザンが叫ぶ。
最早ティアマットの術を、止められるようなタイミングではない。
そもそも彼女の武器はすでに破壊されており、ティアマットに対して有効であろういかなる攻撃手段も残されてはいない。
ただ、ファーブの転移魔法が、1秒でも速く完成するのを祈るのみだ。
しかしこのままでは、その術の完成は間に合わない。
「こうなれば……!」
ファーブが意を決したように呟いた直後──、
「はあああああぁ~っ!?」
ルーフのすっとんきょうな悲鳴が上がる。
何事か――と、ルーフの悲鳴の原因と思われる方へザン達も視線を向けたが、彼女らも同じように悲鳴を上げた。
「「「うわあああぁぁぁぁぁ~っ!?」」」




