―閑話 受け継がれしもの10―
4日後の午後――。
フラウヒルデは上機嫌で、騎士団の訓練場へ向かっていた。
そんな彼女の手には真新しい騎士団の制服――丈夫で動きやすいと言う条件を満たしていれば殆ど自由だが――と木刀――さすがに真剣の所持は許されなかった――が抱えられていた。
今日フラウヒルデは、初めて騎士団の訓練に参加することを許されたのである。
しかし、今にも歌い出しそうなほどご機嫌なフラウヒルデの軽い足取りは途端に重くなり、そしてついには止まってしまった。
その表情も急に冴えないものとなる。
その進路上に人影が現れたからだ。
「ア……アイゼ。
身体はもういいのか?」
「ええ」
アイゼルンデは軽く頷いた。
事件翌日の朝、フラウヒルデが謝罪を兼ねてお見舞いに行った時にはまだ、アイゼルンデはベッドの上で寝ていた。
大事を取っての当然の処置ではあるが、勝手に城を抜け出したことの罰もあったのだろう。
彼女はここ数日の外出を禁止され、ずーっと自室で安静にしていたのだ。
どうやらようやく謹慎が解けたらしい。
そして2人はその日以来、初めて顔を合わせる。
アイゼルンデに怪我をさせてしまったフラウヒルデには気まずさがあるようで、わずかに顔を伏せた。
しかしそれでも、言うべきことは言わなければならない。
「アイゼ、あの時は本当に済まなかった……。
わたしはどうしようもない馬鹿だ……」
「そんなことよりフラウ。
あなた、騎士団への入団を認められたんですってね?」
「そ、そんなことぉ!?」
フラウヒルデは心の底から述べた謝罪の言葉を軽くあしらわれてしまい、面を食らう。
「あなた、これ以上強くなってどうするのよ!
そろそろ人間の規格から外れますわよ?」
「いや……わたしはまだまだ未熟だよ。
だからこそ、あんな失態を犯してしまったんだ……」
そんなフラウヒルデの言葉に、アイゼルンデは呆れたように言った。
「本当に馬鹿ね、フラウったら」
「ああ……馬鹿だ」
「そうよ、馬鹿よ。
何で自分ばっかり責めるのよ?
あの事件の原因は、元々わたくしがあなたを誘ったからじゃない。
あまつさえ、わたくしは不覚にも人質に取られたのよ!?
わたくしの方がよっぽどお間抜けじゃないのよ。
フラウが自分を責めれば責めるほど、わたくしの立場が無くなるから、それはやめてくださる?」
アイゼルンデは咎めるような口調で言った。
だが、どことなく優しい響きがある。
「いや、しかし……」
「いい?
フラウは何も悪くないの。
だって悪いのは盗賊じゃないの」
「……!!」
「そんなことより、情報提供料のオヤツと部屋掃除1ヶ月分の約束は、ちゃんと守ってくれるのでしょうね?」
アイゼルンデの言葉を受けたフラウヒルデは、言葉を失った。
彼女の言葉はただ全面的に許すのではなく、少々の償いを求めることによって、フラウヒルデが持つ罪悪感を多少なりとも和らげようとする配慮があった。
そして今まで通りの関係を続けていこう、という意味も含まれている。
これで全部許してやる──と、言う訳だ。
フラウヒルデには、それだけで充分だった。
「フ、フラウ!?」
フラウヒルデはボタボタと、目から涙をこぼしていた。
アイゼルンデはそれを見て唖然とする。
「わ、わたしは、もうアイゼから許してもらえなくなるようなことを、しでかしてしまったと思っていたよ……。
アイゼにそう言ってもらえて……楽になった」
と、しゃくり上げるようにそう言った後、フラウヒルデは只ひたすらに泣き続けた。
「フラウが泣いているところ……初めて見た……」
「ア、アイゼが死にそうになった時も、泣いた……」
この4日間、フラウヒルデは平静を装っているように見えたが、しかしその内面でどれほどの恐怖や罪悪感と戦ってきたのかを、アイゼルンデは知った。
(なんだ、フラウもやっぱり普通の人間じゃないの)
アイゼルンデはフラウヒルデを手が届かないような超人だと思い込み、そして彼女に勝つことを諦めていた自分が恥ずかしくなった。
勝てないのは、彼女よりも努力が圧倒的に足りないだけなのだということに、気がついたのだ。
(だって、目の前にいるのは、わたくしと同じ10歳の女の子だもの)
少なくとも泣いているフラウヒルデは、年相応の女の子にしか見えない。
そしてアイゼルンデは、とある決意を固める。
「よーし、決めましたわ。
わたくしも騎士団に入団します!」
「ハ?」
アイゼルンデの言葉に、フラウヒルデは泣き顔から転じてキョトンとした表情になる。
「な、何をいきなり……」
「ちょっとフラウと競ってみたくなってね。
もう、人質に取られるような失態も演じたくもないし」
確かに名家アースガルに身を置く者としては、護身術くらいは身に付けておいた方がいいのは事実である。
またいつ誘拐されるとも、限らないのだから。
「しかし、許可がおりるのか?」
フラウヒルデの言葉はもっともであった。
彼女は既に並の大人以上の実力があるからこそ、特例として騎士団の入団認められた訳だが、普通の子供程度の身体能力しかないであろうアイゼルンデでは、騎士団の訓練についていくことは難しいかもしれない。
「何よ、フラウが良くて、わたくしが駄目なんて不公平なこと、たとえお祖母様の意向でも許しませんわよ。
断固戦います。
それに現団長のお姉様と、前領主婦人のお母様のコネをフル活用しますから、なんとかなりますわ」
「ああ、コネなんか使わなくたって許可してあげるわよ」
「わ~い、やったぁ~……って、うわあっ!?」
いつの間にかシグルーンが真後ろにいたことに気付いたアイゼルンデは勿論、フラウヒルデも大いに驚愕した。
(我が祖母ながら、相変わらず心臓に悪いですわ!)
アイゼルンデは内心で毒づきつつも、顔からは笑みを絶やさずに祖母に問う。
「でも、本当に許可していただけるのですか、お祖母様?」
「ええ、いいわよ。なんなら今から制服を新調しにいきましょうか?
あ、フラウは急がないと訓練に遅れるわよ?
先にいきなさい」
「あっ! そうだった」
フラウヒルデは慌てて駆けだした。
しかし途中で、何かを思い出したようにピタリと立ち止まり、
「アイゼ、ありがとう!
また、後でな」
振り返ることなくそう声を張り上げて、再び駆けだした。
「フラウったら……。
でも私も同感だけどね」
と、シグルーンはアイゼルンデに微笑みかけた。
「あの……お祖母様、本当に入団を許可していただけるのですか?」
「あなたにそれなりの覚悟があるのならね」
「はい!」
アイゼルンデは力強く頷いた。
シグルーンはそんな彼女を、頼もしそうに見つめる。
「ねえ、アイゼ。
あなたはフラウのことを、羨ましいと思う?」
「…………正直、思いますわね」
祖母の突然の問いに、アイゼルンデは暫し沈黙した後、苦笑気味に答えた。
「でも、フラウもあなたのことを、そんな風に見ていると思うわよ」
「え?」
思わぬ言葉にアイゼルンデは、目を大きく見開く。
「さっきのフラウを、泣かせちゃったところとかね」
「み……見ていたんですか?」
「ええ、あのやり取りを見ていて、アイゼには人をまとめていく才能があると思ったわ。
そういうところはフラウから見て、羨ましいでしょうね。
あの子、人を惹きつけることはできても、その集めた人材を生かすのは下手……と言うか、そういう発想ができないから。
全部自分でやろうとしちゃうから、人を指導していく立場には向いていないわ。
むしろアイゼの方が、指導者としては向いているでしょう」
「そ、そうですか?」
アイゼルンデは照れ笑いを浮かべた。
「そうよ。
それにどうやら悪知恵も働くようだし……。
上手くフラウを乗せたようね?」
「な、なんのことでしょうか……」
ふいっ、とアイゼルンデは、思いっきりシグルーンから視線をそらせた。
先日のフラウヒルデと共謀して起こした城からの脱走劇は、彼女の方が主犯格であるとバレているらしい。
「あははは、別に怒ったりしないわよ。
どうせ、もうクレアルージェには怒られたんでしょ?
とにかく、その才能を多くの人達に役立てられるように努力しなさい。
そしてフラウとあなたで、お互いに足りない所を補っていければなおのこといいわ。
そうすればきっと、アースガルは今よりもっと発展できるから。
その為に騎士団で揉まれるのもいいでしょう。
私はあなたにも期待しているのよ?」
「は、はい!」
力強い孫の返事を受けて、シグルーンは微笑んだ。
クレアルージェには「お義母様は子育てに失敗している」などとよく嫌味――と言うか事実――を言われるが、それでも自身の最も大切なものは子供達に伝えることができるようにと心掛けている。
そして、それはちゃんと成果を上げているようだ。
シグルーンが伝えた意志は、フラウヒルデやアイゼルンデから、そのまた子供達へと受け継がれていくのだろう。
子から子へと永遠に――。
(沢山の子供達があなたの拓いた道を歩んでいます。
姉様……あなたはまだ消えてはいないですよね?)
シグルーンは青空を仰ぎ見て微笑んだ。
空は遠いいつかの日、姉と見上げたものと変わらぬ青色だ。
この空のように、人の意志にもいつまでも変わらぬものがあるのだろうと、彼女は思った。
次回から9章です。




