―閑話 受け継がれしもの7―
倒れたアイゼルンでの頭からは、フラウヒルデが今まで見たこともないようなほどの大量の血が溢れ、地面に赤い水溜まりを作っていく。
「ア、アイゼっ、しっかりしろ」
フラウヒルデはアイゼルンデに駆け寄り、抱き起こそうとしたが、パックリと割れた頭頂部から溢れる大出血を見て、果たして動かして良いものかと躊躇した。
下手に動かすと、更に傷が悪化してしまうような気がしたのだ。
最早こうなってしまっては、傷を治療できる場所へアイゼルンでを運ぶことは得策ではない。
かと言って、誰かに助けを求めに行ったとしても、果たして間に合うのかどうか疑問な出血量であった。
「ど……どうしよう……」
フラウヒルデは、ただオロオロとするばかりだった。
しかし事態は、1秒ごとに悪化する一方だ。
アイゼルンデの顔は、見る見るうちに蒼白になっていく。
だが、やはり何の解決策も思い付かなかった。
「う……」
そして、ついに追いつめられたフラウヒルデは、
「うわあぁあああぁぁ~ん!」
声を上げて泣き出してしまった。
物心がついて初めてのことである。
そんな彼女の背後に忍び寄る人影があった。
盗賊の首領である。
さすが首領と言うべきか、フラウヒルデの一撃を受けても完全に気を失ってはいなかったのだ。
だが、そのことに彼女が気付く気配は無い。
そして首領の手が、フラウヒルデの首にかけられようとしたその瞬間、
「誰っ、うちの子を泣かせたのはっ!?」
「ガッ!?」
何処からともなく現れたシグルーンが、首領の後頭部に必殺の勢いで真空跳び膝蹴りを食らわせた。
今度こそ首領は完全に気を失って昏倒した……と言うか、果たして命は無事なのだろうか?
「フラウ、大丈夫!?」
「は、母上ぇ~!
アイゼが、アイゼがぁ~っ!」
母の姿を確認したフラウヒルデは、跳びつかんばかりの勢いでシグルーンにすがりつく。
「!!」
シグルーン顔色は、アイゼルンデの傷を見た瞬間、劇的に変わった。
すぐさまフラウヒルデを押し退けてアイゼルンデに駆け寄り、治癒魔法を施し始める。
それを眺めながら、フラウヒルデはしゃくり上げるように泣いていた。
「わ、わたしの刀が当たって、しまって……。
も、もしアイゼが、し、死んでしまったら、ど、どうしよう……」
そんな娘の訴えを聞いたシグルーンは何も応えず、アイゼルンデの治療に専念した。
ただ視線だけは、すぐ近くに転がっている短刀に注がれている。
(城の倉庫にあった物だわ……。
フラウの奴、勝手に持ち出したと言うことなのね……!)
シグルーンの顔に、くっきりと怒りの表情が浮かんだ。
やがてアイゼルンデへの治療行為終えたシグルーンは、ゆっくりと立ち上がる。
そんな彼女に、フラウヒルデは怖々と確認した。
「は、母上……アイゼの傷は大丈夫ですか……?」
「取りあえず、命は助かったわ……」
「そ、そうですか……」
フラウヒルデがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、振り返った母の形相を見て、彼女は恐怖に顔を引き攣らせた。
「この愚か者がぁっ!
城を抜け出すだけならばまだしも、刃物を持ち出し、あまつさえアイゼの命を危険に晒すとは、どういう了見だっっっ!?」
「ひ……っ!」
シグルーンから凄まじい怒号を浴びせられて、フラウヒルデは身を竦ませる。
その上いつ拾い上げたのか、シグルーンは短刀をフラウヒルデに目掛けて投げ付けた。
刃の切っ先が、彼女の頬をかすめて後方の地面に突き刺さる。
「…………!!!!」
フラウヒルデは堪らずに、へなへなと地面に崩れ落ちた。
そんな彼女の顔をシグルーンは両の掌で挟み込んで固定し、数cmの間近まで自らの顔を近付け、娘の目を射抜くような鋭さで睨み据えた。
これでは目を瞑らない限り、その視線からは逃げることができない。
「今、死ぬかと思ったでしょ!?
物凄く怖かったでしょ!?
でもね、アイゼの頭にはアレが当たったのよっ!
本当に死にかけたのよっ!
自分が何をしでかしたのか思い知りなさいっ!
そして、自分の行動に責任を持てないのなら、遊び半分で武器なんか持つんじゃないっっ!!」
「は……」
フラウヒルデは「はい」と返事をしようとしたが、口元が引き攣って言葉にならない。
すると、シグルーンの目が更に鋭くなる。
「返事はどうしたぁっ!?」
「…………!!」
シグルーンが更に凄まじい剣幕で怒鳴り付ける。
だが最早フラウヒルデは、あまりの恐怖で返事どころではない。
もう頭の中は真っ白だ。
「コラっ!
返事はどうしたのかって言ってるのよっ!
ちゃんと私の言ったこと分かってるの?
ええっ!?」
シグルーンはガクガクと、娘の身体を揺さぶる。
フラウヒルデは既に返事などできるような状態ではないのだが、シグルーンは怒りで完全に我を忘れているらしく、そのことに気付いてはいない。
「……その辺にしたらどうですか?」
唐突に背後から呼びかけられて、シグルーンはハッと我に返った。
「あ……クレアルージェ」
シグルーンは振り返ると、そこには背の高い女性が佇んでいた。
その年齢は見た目だけなら、シグルーンより少し年上に見えるが、精々30代前半といったところだろう。
そんな彼女の髪はアイゼルンデと同様に赤毛であった。
まあ、母親なのだから、髪の色が同じでもさほど不思議は無いが。
(そう言えば、一緒に子供達を捜しに来たんだっけ……)
シグルーンは改めてそのことを思い出す。
そんなことも忘れていたとは、自身がいかに頭へと血を上らせていたのかを自覚した。
「……これは、ちょっと酷いのではないですか?」
クレアルージェは険しい表情で、義母へと告げた。




