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―追 及―

 久しぶりの宿泊客が来たその日──ルーフが少し遅めの昼食として、得意料理である川魚のムニエルを客に出し、それが「美味しい」と褒められたところまでは良かった。

 材料が切れるまで実に5人前もの量をおかわりして、その全て――魚の骨までも平らげてしまったのだから、よほど彼女の口に合ったのだろう。

 

 実際、単に酷く飢えていたとかいう理由では、これほど大量の料理を食べられるものではない。

 むしろ空腹の為に収縮していた胃が、食物を受け付けないはずだ。

 

 しかもこの時ばかりは、何処か刺のある雰囲気を醸し出していたザンと名乗るその客も、幸せそうに見えた。

 おそらく美味しい物には目が無いのだろう。

 だから彼女の健啖ぶりにはかなり驚かされたルーフだったが、同時に自分の料理がそこまで喜ばれたのであれば、「手間をかけて作った甲斐があった」と誇らしくもあったのだ。

 

 しかしルーフがデザートを出して厨房に戻ろうとしたところ、ザンが声をかけてきた。

 そのことによって、事態は一変したのである。

 

「……あのさ、この辺で人間を竜の生贄に捧げている町があるって噂を聞いたんだけど……。

 あんた、知ってる?」

 

 この言葉を聞いたが為にルーフの人生は、今までとは全く別方向へと進路を変更されてしまったのかもしれない。

 


「……その反応は、何か知っているな?」

 

 ルーフの狼狽(ろうばい)ぶりを見たザンは、なにやら意地の悪そうな笑みを浮かべながら立ち上がり、ルーフに迫ってきた。

 

「ち、ちち、違いますよっ。

 これはうっかり、手を滑らせてしまっただけですっ!」

 

 ルーフは酷く焦りながら否定するが、その慌てふためいている姿には、なんの説得力もなかった。

 

「……すぐにばれるような嘘なら、()かないほうがましだぞ?」

 

 ザンは更に身を乗り出してルーフに迫る。

 それに気圧された彼は、彼女が迫ってきた距離と同じだけ後退しつつ、

 

「ほ、本当ですってば、人間を竜のいけ、生け()? 

 いや、にえ? そう、生贄!

 ……にするなんて話、ぼ、僕は知りません、よ? 

 ええ、知りません、とも!」

 

 と、何やらパタパタと無軌道に(ちゅう)を泳ぐ意味不明の身振り手振りを交えて、呂律(ろれつ)のまわらない弁解を繰り返す。

 ルーフはあくまでもシラを切り通そうとしているらしいのだが、視線がキョトキョトと落ち着き無く動き回り、あまつさえ額から大量の脂汗まで流していた。


 このあからさまな態度を見て怪しくないと言う人間がいたとしら、それは大変な嘘つきか、脳機能に何らかの欠陥があると断言してもいいだろう。

 

(こいつ……分かりやすい……)

 

 ザンは呆れたように軽く嘆息した後、悪戯(いたずら)を思いついた子供のように、楽しげな表情で口を開いた。

 

「…………ふん、じゃあ仕方が無い。

 今の話を他の住人に、詳しく聞いてみるしかないな」

 

「っ!? だ、駄目ですよ!?」


 ザンの言葉に対してルーフは、何故かこれ以上無いくらいに慌てた。

 

「そんなことを役人にでも知られたら、酷い目に──あっ!?」

 

 しまった、とでも言うように(てのひら)で口を塞いだルーフであったが、もう遅い。

 ザンは「してやったり」と言わんばかりに笑みを浮かべ、更に彼へと迫る。

 

「役人が何だって? 

 あんた、やっぱり何か知っているよな?」

 

 ザンの迫力に追われ、ルーフは後退(あとずさ)りしようとしたが、壁に阻まれて退路も断たれた。

 彼に残された道は、徹底抗戦か、それとも投降か──。


「あわわわわわ……」

 

 しかしルーフの口から漏れ出たのは、情けない震え声だけであった。

 最早、彼に有効な逃げ道は全く残されていなかった。

 既に自ら「何かを知っている」と、白状してしまったようなものだ。

 どんな否定の言葉も、もう信じてはもらえないだろう。

 

 だが、全てを正直に話してしまったら、自分はどうなってしまうのか――ルーフの頭の中に渦巻くのは、そんな想いである。

 彼の髪の色と同じ黒い瞳が、(にわか)に涙で潤みはじめた。

 

 それはただでさえ女の子のような顔付きのルーフへと、儚げな可憐さを加え、しかも今は給仕用のエプロン姿である。

 もう完全に美少女にしか見えなかった。

 あるいは彼が男だと分かっていても、「それでも構わない、いや、むしろそれがいい」と、トチ狂ったことを言い出す殿方が現れても不思議ではないレベルである。

 

 結果、ザンにとって今のルーフは「その、なんというか、イジメ甲斐がある?」という感じであるらしい。

 可愛い者は怯えていようが、困っていようが、やっぱり可愛い。

 いや、むしろその可愛さが引き立つので、ついついイジメたくなってしまう――世の中には、このような困った性癖を持つ者が少なからず存在するようだが、おそらく彼女にもそのようなケがあることは、まず間違いあるまい。


 そんな訳でザンは、何やらすこぶる上機嫌だ。

 ニヤニヤしつつ、ルーフに無言の圧力を送っている。

 それを見た彼は、

 

(……駄目だ。

 この人には何を言っても通じない……)

 

 と、心持ち絶望しながら確信した。

 たぶん、抵抗すればするだけ、相手を喜ばせるだけだ。

 少なくとも、ザンが諦めてくれることはまず有り得ないだろう。

 

 やがてルーフは、生きることすら諦めたかのような沈鬱な面持ちでザンに問う。

 

「……これは下手をすると、命に関わることなんですよ? 

 それでも聞くんですか……?」

 

 その言葉にザンは「聞く!」と、即答した。

 なんとなく予想していた通りの反応が返ってきたことに、ルーフは欠片も嬉しさを見いだせないまま、ガックリと床に膝をついた。

 そして消え入りそうな声で、

 

「……話しますよぉ……っ」

 

 と、呻くように言う。

 ルーフはあえなく投降の道を選んだのである。

 いや、か弱い彼には、元々その道しか無かったのだ。

 

(ふふ……、おおっぴらに噂を聞きまわると、なんか面倒なことになるような気がしてたんだよねぇ。

 人の良さそうなこいつに聞いてみて、やっぱり正解だったな)

 

 思い通りにことが進んで、ザンは更に機嫌を良くした様子であった。

 しかし、一方ではルーフが、葬送曲を背に号泣したいような気分に陥っている。

 

(ああ……今度こそ死んじゃうかもしれない……)

 

 そんなルーフの気持ちを代弁している訳でもないのだろうが、季節外れとなりかけた蝉が、残り少ない命を嘆くかのように忙しなく鳴き続けている。

 

 これはまだ残暑も厳しい日の、昼下がりのことであった。

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