―閑話 受け継がれしもの3―
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太陽が完全に沈んでから、3時間ほどが経過した頃──。
娯楽が多く騒がしい都市部ならばまだしも、田舎の町ではそろそろ10歳未満のお子様は眠りに就かなければならない時間帯である。
その時シグルーンは、ゆったりと読書を楽しんでいた。
毎日のように昼近くまで眠っている――フラウヒルデの朝食を作る為に一旦は起きてくるが、また寝る――彼女にとっては、まだまだ眠れるような時間帯ではない。
「あら?」
シグルーンはふと何かに気付いた。
「念の為に張っていた探知網に、何かが引っかかったわね。
……やっぱりフラウに知られちゃったか……」
シグルーンは呆れ顔となった。
彼女の魔法の知覚によると、城から何者かが抜け出したらしい。
そしてそれは、フラウヒルデに違いあるまい。
こうなることを予測していたからこそ、ここ数日間、娘にはあのことをひた隠しにしていたのだが、どうやらそれも徒労に終わったようだ。
実はここ数日間、東方の国を舞台とした演目を売り物とする劇団が、城下町で公演を行っている。
今頃はその劇団が演目を開始している頃だ。
もしもフラウヒルデがこのことを知れば、彼女は何が何でも観たいと言い出すだろう。
だが小さな子供ならば、眠りに就かなければならないような時間帯での公演である。
当然、演目は大人向けの恋愛物だ。
また、過激な殺陣のシーンも挿入されるらしい。
それらは10歳のフラウヒルデにはまだ早い。
しかもそれ以上に問題なのは、舞台の公演期間は5日間――その全日程にわたってフラウヒルデが通いかねないということである。
彼女の東方文化に対する入れ込みようは、あまりにも熱狂的であった。
おそらく公演時間外でさえも、延々と舞台や小道具などを見学し続けることだろう。
あまつさえ、公演会場に泊まり込みかねない。
まさに入り浸りである。
さすがに10歳の子供に、そんなことをさせる訳にはいかない。
そもそもフラウヒルデは、ただでさえ領主の娘という地位にあるのだ。
おいそれと夜の街に出す訳にはいかなかった。
下手をすれば、誘拐される可能性だってあるのだ。
だがフラウヒルデのあまりにも熱い東方文化への情熱を前にしては、さすがのシグルーンでさえも言って聞かせることは困難だと感じている。
だから娘には秘密にしておいた訳だ。
「やっぱり……公演の許可を、おろさなければ良かったかしら……」
シグルーンは軽く溜め息を吐いた。
だが今や小さな田舎町のアースガルの住民から、数少ない娯楽を奪うのも気が引ける話であった。
「……今日が最終公演だし、まあいいか……」
そう嘆息し、シグルーンは着ていたネグリジェを脱ぎ捨て、素早く外出用の服に着替える。
やはり子供達だけで、夜中に出歩かせる訳にはいかなかった。
ただでさえここ数日は、観劇の為に近隣の町村から訪れる者も多く、それ故に様々なトラブルや犯罪が発生しやすくなっている。
そんな夜の町に子供達が出歩く為には、大人の同伴者が必要だろう。
「あ、クレアルージェにも声をかけていかなきゃ。
あなたの娘もいないわよ、ってね」
恐らくまた息子――1年前に病で他界している――の嫁に嫌味――と言うか事実を言われるであろうことを思い、シグルーンは暗澹たる気持ちとなった。
町外れの広場には、沢山の人々が集っていた。
その数は2~3千人はいるだろうか。
アースガルの住人の、3分の1近くに相当する人数である。
勿論、その内訳には近隣の市町村からの観光客も含まれているので、住人ばかりが集まっている訳ではないが。
故に見ず知らずの人間も少なくない群衆は、見慣れぬ夜の風景とも相俟って、子供にとっては何処か異国の人々であるかのようにも見える。
その群衆の中でフラウヒルデとアイゼルンデでは、迷子にでもなったかのような不安感に身を萎縮させていたが、劇の公演が始まるとそんな不安感は頭の中から吹き飛んだ。
時折上がる歓声の中、一際大きく、
「キャ――――っ!」
黄色い声が響き渡る。
「あ……あなたのそんな声、初めて聞いたわ……」
舞台の俳優に向けて、フラウヒルデが甲高い声を上げていた。
興奮からなのか、普段の彼女からは全く想像できないほどの、別人へと変貌を遂げている。
そんな幼馴染みの姿を目の当たりにして、アイゼルンデは訳の分からない畏怖を覚えた。
とは言え、フラウヒルデと同様に歓声を上げたい気持ちは、アイゼルンデも同じだった。
彼女も観劇をすることが、実は大好きなのである。
しかし劇を観に行こうにも、恐らく親は許してはくれないだろうということは分かっていた。
だからと言って、独りで城を抜け出す度胸も無いので、共犯とする為に今回の話をフラウヒルデに持ちかけたのだ。
取りあえず策は成功し、なおかつフラウヒルデから情報提供料をたんまりとせしめることもできた。
まさに一挙両得である。
ともかく、フラウヒルデとアイゼルンデは、東方の国を舞台とした姫君と一般庶民の男が繰り広げる身分違いの悲恋の物語に涙し、東方文化を模した小道具や衣装を物珍しげに眺め、憎き悪役の非道ぶりに怒り、時々登場する侍や忍者の勇姿と華麗な剣舞に熱狂し──。
そんな劇が終わるまでの約2時間は、2人の少女にとって夢のごとくあっと言う間に過ぎていったのである。




