―遠い日の惨劇―
第1章の流血描写はここがピークだろうか……。
そして邪竜王による呪いから生じた惨劇は、遠く離れた地にある斬竜剣士の里にも、例外なく訪れた。
邪竜王の強力な呪いは、地の果てほどもある距離の隔たりを、無意味な物としていたのである。
『な、なんだこれはっ!?』
竜人達は肉体を破裂させて息絶えるという、あまりにも惨たらしい里の者達の最期に戸惑うことしかできなかった。
竜人達と同じく、人間であったが為に呪いの影響を受けなかったベルヒルデも、その現実離れした凄惨な光景を前に茫然としている。
「あ……あ……ああ」
「――リザン!?」
ベルヒルデは隣から聞こえてくる震えの混じった娘の声で、ハッと我に返った。
リザンはガタガタと身体を震わせ、その表情は恐怖に凍りついていた。
無理もない。
大人でさえも正気を失いかねないほどの、凄惨な場面に直面したのだ。
しかもジョージを始めとする同年代の子供達が――いつか友達になれるかもしれなかった者達も、目の前で血煙の中に消えた。
その恐怖と絶望は、余人の想像を絶するものがある。
しかしそれでも、リザンには他の一族達のような、惨たらしい変化は未だ見られなかった。
(よかった……私や竜人達が無事なところをみると、斬竜剣士の一族だけにしか害は無かったみたい。
リザンも私の血を引いているものね。
そのおかげで影響を受けなかったんだ……)
ベルヒルデはホッと胸をなでおろす。
だがその時――、
「あっ、ああああー!!」
突如リザンの胸から、爆ぜるように大量の血液が噴きだした。
そのあまりに激しい出血の勢いに、彼女の小さな身体は後方へと弾かれ、そして地面に叩きつけられる。
「リザン――ッ!?」
ベルヒルデの絶叫が広場に響き渡る。
彼女は返り血を浴びることも構わずにリザンに駆け寄ったが、娘の傷を確認して「ヒッ!?」と小さく息を飲んだ。
リザンは他の一族の者のように、身体を完全に破壊されるようなことはなかった。
どうやら血の爆発は今の1度きりで終わったようだ。
やはり半分人間の血を引いていたことが幸いして、呪いの効力を弱めたらしい。
しかしリザンの負った傷は、絶望的と言えるほどに深かった。
胸にぽっかりと開いた穴の奥には、背骨さえも覗いて見えており、いくつもの臓器が根こそぎ破壊されたことを物語っている。
当然リザンの身体の状態は、ピクピクと痙攣させる以外の動きを見せようとはせず、見開かれた目の瞳孔も開ききっていた。
そして口からは呼気ではなく、血液のみが溢れ出る。
もう誰が見ても、既に絶命していると判断してもおかしくない状態だった。
それでもリザンは、普通の人間ではない。
竜族に匹敵する強靱な生命力を、その小さな身体に秘めているはずだった。
ならば諦めるのはまだ早い。
皮肉にも彼女をこのような状況に追いやった斬竜剣士の血が、辛うじて彼女が生き延びる為のわずかな希望を残していた。
もっとも、その命の灯火が完全に消えるのも、それほど遠い先のことではないだろうが……。
「誰かっ!?
誰かリザンを助けてっ!!」
ベルヒルデの半ば正気を失いかけた叫び声を聞きつけて、竜人達が駆け寄ってくる。
だが、彼らもリザンが負ったあまりにも惨たらしい傷を目にして、表情を強ばらせた。
この傷を治療する為に必要な技術を持つ者と設備が、今この場所では絶望的に不足していることが一目で分かる。
『急いで転移魔法の準備をしろ。
竜宮へ運ぶ!』
竜人達は迅速に術の準備に取りかかった。
おそらくその術の完成には、数十秒とかからないだろう。
しかしリザンの容態は、1秒を争うほどの深刻なものである。
術が完成するまでの数十秒の流れが、ベルヒルデには酷く緩慢に感じられた。
まるで数時間にも感じられる時の流れであったが、しかしその時間を彼女は何1つ有効に使うことができずにいた。
彼女に唯一できたのは、ただ娘に呼びかけることだけだった。
「リザン、死んでは駄目よっ!」
だが、ベルヒルデが感じている緩慢な時間の流れの中でも、リザンの時間だけは恐ろしく速く流れているように見えた。
その一生分の時間が過ぎるまでには、もうわずかな猶予も残されていないのではないか。
それでも彼女にできたことは――、
「死んでは……駄目っ!!」
ベルヒルデはもう1度叫ぶ。
その言葉が途方もないことであるかのように感じながらも、ベルヒルデはそう言わずにはいられなかった。
 




