―蛇 身―
メリジューヌは城壁に槍を突き立ててぶら下がることにより、辛うじて墜落死を免れていた。
が、近くには飛び移れそうな足場が無い。
そのまま暫しの間、「どうしたものか」と、思案する。
そうこうしている内に、ファーブが救出にやって来た。
「よし、俺の背(?)に乗りな」
「いえ……乗れと仰られましても……」
メリジューヌは逡巡した。
どう見ても丸いファーブの身体は、足場には適していない。
ちょっとバランスを崩して足を滑らせれば、再び転落死の危機に陥るだろう。
それでも救出に来てくれたファーブの申し出を、無下に断るのもなんだか悪いので、なんとかその背に乗り移ることができないものかと試みる。
しかし巨大な城壁に風がぶつかり、気流が乱れているこの場所では、メリジューヌの小さな身体は風に煽られてしまい、その試みはなかなか成功しなかった。
(どうやら、これは無理そうです……)
と、メリジューヌが諦めかけた時、ふと彼女はこの状況の打開策を思い立った。
「ああ…… 短距離瞬間移動を使って、地上に降りれば良かったのですね」
「いや、そういうことはもっと早く気付けよ」
自分も気付かなかったことを棚に上げて、ファーブは呆れた。
テュポーンの子にしては、意外とこの娘も天然ボケが入っている。
それから一旦地上に転移したメリジューヌは、改めてファーブの背に乗せてもらい、王の間へと運んでもらうことにする。
しかし2人が再び王の間に訪れると、その場の状況は一変していた。
場の空気が、先程までよりも更に重い。
ザンは取りあえず生きていた。
とは言っても、腹に石の槍が突き刺さり、決して浅くはない傷を負ってはいたが──。
だが、致命傷というほどでもない。
事実、彼女は痛みをまるで感じてはいないかのように、茫然とヒイナギの姿を見上げていた。
「なんてことを……!」
メリジューヌは思わず口元を両手で覆い、そしてよろめくように後退る。
ヒイナギは幾本もの石の槍に身体を貫かれ、宙高くに持ち上げられていた。
それはまるで磔刑に処された罪人が、見せしめとして大衆の面前に晒されている様に似ている。
そんな彼女の下の床には、槍を伝って血が注がれ、紅い水溜まりを形成していた。
それは床を浸食するかのように広がり続け、既に彼女の生命が絶望的であることを、その場にいる者達に知らしめた。
ザンはただただ茫然と、ヒイナギの姿を凝視し続けている。
そんな彼女の顔からはあらゆる感情が抜け落ちており、他者には計り知れぬ精神的衝撃がその感情を殺しているようだった。
(折角……200年ぶりに再会できたのに……)
「あははははははは……」
エキドナはザンの茫然とした姿が面白いのか、ひたすらに哄笑を繰り返している。
だが、そのけたたましく耳障りな雑音も、ザンの耳には届いていなかった。
(あんな必死になって助けようとしたのに、結局助けられないなんて……。
私は一体なんの為に……)
何の為に力を欲し、そして戦い続けて来たのか──と、ザンは悔やんだ。
その身体は小刻みに震え始める。
「なんで貴様ら邪竜は、私の大切なものを悉く奪っていくんだ……!?」
ザンのかすれたような小さな呟きに、エキドナは哄笑を止めた。
その言葉と共に叩きつけられた殺気が、尋常なものではなかったからだ。
ザンの顔は無表情から一転して、静かながらも深い怒りの色――ただその一色に染められていた。
「くっくっく……。
私を殺したくてたまらぬ……と言った顔じゃな。
だが、そなたにはこの私は殺せぬよ。
いや、もう茶番劇にも飽きた。
そなたの命、私が直々に消し去ってくれよう」
そう言うなり、エキドナの身体は劇的に変質していく。
その下半身は今までの数十倍以上の長さにまで伸び、両足のそれぞれが蛇身の尾へと変じた。
腹部には縦に開いた巨大な口に加え、更に豊かで扇情的だった乳房までもが口腔へと変じていた。
それをたとえるならば、触手の代わりに鋭い無数の牙が並んだイソギンチャクの口とでも言おうか。
また、背からはある種の魚のヒレを思わせるような、二対の翼を生えている。
まさに劇的な変化である。
しかし、顔だけは元の美しい造形を保っていた。
……保ってはいたが、犬歯は肉食獣のごとく肥大化し、その瞳は完全に爬虫類のそれに変じた。
そして額からは螺旋を描くように捻れて伸びた1本の角が突き出ている。
エキドナの上半身は、サイズこそ元のものから大きく変わりはしなかったものの──また、下半身以外の基本的な造形は人間であることには違いなかったものの、それだけにそのおぞましさが更に強調された姿となっていた。
最早、かつての面影が無いと言っても過言ではないほど、その姿の印象は変わってしまっている。
(なんて……禍々しい姿。
まるで人間を卑しめる為だけに、存在しているかのような……)
メリジューヌは全身に怖気が走るのを感じた。
彼女は未だかつて、これほどまでに醜悪な存在を見たことが無いと思う。
そう、かつて父の本性を目撃した時でさえ、これほどの嫌悪感は無かっただろう。
しかしその嫌悪感に伴う恐怖は、父の時のそれに匹敵する。
いや、もしかしたらそれ以上なのかもしれない。
それだけエキドナがその内に秘めたものは、昏くて深い。
それはまるで、世界の全ての生命を飲み込んでしまえそうなほどに……。
あるいはこのままエキドナを放置しておけば、それは現実のものとなるのかもしれない。




