―本当の実力―
意を決したザンは高速で踏み込み、ヒイナギとの間合いが詰まるやいなや、上段から剣を振り下ろす。
だがヒイナギにとってそれは、苦もなく防御できるものであった。
彼女はその斬撃を剣で受け止め――いや、ザンの斬撃の軌道は急激に変化する。
それは受け止めようとしていた剣の表面を滑り、彼女の右腕を斬り裂いた。
しかしその斬撃は、急激に軌道を変化させたが為に力が乗り切らなかったのか、ヒイナギに深い傷を与えているようにはとても見えなかった。
「ガァ……っ!」
だがヒイナギの右腕は、ダラリと垂れ下がる。
どうやら腕を持ち上げようとしても、全く自由が利かなかったらしい。
「ごめんね、腕を動かす為に必要な筋肉とかを、斬らせてもらった。
後でルーフに治療してもらうから、もう少し我慢してね」
ザンはその台詞を言い終わらない内に、利き腕の自由を失い、極端に隙が大きくなったヒイナギの側頭部へと剣の腹を叩き込んだ。
そして更に、彼女の体勢が崩れたところへ、左拳の強烈な一撃を鳩尾へと打ち込む。
グラリと、ヒイナギの身体がよろめき、床に両膝を着く。
だが、そこまでだった。
彼女は口元からわずかに血の糸を垂らしながらも、再び立ち上がったのだ。
「……!! やめてよ、もう立たないでっ!」
ザンは懇願する。
しかしヒイナギは──、
「フッ、戦士が負けたまま、寝ていられると思うか……?」
「え……?」
先程までは無表情であったヒイナギが、不意に笑みを浮かべた。
そのことに意表を突かれて、ザンは一瞬、間の抜けた顔になる。
(もしかして、さっきの衝撃で意識が戻ったのか……!?)
ザンがヒイナギの側頭部に撃ち込んだ衝撃によって、その脳機能に何らかの影響があったという可能性は、十分に有り得る。
ただし、それが良い結果になるのかは、また別の問題ではあるが……。
「……どうやらまた、手酷くやられたようだな」
ヒイナギは眠気を払うかのように、軽く頭を振った。
眠気を払う――確かに200年ぶりに意識を回復したのだ、彼女は現在の状況を全く把握できず、その意識は半ば夢の中にあるようなものなのかもしれない。
だがそれでも彼女は、自らが戦いの中に身を置いているということだけは理解しているようだ。
「……大した奴だよお前は。
本来、ベーオルフの子を生むのは、私の役目になる予定だったのだ。
しかしお前は人間の身でありながらも、実力でそれを手に入れてしまった」
「え……?
ちょ、ちょっと」
ヒイナギの言葉にザンは困惑する。
その隙を逃さず振り下ろされるヒイナギの剣を、ザンは慌てて剣で受け止めた。
「無茶しないでっ!
いくら再生能力があるからって、まだ筋肉は完全にくっついてないはずだ。
また、切れちゃうよ!
下手をしたら、もう使い物にならなくなるかもしれないんだよ!?」
「……この戦いの間、もてばいい」
と、ヒイナギは、苦痛でわずかに顔を歪めながらも笑った。
「なんで私達が、戦わなくちゃならないんだよっ!?
そんなことする理由が無いじゃないかっ!」
と、悲痛な声でヒイナギに訴えかけるザンは、ハッとしてエキドナの方を見た。
だがエキドナも興味深そうに、彼女達の戦いを見ているだけだった。
別段ヒイナギを操っているようには見えず、彼女にとっても想定外の事態なのかもしれない。
つまりヒイナギは、自らの意志で剣を振るっている。
「理由ならあるさ。
ベーオルフのことは、もう諦めも付いた。
お前が私を倒した事実も認めよう……。
だが戦士として、いつまでも負けたままというのは納得できぬ。
もう1度決着を付けようじゃないか、ベルヒルデよ!」
「……!!
違う……私は母様じゃないっ!」
やはりヒイナギの意識はまだ混濁しているらしく、その為にザンをその母親と混同して認識しているようだ。
その上、エキドナが与えた「侵入者を排除する」という命令が、彼女の心にまだ残っているのだろう。
その結果、彼女はかつての好敵手であるベルヒルデと戦い、そして決着を望んでいる。
「訳の分からぬことをっ!」
ヒイナギはザンの言葉を取り合おうとはせず、剣を振るう。
それに対して、まだヒイナギと戦う覚悟が決められないザンは、防戦一方となった。
いや、それは覚悟が定まらないが為だけではない。
(ち、違う!
さっきより全然強いよ。
これが本当のおばさんの、能力なのか!?)
所詮、先程までまヒイナギの攻撃は、エキドナによって増幅された闘争本能と反射神経を頼りにしたものに過ぎない。
それから比べれば、意識を取り戻してかつての戦闘技術と経験が蘇った彼女の攻撃が、先程までよりもはるかに鋭くなるのは当然のことだろう。
「クソっ!」
最早、ザンには手加減などしている余裕は無い。
彼女は苦渋に満ちた表情で剣を振るう。
ザンの剣が、ヒイナギの両脚の太股を斬り裂いた。
ヒイナギが本来の戦闘能力を取り戻したとはいえ、 それでもザンの方が数段上手だ。
彼女には200年にも及ぶ戦闘経験があるのだ。
どのようにすれば人体が動かなくなるのかくらいは、知り尽くしている。
しかしヒイナギは、太股の筋肉を切断されてもなお倒れない。
しかもその傷は、瞬時に塞がっていく。
おそらくは再生能力にかなりの生命力を注ぎ込んで、高速で筋肉の切断面を繋ぎ合わせたのだろう。
だがそれを多用すれば、極端にヒイナギを疲弊させるであろうことは想像にかたくなく、そんな状態で更に再生能力を酷使すれば、再生能力が暴走して肉体に重大な変質が生じる可能性と、更には衰弱死の危険性があった。
戦闘が長期化すれば、自殺行為にも等しい。
「技ではお前に及ばないかもしれないが、気力では負けぬぞっ!」
それでもヒイナギは、更に激しい勢いでザンに斬りかかる。
「そんな無茶な戦い方はやめてよっ!」
最早、ヒイナギの筋肉等を切断して、彼女を無力化する手段は使えない。
使えばヒイナギは自らの命を削ってまでして戦い続け、ザンの母のベルヒルデがそうであったように、生命力を使い果たして命を落としてしまうかもしれない。
そんな結末は、とてもではないがザンには耐えられなかった。
しかしだからと言って防戦を続けるだけでは、今度は彼女の生命の方が危うい。
ベルヒルデとヒイナギが戦ったという件については、構想はあるのだけどまだ書いていません。いつか外伝で書くかも……?




