―窮 地―
「再生する間も、肉体強化させる間も無く……瞬時に倒さなければならぬということか……」
フラウヒルデの言葉通り、勝機はその一点にしか無いと言えた。
(しかし……それを私にできるのか!?)
そんな不安からか、フラウヒルデの闘気はわずかに揺らぐ。
その機を逃すことなく、ラドンは耳をつんざくような咆吼を上げながら攻め入ってくる。
「くっ、ルーフ殿、結界を張って退いていて下さいっ!」
と、フラウヒルデはルーフを押し退け、ラドン目がけて疾走する。
そしてラドンの突進を飛び越えるように跳躍し、その背に斬撃を振り下ろそうとした。
だが、ラドンの長い尾がフラウヒルデに襲いかかる。
「ちっ!」
フラウヒルデはとっさに斬撃の軌道を変え、迫り来るラドンの尾を迎え撃つ。
しかし所詮は足場の無い空中で、強引に変えた剣筋である。
それには通常の半分も、力が乗っていなかったかもしれない。
だが、それを差し引いても――、
(か、硬いっ!?)
ラドンの尾には、刃が全く通らなかった。
結果フラウヒルデは、ラドンによる攻撃の勢いを全く殺すことができぬまま、その直撃を受けることとなる。
ゴムボールの如く弾き飛ばされたその身体は、勢いよく背から壁に突っ込んだ。
そしてその身体は、半ば壁にめりこみ、張り付いた状態となる。
「く…………かっ!!」
フラウヒルデの口からは一筋の血の糸が床に向かって垂れ、1つ2つと紅い点を作った。
しかしそれも次の瞬間には、大量の喀血によって塗り潰されることとなる。
紅く染められた床の上に、フラウヒルデは倒れ込んだ。
続いて彼女が張り付いていた壁が崩れ、バラバラとその身体の上に瓦礫が降り注ぐ。
そんな彼女の状態を見て勝利を確信したのか、ラドンがゆったりとした動きでフラウヒルデに迫る。
(す、すぐに立たなければ……っ。
クソ……目が霞む……っ!)
最早フラウヒルデの身体は、まともに動かせるような状態では無かった。
背中を強打した為に息が詰まり、呼吸すらままならない。
また、身体も彼女の意に反して、全く自由が利かない。
それどころか、下半身はいかに動かそうとしてもピクリとも反応しなかった。
いや、あらゆる感覚が無い。
(せ……背骨を折られたのか……!?)
そのことを認識して、彼女は全身からドッと冷たい汗が吹き出るのを感じた。
おそらく、彼女の脊髄は激しく損傷している。
母より竜の血と能力を受け継ぐ彼女ならば、決して癒やせぬダメージではないのかもしれないが、実際にそれを確認したことは今までに無い。
仮にその傷を癒やすことができたとして、果たして再起できるまでにどれほどの時間が必要なのか──。
あるいは何ヶ月もの時間を、要するのかもしれない。
それはこの命懸けの戦闘の最中にあっては、絶望的な痛手であると言えた。
そんな彼女にラドンは、悠然と迫る。
(こ、これで終わりなのか?
このまま何もできないまま終わってしまうのか、私は!?)
フラウヒルデの目には悔し涙が浮かび、
「なんの為にここまで来たのだ、私はーっ!?」
そして絶叫する。
それに触発されたように、ラドンは巨大な顎を開き、一気にフラウヒルデへと襲いかかった。
『グガッ!?』
だがそんなラドンの巨体は、いくつもの巨大な氷の塊を真横から浴びせかけられて、大きく吹き飛ばされる。
(冷却系魔法!?
ルーフ殿かっ!!)
「大丈夫ですかっ!?」
フラウヒルデの危機を救ったのは、やはりルーフの魔法だった。
彼はすぐさま彼女のもとへと駆け寄り、治癒魔法を施し始める。
「ルーフ殿っ!
私になど構わずに逃げてくださいっ!!
アレは我々の勝てる相手ではないっ!!」
フラウヒルデは叫ぶ。
しかし、ルーフは冷静な表情のままゆっくりと首を左右に振り、少し咎めるような口調で告げる。
「そんなことはありませんよ。
勝てないのはフラウヒルデさんが独りで突っ走って、自分だけの力であいつを倒そうとしているからです」
「し、しかし……」
「2人で力を合わせれば、なんとかなりますよ」
と、ルーフは自信に満ちた表情で力強く言った。
「ルーフ殿……」
フラウヒルデはルーフの顔を見上げた。
その顔を見ていると、既に勝負を諦め、絶望しかけていた自分が恥ずかしくなる。
しかし――、
「やっぱり駄目だっ!
逃げて下さいっ!」
ルーフの肩越しに迫りつつあるラドンの姿が見える。
魔法攻撃で受けたダメージからも殆ど立ち直っているらしく、おそらく数十秒と待たずに再び攻撃を仕掛けてくるだろう。
「そんなこと言われても……これが逆の立場なら、フラウヒルデさんだって逃げないでしょ?
まあ……そういうことです!」
と、ルーフは多少の焦りはあるものの、覚悟に満ちた表情でラドンへと向き直る。
逃げるつもりは毛頭ない無いらしい。
ラドンはそんなルーフ達に目掛けて、突進を開始した。
その優に数十tを超える巨体の直撃を受ければ、人間など原形を留めることもできないだろう。
その突進に対してルーフは、右手でフラウヒルデへの治癒魔法を継続しつつ、左手で結界を形成して対応する。
ラドンはその結界に阻まれ、それ以上前に進むことができないようだ。
「くっ……!」
しかしラドンの突進を食い止めはしたが、ルーフの顔には瞬時に疲労の色が蓄積していく。
彼が無理をしているのは、誰の目にも明白だった。
「無茶だルーフ殿っ!
治癒と防御の術を同時に使うなんてっ!」
フラウヒルデは悲鳴に近い声で叫ぶ。
彼女の言葉通り2つ以上の魔法を同時に使いこなすことは、余程の熟練者でなければ難しいし、当然魔力も2倍以上のスピードで消費されることとなる。
こんな魔法の使い方は、何者であっても長時間続けられるものではない。
そもそも竜の巨体を止めるだけでも、常人には不可能なのだ。
今のルーフがどれほど膨大な魔力を結界に注ぎ込んでいるのかは、想像にかたくなかった。
すぐに彼は、限界を迎えるだろう。
「でも、僕じゃあいつの動きにはついていけない。
防御するだけで精一杯で、攻撃する余裕が無いんです。
だから、フラウヒルデさんが戦えるようにならないと、この状況は打開できない……!」
そう、いかに鉄壁の防御結界を形成したところで、反撃することができなければいつかは敵に攻めきられる。
身体能力が普通の人間程度にしか無いルーフでは、素早いラドンの動きに対応して攻撃を加えることは難しく、彼が戦う為にはラドンの注意を誰かに逸らしてもらう必要があるのだ。
だからルーフは、フラウヒルデの治癒を中断する訳にはいかなかった。
しかしラドンが、彼の結界を破るのもそう先のことではないだろう。
果たしてそれまでに、フラウヒルデの治癒が終わるかどうか──。
いや、最早数十秒の猶予すらない。
ラドンが大量の大気を吸い込む。
「息攻撃っ!?」
ルーフは蒼白となった。
その攻撃の威力がどれほどのものなのかを、彼は知っている。
彼の故郷の町は竜の息によって、消滅させられたのだから──。
「――くっ!」
ルーフはフラウヒルデの治癒を中断して、両手を用いて全力で結界に魔力を送る。
その直後、ラドンの口腔から光が迸った。
「うわああぁぁーっ!?」
雷の吐息」――。
それは数十本に及ぶ電流の束であった。
凄まじい閃光と轟音と衝撃が、ルーフの結界を揺さぶる。
彼も全力で結界に魔力を送るが、それでもなお、風船の破裂音にも似た音を伴って結界は瞬時に消え失せた。
だが、ラドンの「雷の吐息」を相殺できたことは、幸いであったと言えよう。
そうでなければ即死だった。
しかしラドンはすぐに、2撃目の「雷の吐息」の準備に取りかかり、予断を許さない状況が続く。




