―主 従―
あっという間に、クロは巨大な竜の姿から、人間の姿へと変ずる。
ちなみに人間の姿に戻ったクロの衣服は、元のままで破れた形跡は無い。
どうやら服も、皮膚の一部を変質させたものであるらしい。
つまり全裸か。
「大体、敵を逃がしてるじゃないのっ!
肝心なところで詰めが甘いのよ、あなたはっ!」
「え? ええっ!?
あいつ、逃げちゃいましたかっ!?」
「逃げたわよ。
瞬時に攻撃から防御結界に切り換えて、あなたの息に流されるままに乗って遠くまでね。
……鮮やかなものだわ。
私の見たところ、ダメージは軽くはないようだけど、生命に別状は無かったようね。
全く……厄介な奴を取り逃がしてくれたわね。
あいつ、次に出てきた時には、また強くなっているわよ?」
ギロリとシグルーンに一瞥されて、クロは顔を瞬時に蒼白に染めた。
そして慌てて土下座をし、ペコペコと頭を下げる。
「スミマセン、スミマセンっ、どうかお許しをっ!」
「駄目、後でお仕置き」
クロの必死の謝罪を意に介さず、シグルーンはニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「――――スミマセン、スミマセンっ!!」
それを見てクロは、延々と平謝りを続けるのだった。
そんな光景を茫然とメリジューヌは眺めている。
そして──、
(……確かに怖い御方かも……)
と、実感した。
少なくとも、彼女には能力の有無に関わらず、自身の数十倍、あるいは数百倍も質量がある竜の巨体に、蹴りを入れる度胸は無い。
その一点だけでも畏れるに値する。
「って、御館様っ!?」
すっとんきょうなクロの声を耳にして、メリジューヌが慌ててそちらの方に目を向けてみると、そこにはシグルーンが今更のように自身の体調を思い出したのか、今にも倒れそうな様子でフラフラとしていた。
「ああっ、暴れるからですよっ!
まだ安静にしていなくては……」
「わ……悪いわね……」
取りあえずシグルーンを地面に寝かせて、メリジューヌはホッと一息を吐いた。
(まるで……世話の焼ける妹を持った気分ですね……。
気の休まる暇もありません)
今のシグルーンの幼い姿の所為もあるのか、メリジューヌはついそんなことを思ってしまった。
だがそのことによって、随分と救われているような気もする。
故国と父を一度に失ったメリジューヌであったが、まだ絶望はしていない。
それは少なからず、シグルーンやアースガルの人々の存在が大きいのではないかと彼女は思う。
そう「実の娘のように可愛がってあげるから」というシグルーンの言葉――それが絶望しそうになったメリジューヌを、まだ全てを失ってはいない──と、支えてくれている。
(私はまだ大丈夫そうです……)
静かに眠る父の遺体に目を向け、メリジューヌは寂しげにではあるが、微かな笑みを浮かべた。
少なくともこれ以上の心配をかけて、父の安らかな眠りを妨げることは無いのかもしれないと――。
だがこの地を襲う災厄は、まだ終わりを告げてはいない。
安心するのは早かった。
「……ともかく、一難は去りましたが……」
メリジューヌは小さく嘆息し、タイタロスの城を見上げる。
その表情は険しかった。




