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― 光 ―

 メリジューヌへと詫びる父に、彼女はそんな必要など無いのだと訴えた。

 しかしテュポーンは──、

 

「だが……私は、お前に何も(つぐな)ってやることができなかった……。

 平和な世界を築き上げることが、お前に対しての償いになると思ってきた……。

 いや、そう思い込もうとしていただけだ。


 本当は何をどうすればいいのかすら、私には分からなかったのだ……。

 そして、何も償うことなく、私は逝かねばならぬ……。

 ……許してくれ」

 

「お父様……っ!」

 

 急速にテュポーンの目から、生気が失われていく。

 もう彼に残された時間は、もうわずかだろう。

 それを悟ってか、テュポーンは残された力を振り絞り言葉を継ぐ。

 

「メリジューヌ……済まなかった。

 お前を脅かしていたものは、もうすぐ消える。

 もう、恐ろしいものなど現れぬ……。


 だからもう、その目を閉ざしている必要もあるまい。

 その気になれば、その目はきっと見えるはずだ……」

 

「違います……違います……っ! 

 (わたくし)は何も恐れてなどいません! 

 私は……私はっ……!」

 

 そんなメリジューヌの言葉は、嗚咽(おえつ)と化していた。

 

「メリジューヌ殿下……。

 お父上の最期の姿を、しっかりと目に焼き付けなさい。

 たとえ今すぐに視力を取り戻すことができなかったとしても、今見る努力をしなければ後悔することになりますよ。

 肉親の死から目を(そむ)けてはいけないのです……」

 

「シグルーン様……」

 

 メリジューヌの背後に立ち、今まで静かにことの成り行きを見守っていたシグルーンは、ここで初めて口を開いた。

 その口調は静かだが、何処か重く確信に満ちた響きがある。

 

「……アースガルの魔女……か。

 そなたに対しては、色々と礼を言わねばならぬな……」

 

 テュポーンはシグルーンの方へ視線を送った。

 おそらくメリジューヌが今も健在であることに、少なからず彼女も関係しているはずだ。

 ならばいくら礼を言っても、足りない。


 それに、この危機的な状況に駆けつけてくれただけでも、充分に有りがたいことだった。

 

「別に大したことはしてないわ」

 

 照れ隠しなのかシグルーンは、ぶっきらぼうにそう返すが、それに継ぐ言葉は慈愛に満ちていた。

 

「まあ、これから大したことはするけど……。

 あなたの娘は、実の娘のように可愛がってあげるし、崩壊した国の処理の方もできる限り協力させてもらうから安心しなさい」

 

「……済まない」

 

 これから頼もうとしていたことを先に言われてしまい、テュポーンは思わず苦笑を浮かべた。

 そして安心した所為か、急速に身体の力が抜けていくのを彼は感じる。

 だから彼は、残る力を振り絞り、メリジューヌの頬に(てのひら)を添える。

 

「……どうやら……そろそろお別れのようだ。

 言いたいことは沢山あるが……もう多くは語れない……だから一言だけ……」

 

「お……お父様……」

 

「幸せになってくれ……それが私の望みだ……」

 

 その言葉に、メリジューヌは今まで以上に多くの涙を目から溢れさせた。

 それはこれまで閉ざされていた(まぶた)が、大きく見開かれていたからなのかもしれない。

 

「……エトナによく似た美しい瞳だ……」

 

 テュポーンは微笑みながらそう言うと、静かに身体を弛緩させていった。

 メリジューヌの頬にそえられた手も、力無く地に落ちる。

 

「お父様ぁっ!」

 

 叫ぶメリジューヌの涙の雫は、テュポーンの上に降り注いだ。

 それが娘との確かな絆の証明であるかのように、彼は感じながら――、

 

(ああ……あの時の涙を、同じように感じてくれたのだろうか……エトナ……)

 

 そんな思考を最後にして、タイタロスという国の滅亡と共に、偉大なる王もその永い生涯を終えた。

 



 それからメリジューヌは、静かに(うずくま)りながら、徐々に冷たくなっていく父の身体を抱きしめ続けていた。

 そこに泣き声はもう無い。

 ただひたすらに、沈黙を続けていた。

 

 しかしそれが、深い悲しみが故なのだということを、シグルーンは知っていた。

 だから彼女は、ただ静かにメリジューヌの姿を見守っている。

 

 やがて、メリジューヌはうつむき加減の顔を、ゆっくりと上げた。

 

「シグルーン様……。

 私はお父様の言葉通り、お父様のことを恐れていたのかもしれません……。

 いいえ、お父様のことは好きでした。

 ただ、お父様の真実を知ることが怖かった……。


 だから私は、目を背けてしまった。

 それで現実が変わることも、(のが)れることもできないのに……。

 それでも私は、真実を目の前に突き出されるのが怖かった……」

 

 メリジューヌとて、幾度となく疑問に思ってきた。

 自身と父は、何故普通の人間とは違う時間(とき)を生きているのだろうか? 

 何故人間を超えた能力(ちから)を、持っているのだろうか?――と。


 もっともそれは、人間ではない存在の血を受け継いでいるからだということは、誰が指摘するまでもなかった。

 だが、メリジューヌは知らぬふりをし続けた。

 頭で理解していても、心では認められなかったのだ。

 

 それは父の真実を知れば、自分は父を受け入れられなくなる──それを恐れてのことなのかもしれない。

 しかしそれこそが既に、心の何処かで父の存在を否定していたことの証明だと言えるのではないだろうか。

 

 結局、表面上の波風こそ立ちはしなかったが、父娘の間には確実に大きな(みぞ)が存在し続けたと言える。

 

「だけど……目を背けたことが『良かった』なんて、今は思えないでしょう?」

 

 静かで責めるような調子こそ含まれてはいないが、そのシグルーンの問いは、メリジューヌにとって痛烈なものだった。

 それでも彼女は(うなづ)く。

 

「そうですね……」

 

 もしも真実に目を向け、それを受け止める勇気を持っていたのならば、父の持つ苦悩も少しは(やわ)らげることができたのではないか。

 そして自分達はもっと、別の生き方をできたのではないか。

 それができていれば、父は死なずに済んだのかもしれない――と、メリジューヌは悔いた。

 

「目を背けたことで、見たくないものは見ずに済んだのかもしれません。

 でも、同時に沢山の大切なものも、私は見過ごしてきたのでしょうね」

 

 そして、メリジューヌは空を仰ぎ見る。

 

「――この光のように……」

 

 昇る朝日の光を浴びるメリジューヌの目からは、涙が未だに溢れていた。

 しかし、それは悲しみからくるものだけではなかった。

 

「私は光がこれほど美しいものだとは、今まで気付きませんでした。

 お父様がいなくなって悲しいはずなのに、それと同じくらい私は喜びを感じています。

 ……こんな私は、おかしいのでしょうか、シグルーン様……?」

 

 シグルーンはゆっくりと首を左右に振った。

 

「どんな状況に置かれても、美しいものを見て感動するのは当然のことよ。

 こんな状況だからこそ、際だって感じることもあるでしょうし。

 それに……その光は、あなたのお父上が残してくれたものだもの」

 

「はい……」

 

 そう、自らが一度は捨てた光を、取り戻してくれたのは父だ。

 この「遺産」はメリジューヌが生き続ける限り、彼女と共にあり、そして多くのものを与えてくれるだろう。

 

 メリジューヌは今まで以上に、強い父との絆を感じていた。

 

「私は……この光景を忘れません……。

 お父様の記憶と共に……」

 

 メリジューヌは再び父の身体を強く抱きしめる。

 

「ありがとう……お父様……」

 

 それは小さな呟きであったが、心の底からからの言葉だった。

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