―最期の時間―
そこは──多くの人々が当たり前のように、日々の生活を謳歌する都市だった。
そこはほんの数時間前に砕け散り、生きる者のいない死都と化した。
しかしそれでも、そこはまだ都市の姿をたもっていた。
だが、そこは今――。
夜が明けようとしていた。
薄明かりが周囲を微かに照らす。
そこには、焼けただれた風景が広がっている。
爆風に削られ、熱に焼かれ、何もかもが形を失っていた。
大地ですら砕かれた隕石の破片が衝突したのか、幾つもの隕石痕を穿たれ、無惨なものだ。
だが、もしも巨大な隕石が原形をたもったまま地表に衝突していれば、その衝撃は地殻をも砕いて巨大な地震引き起こし、大陸中に甚大な被害を与えていただろう。
しかも落下地点の近隣の土地ならば、地震のみならず衝突によって発生した衝撃波に飲み込まれ、跡形もなく壊滅していたに違いない。
更に隕石落下の衝撃は膨大な量の土砂を成層圏にまで巻き上げ、太陽の光を覆い隠す。
世界全域は異常な気温低下に襲われ、それが完全に回復するまでには、数年、数十年、あるいは百年以上の時を要するのかもしれない。
そんな世界規模の破壊から比べれば、都市が一つ消えた程度の被害で済んだのは奇跡的だと言ってもいい。
しかしそれは、あくまでも最悪の結果から比べての話であり、その破壊の規模は未曾有ともいえるほど甚大であった。
それでもタイタロスの王城のみが、無傷で大地に根をおろしていた。
治めるべき民も町も無く、外敵を防ぐ外壁も無く、ただ城のみが佇む。
何処か冗談めいた光景だ。
おそらくエキドナが結界を張って城を守ったのだろうが、もしも隕石がそのまま地上に衝突していれば、さすがにその形はとどめてはいなかっただろう。
それでも彼女が城に居座り続けたのは、ある意味テュポーンのことを信頼していたということになるのだろうか。
彼は絶対に、国を見捨てて逃げるような男ではない――と。
だからといって、そんなエキドナの評価を、テュポーンが光栄に感じることなどなかったであろうが……。
今、彼の心の内にあるのは虚しさだけでだった。
彼の眼下には焦土が広がっている。
彼が百数十年もかけて築き上げてきたものは、一瞬にして奪い去られたのだ。
最早、悲しみや怒りの感情を抱く気力すら、残されてはいない。
あるのは全てを諦めた虚ろな心だけだ。
どのみち、彼に残された命の時間はもう残り少ない。
空より逆さまに落下する彼の姿は、一度は本性に戻りはしたものの、いつの間にか人間の姿に変わっていた。
いや、最早その姿こそが、彼の本当の姿となっていた。
だが、その身体も腹部の半ばより下は完全に消失しており、並の人間ならば既に絶命している。
竜であった彼だからこそ、まだ辛うじて命を繋いでいた。
それもこのまま地面に激突すれば、その時点で彼の生は終わる。
(結局……私は家族を守ることも、理想を実現することもできなかったな……。
ままならぬものよ……)
しかしそれこそが、「人生」なのだろうと、テュポーンは思う。
多くの人間はままならぬ日々を生き、やがて何もままならぬまま死んで逝く。
そして自らもまた同じ道を逝く。
そう、彼は人としてその生を終える。
それが彼に唯一残された希望だった。
テュポーンは迫り来る地面から目を逸らすように、ゆっくりと瞼を閉じた。
もうすぐ全てが終わる。
あらゆる苦しみから、解放されのだ。
そのことに彼は、不思議と安堵を覚えていた。
だが運命の神は、まだ暫しの時間を彼に残していた。
しかしそれは、彼の苦痛をこれ以上引き延ばそうとしたものではない。
それは運命の神のみが可能とする、慈悲だろう。
テュポーンの身体がまさに地に達しようとした瞬間、その身体は見えない何かに受け止められ、ゆっくりと制動をかけて空中で静止した。
(結界……?
一体誰が……)
テュポーンはゆっくりと目を見開き、自らを救った者の姿を探した。
そしてその顔には、驚愕と歓喜の色が浮かぶ。
「――――!」
「お……お父様……」
「……無事でいてくれたか……メリジューヌ」
娘の無事を確認し、テュポーンは微笑みを浮かべる。
しかしそれは弱々しく、どことなく苦しげだ。
彼の身体は、既に笑顔を作ることさえも辛い状態なのだろう。
「お父様ぁ!」
そんな父の様子にメリジューヌは悲鳴に近い声を上げ、父を支えていた結界を解除してその身体を抱き止める。
が、あまりにも軽い父の身体に、彼女は愕然とした。
(本当に身体の半分以上を失っている……っ!)
既に分かり切っていたことだったが、そのことを改めて思い知らされた。
思わず父を抱きしめる腕に、力がこもる。
そうしなければ何処かへ消えてしまうのではないかと思うほど、その身体は小さく軽くなっていた。
「………………うくっ」
脱力したのか、ヘタリと地に座り込んだメリジューヌは、その身体を小刻みに震わせ始める。
それに伴う小さな嗚咽の声。
「……泣いて……いるのか……?」
「わ、私は、お父様をこのような姿にした者を、絶対に許しません……!」
そんな激しい怒りに震える娘の声を、テュポーンは初めて聞いたような気がした。
いや、母の死を知り、視力を失い、悲しみと混乱で泣き叫び続けた――あの時の幼い娘の声に似ているような気もする。
その時の彼は、そんな娘の声を聞きながら更に深い絶望を感じていた。
しかし今の彼は、わずかな安らぎを戸惑いと共に感じていた。
「……私の為に泣き、怒ってくれるのか……?」
「……お父様?」
メリジューヌの顔に、わずかな訝りの色が浮かぶ。
そんなことは当たり前ではないか――と。
「私は……お前に憎まれていても、仕方がないと思っていたよ。
今のお前が背負う苦悩の全ては……私が発端であることは紛れもない……事実だ……」
「お父様……」
「しかもそんなお前に対して私は、叶うかどうかも分からぬ私の理想を押しつけてしまった……」
「それは構いません!
私もお父様が築き上げる平和な世界を、夢見てきたのです。
だから私は、自ら望んで国の為に働いてきました。
そのことに後悔はありません……むしろ誇りに思っています。
お父様が気に病む必要なんて、ありません……っ!」
悲痛な声と共に、メリジューヌは大きく頭を振った。




