― 闇 ―
「い……いやぁ……」
顔に脅えの色を浮かべた娘の反応に、テュポーンは困惑して動きを止める。
「……メリジューヌ?」
その呼び掛けに、メリジューヌは更に表情を歪ませた。
最早それは、脅えを通り越して明らかな拒絶からくるものだった。
「どうしたのだ、メリジューヌ!?」
「いやあっ、いやあっ」
メリジューヌは何かから逃れるかのように激しく藻掻き、そして叫ぶ。
「怖いっ……!
怖いよぉ……っ!」
「メリジューヌ!?」
このままではひきつけを起こしそうなほどに、メリジューヌは恐怖に戦いていた。
思わずテュポーンは、激しく藻掻く娘の身体を抱きしめる。
すると彼女は、徐々にではあるが落ち着きを取り戻していった。
まるで抱きしめられることにより初めて、ようやく父の存在を確認することができたかのようだ。
事実、暫くしてメリジューヌは、父の背に腕をまわし、
「お父様の大きな背中だ……」
と、現実を改めて確認するかのように、小さく呟いた。
そして次に、ヒタヒタとテュポーンの顔に手で触れる。
「あたしの知っているお父様の顔だ……」
「メリジューヌ?」
そんな娘の様子を、テュポーンは訝しむ。
「やっぱり……全部嘘だったんですね……。
お父様があんな怖い姿になるなんて……」
「――――!?」
娘の言葉にテュポーンは絶句した。
その顔色は瞬時に蒼白となっていく。
(私の真の姿を見られていたというのか……!?)
先程までのメリジューヌは、戦乱に巻き込まれ、そして命を落としかけたという事実に恐怖し、怯えていた――テュポーンはそう思っていた。
しかし実際には、父の存在そのものに怯えていたのだ。
「……メリジューヌ」
テュポーンは娘の名を呼んだ。しかし、それ以上の言葉を紡ぐことができなかった。
そんな彼にメリジューヌは問う。
「……お父様?」
「……なんだ?」
「お母様は……?」
「……!」
それは今のテュポーンにとって、最も聞きたくない言葉であったのかもしれない。
今、妻の死を娘に告げるべきかどうか――彼にはそれが判断できなかった。
「どうしたの、お父様?
お母様は?
ねぇ、お母様いるんでしょう?
だって、だって……この嘘つきの目が見たことは、全部嘘なんでしょ?」
メリジューヌの声は次第に涙声になっていく。
「全部……嘘なんでしょ?
せめて声だけでも聞かせてください……。
もう……もう何も見えないんです……。
せめてお母様の声だけでも聞かせて、ください……」
「!?」
そんな娘の言葉にテュポーンは我が耳を疑った。
そして娘の顔を凝視する。
その透き通るような青い瞳をよくよく見てみれば、その視線の焦点は定まっていなかった。
(まさか……まさか……。
しかし、先程のメリジューヌは私の身体に触れるまで、私の姿を認識できていなかったのではないか?)
だからメリジューヌは見えない父の姿に、竜の姿を重ねて脅えたのではないか。
そのあまりの精神的なストレスが――真実を受け入れたくないという強過ぎる想いが、彼女の視力を奪ってしまったのではないか。
医学的な症例としては全く有り得ない話ではないが、それはテュポーンにとっても受け入れがたい現実であった。
「メリジューヌ……私の顔が見えるか?」
恐る恐るテュポーンは問う。
しかし、娘から返ってきた言葉は、
「……暗くて何も……何も分かりません……。
でも、いいんです。
こんな嘘ばかり見せる目なんていりません……」
「――――!!」
テュポーンは言葉を失うしかなかった。
そして、いつまでも何も答えぬ父の様子に、メリジューヌの不安は増大していく。
徐々に彼女の口からは嗚咽が漏れ始め、それはいつしか号泣に変わる。
そんな娘の泣き声を聞きながら、テュポーンは茫然としするしかなかった。
彼には「娘」という最後の希望の光が、残されたはずだった。
この希望を支えにすれば、再び生きて行けると彼は思っていた。
だがこの時の彼は、その光すらも失ってしまったような気がしてならなかった。
そして娘が生きている以上、彼は死に逃げる道も失っていた。
結局、テュポーンに残されたのは、深く傷つけてしまった娘と、タイタロスの地に対する贖罪の日々だけであった。
明日は更新をお休みする予定です。




