―災禍の後の希望―
前回の続きでは無く、回想に入ります。
遠い日――タイタロスが再び焦土と化した後。
テュポーンは焼け野原を、彷徨っていた。
周囲には無傷な物は、何一つ存在していない。
それは人間の作り上げた物だけではなく、山々などの大自然の創造物までもが、無惨な傷痕を残している。
しかしそれにも関わらず、生き残った人々の姿が時折見ることは、全てが死に絶えていてもおかしくはないと思っていたテュポーンにとって、意外な物だった。
それほどまでにこの地を襲った災いは――彼の真の能力は巨大だったのだ。
だがそれでも、多くの人々が生き残っている。
(人間は強い……)
と、テュポーンは思う。
どんなに極限の状況に追い込まれても、人間は簡単に死に絶えたりはしない。
たとえこの惨劇の記憶が、人々の心に絶望の影を落としたとしても、結局はそれも100年にも満たない寿命と共に潰えていく。
ましてやこれより生まれ育っていく子供達には、その惨劇によってもたらされた絶望や苦しみを真に理解することはできないだろう。
それが故に過去の昏い影を引きずること無く、未来に希望を見いだしていけるのだ。
だから人間という種は、何度倒れてもいつかは立ち直る。
だが、テュポーンは違った。
彼はこの先、今日というの日の絶望を数百、数千、あるいは数万年に亘ってその寿命が続く限り、背負っていかなければならない。
その苦しみは、時と共に薄まっていくことはあるのかもしれないが、しかし決して彼の心から払拭されることは無いだろう。
それならばいっそ、自ら命を絶った方が楽なのかもしれない。
いや、事実テュポーンは、そのつもりだった。
そんな彼が未だに生き続けているのは、かつて生きることに絶望していた幼き日の妻を救った言葉――、
「せめて墓だけでも造って、弔ってやったらどうだ?」
そんな彼自身が口にした言葉が、彼の脳裏にこびりついていたからだ。
もしもその言葉を覆せば、妻に対しての重大な裏切りになってしまうような気がした。
それが故にテュポーンは、妻と娘の弔わずに、死ぬ訳にはいかなかった。
しかし、凄まじい劫火に包まれて焼け落ちた町だ。
そこに人の遺体が焼け残っている可能性は低い。
だが、だからといって、簡単に諦められるものでもない。
どのみちテュポーンには、無限とも思えるほど永い時間が残されており、この先やるべきこともなかった。
妻と娘を弔うこと以外には――。
たとえ妻と娘の遺体が見つからなくとも、気が済むまで捜して弔おう。
そしてその後は、静かにこの世界から消えていこう――。
テュポーンはそう考えていた。
そんな風に妻と娘の遺体を求めて彷徨うテュポーンは、焼けただれた町の一画に目を留めた。
そこには、奇跡的にほぼ無傷のまま焼け残った建物があり、多くの生き残った人々が集っていた。
テュポーンは何気なく、その建物の中を覗き込む。
どうやらそこは、仮設の診療施設となっているようだった。
勿論、まともに医療や治癒魔法を扱える者などいないだろう。
それどころか、薬や包帯などの医療品は、何一つ満足に揃ってはいないはずだ。
屋内のいたる所では負傷した者の姿が見られるが、ベッドが足りなくて、床に寝かせられている者も多かった。
それでも現状では、雨露を凌げる屋根があり、風を防ぐことができる壁のある室内に寝床を得られることは、傷病者にとってどれだけ有りがたいことなのかは容易に想像が付く。
多くの人々が、更に多くの負傷者の治療にあたっていた。
技術や物資は圧倒的に不足してはいるが、それを打破せんとする想いで、足りない物を少しずつ補おうとしているかのように、忙しなく治療行為を続けている。
怪我人の半数以上はかなりの重傷を負っていた。
その中の幾人かは、遠からず命が尽きることが疑いようもないほど惨たらしい傷を負っていた。
それでもこの中から、確実に立ち直っていく者がいることも間違いない。
また、中にはこの町を最初に襲った兵団の兵士の姿もあった。
町の人間達にとっては、憎むべき敵であったはずだ。
しかし、怪我をして苦しんでいる者に、敵味方の区別など無いのだろう。
そしてこの破壊し尽くされたタイタロスを、再び復興させていく為には、1人でも多くの人々が力を合わせていかなければならないことを、皆は心の何処かで理解しているのかもしれない。
今は争っている場合ではないのだ──と。
このような惨劇の最中にあっても、希望の芽は至るところで見られた。
だが、このような惨状を生み出した当人であるテュポーンにとっては、愕然とするしかない光景でもあった。
しかしそんな彼にも、希望の光は残されていた。
「メリジューヌ……!」
テュポーンは横たわる負傷者達の中に、娘の姿を見つけた。
まさかあれだけの傷を負って――少なくともテュポーンには人間が生きていられるような出血量には見えなかった――娘が生き延びていようとは思ってもいなかった。
だが、メリジューヌも父から、竜としての強大な生命力を受け継いでいたとしても、なんら不思議ではない。
そのことを失念していなければ、テュポーンは激しい絶望と怒りにまかせて心を暴走させ、タイタロスをこのような惨状に陥れることも無かったのかもしれない──と、悔やんだ。
だがそれ以上に、全てを失ったかに思えた彼にも、残されたものがあった。
その喜びがどれほどのものだったのか、それは筆舌につくしがたい。
テュポーンは逸る気持ちを抑えつつ、急に近づけば蜃気楼の如く消え失せてしまうのではないかと脅えているかのように、怖々とした足取りでメリジューヌへと歩み寄った。
テュポーンは何処か茫然とした表情で床に蹲っている娘に、喜びの興奮の為か、わずかにかすれた声で呼びかける。
「……メリジューヌ」
そんな父の呼びかけに、茫然としたようなメリジューヌの表情は、劇的に変化した。
しかしそれは、父との再会を喜んでのものではなかった。




