―胎 動―
時をわずかに遡る。
「…………」
テュポーンは無言で、周囲を見渡した。
そこは彼がもう百年以上も暮らしてきた居城であり、見慣れた場所であるはずだった。
しかし、その全てが一変していた。
彼を取り囲む堅牢な石造りの壁には、縦横無尽に管が拡がっていた。
それは生物の血管のようでもあり――いや、あるいは血管そのものなのかもしれない。
それは心臓の鼓動の如く、わずかに脈打っていた。
管は城内に転がる無数の遺体に根を下ろしており、その管と繋がれた遺体は死亡してまだ間もないはずなのに、既に干からびた木乃伊へと風化しつつある。
(この管が死体を養分として、吸収しているのか……?)
テュポーンのそんな推測は、間違いではあるまい。
先程もこの城に集う無数の動く死体の姿を、彼は目撃していた。
「一体何の為に……?」
その時はそう疑問に思ったテュポーンであったが、このおぞましい光景を目の当たりにして、その意味を理解した。
(この養分の行く先に、奴がいる……)
テュポーンは管の伸びてくる城の奥の方へと進んだ。
奥に進むにつれて管の量は増え、収束し、壁面が見えぬほどに周囲を覆ってゆく。
周囲はまるで、生物の体内であるかの如き様相を呈していた。
やがて彼が辿り着いたその場所は、城の最上階――王の間であった。
「おかえりなさぁい、テュポーン」
王の間の奥から出迎えの声──。
「……貴様」
テュポーンは低く、怒りを押し殺した声で呻く。
そんな彼の視線の先には、女が玉座に座していた。
いや、果たしてそれを、「女」と呼んで良いのだろうか。
それは縦に裂けた腹から大量の管を吐き出し、その管はこの王の間を――城全体を浸食し、覆い尽くそうとしている。
あるいは、その「女」に見える部分は、この城に巣くう巨大な生物のほんの欠片にしかすぎないのかもしれない。
「エキドナ……これはなんの真似だ……?」
「うふふふーっ、気に入ってくれたかしらぁ?
あなたの為に、用意周到に準備してたのよぉ。
おかげで作戦は、大成功ってところかしらぁ?」
「ふざけるなっ!!」
戯けた態度のエキドナに対し、テュポーンは怒号を発する。
「別にふざけちゃいないわよぉ。
あ、それと上に気を付けた方がいいわよぉ」
「!!」
テュポーンの頭上から、リチャードが襲いかかる。
しかしテュポーンは動じる様子も無く、重い剣の一撃をリチャードへと叩き込んだ。
直撃を受けたリチャードは凄まじい勢いで吹っ飛んで壁に激突し、それでも勢いは止まらずに壁を突き破る。
突き破られた壁の向こう側は屋外であり、100m近い上空に投げ出された彼は、そのまま地上目掛けて落下していく。
「………………」
テュポーンはリチャードが消えた壁の外を、無言で見つめていた。
そんな彼の足下に、ポタリと、血の滴り。
それは更にポタリ、ポタリと続く。
「らしくないわねぇ。
わざわざ忠告してあげたのに、それでも手傷を負っちゃうなんて。
やっぱりあなたでも、冷静さを無くしちゃうことがあるんだぁ?」
楽しげな表情のエキドナに対し、テュポーンは忌々しげな視線を向けた。
彼の肩口にあったはずの鎧の肩当ては砕け、更にその下にある皮膚すらも大きく裂けていた。
いや、それどころか、肉が丸ごと抉り取られている。
リチャードが食い破ったのだ。
もっとも、それは竜の能力ですぐに再生できる程度の傷ではあった。
だが、テュポーンから奪われた物は、ただの肉片ではないのも事実だ。
「ふふ……これで、あの子は四天王全員の血を手に入れたのよね。
どんな風に化けるのか、それとも何も変わらないのか、ちょっと楽しみだわ」
「そんなことはどうでもいい……!」
テュポーンは更に鬼気迫る表情となった。
そのあまりにも激しい怒りと殺気に満ちた表情は、人の顔の造形でありながらも、人の顔に見えないほどだ。
まさに鬼の形相である。
「貴様……このようなことをして、ただで済むと思っているのか?」
「あははは、怖い顔ぅ。
でもそれだけに、あなたがどれだけ悔しい想いをしているのか、手に取るように分かるわぁ。
あたしはその顔が見たかったのよぉ」
エキドナはテュポーンの凄まじい殺気を受けてなお、平然としていた。
むしろ、先程からすこぶる上機嫌だ。
「ふっふっふ……。
いつかあなたを泣かしてやろうと思っていたけど、ようやく実現できそう。
ホント、つくづくあなたのことが気に入らなかったのよねぇ。
この身体の夫になった時だって、この身体には見向きもしなかったし」
「……当然だ。
ティアマットが勝手に決めた婚姻に、従わなければならない理由など無い」
「……あなたってば、いつもそうだった。
自分が強くなることばかりに夢中で、他者のことなど見向きもしないし、力があるから私にもすぐ逆らう。
ホント、もう生意気っ!」
ここにきて、初めてエキドナの顔に怒りの色が浮かぶ。
「あなたの身勝手の所為で、ホントに苦労したわ。
私達はもっと強力な子を、育まなければならなかったのに……」
「ふん、力の強大な者同士を番わせて、より強い子孫を残すという、ティアマットの主張か。
貴様が姉の遺志にこだわる気持ちも、今となっては分からぬでもないが……くだらんな」
「くだらない……?
くだらなくなんてないわっ!」
テュポーンの言葉に、今度はエキドナが激高する番だった。




