― 母 ―
「え……と、何、その格好?」
リザンは酷く怪訝そうな視線を、熊に扮した母へと注いだ。
「ただの毛皮よ。
ほら、この前狩ってきたやつ。
あの悪ガキ共の度肝を抜くには、丁度良いと思って着込んでみたの。
実際、戦意を喪失させたのだから大成功よね。
それよりも大丈夫だった、リザンちゃん?」
「………………あ、あんまり……」
そう答えるリザンの服は土に汚れ、顔にも殴られてできた痣があった。
確かに彼女は、手酷くやられてしまった。
だが──、
「おのれぇ……あいつらめ。
私の大切なリザンちゃんになんてことを……!
今度、徹底的にこらしめてやるわ!」
「もう……十分だと思うよ……?」
トドメを刺したのはベルヒルデだ。
おそらく子供達にとって、熊に襲われそうになったという恐怖は一生もののトラウマになるかもしれない。
そしてそれは、リザンも例外ではないだろう。
彼女は言いにくそうに、母へと突っ込みを入れた。
それでも目ざとく娘がイジメられていることを嗅ぎ付け、すぐさま助けに来てくれた母の気持ちは、リザンにとって嬉しかった。
だから彼女は、いそいそと熊の毛皮を脱ぎにかかっている母に抱きつく。
「ありがとう、母様」
「……どういたしまして」
素直な娘の感謝の言葉を受けて、母は嬉しそうに目を細める。
そんなベルヒルデの身体は、熊の毛皮を脱ぎ捨てて一回り小さくなった。
とは言え、それでも170cm以上の上背がある。
が、その長身の割には、体つきは華奢な方だろう。
また、腰まで伸びた美しい銀髪や、気品に満ちた繊細な顔立ち、そして宝石のような紅い瞳など、容姿だけならば一流の貴婦人としても通用しそうな要素を、ベルヒルデは多分に有していた。
実際、彼女は黙ってさえいれば、まるで貴族の令嬢か王族の姫君であるかのような雰囲気を醸し出すことがある。
あるいは実際に、人間の社会ではそのような立場にもあったのかもしれない。
そんなベルヒルデと並んでいると、リザンは本当に母親とよく似ていることが分かった。
髪と瞳の色の一致を差し引いても、一見して親子と分からぬ者はおそらくいないのではなかろうか。
だからベルヒルデを見れば、リザンの将来の姿は容易に想像できた。
おそらくリザンも、さぞかし美しい娘に成長することだろう。
しかし今のリザンの姿からは、ベルヒルデのような美しい将来の姿ははあまり想像できなかった。
はっきり言ってボロボロだ。
「しかし、また、やられたわねぇ……」
「うん……」
ベルヒルデの言葉に、リザンは歯切れ悪くそれだけを言うと、黙りこくってしまった。
やはり自身がイジメられている現場を、親には見せたくなかったというのが本音だろう。
(本当に困ったものだわ……)
リザンが他の子供達からイジメられているのは、ベルヒルデも知っている。
だが、彼女にはどうしたら良いのか、それが分からなかった。
イジメた子供達を叱れば、それは親の──ひいては一族の更なる反感を買いかねない。
娘のことを思うと、これ以上立場を悪くするのは避けたかった。
だが、このまま泣き寝入りするのも腹立たしいことだ。
本来ベルヒルデは、自らへの理不尽な扱いに対して我慢しているような性格ではないのだ。
事実、彼女はリザンをイジメる子供達へ、親達に気づかれぬようにやんわりと――彼女の基準で、というというに少々問題はあるが――警告、あるいは報復を与えたこともある。
その一例が先ほどの熊への扮装だ。
……それでも根本的なイジメの解決には、未だに至ってはいない。
結局、彼女達母娘が一族の者達に受け入れてもらえるようにする為には、沢山の時間をかけてお互いのことを理解し合って行かなければならなかった。
それはまだ、数年以上の時間を要するかもしれない。
だから今のベルヒルデにできることは、リザンを慰めてあげることと、そして謝ることだけだった。
「ごめんなさいね……。
私が人間なばかりに、リザンちゃんにまで辛い思いをさせて……」
「……っ!
母様は悪くないよ!?
母様は悪くないっ!」
リザンはそう言ってくれるが、ベルヒルデはやはり自分が悪いのだろうと思う。
彼女はベーオルフの元に嫁いで来た当初、斬竜剣士の一族から迫害の憂き目に遭っても、夫と一緒ならばそれぐらいの不幸はなんでもないと思っていた。
それにいずれは切り抜けられるという自信もあった。
だが、子供が生まれ、その子供が不遇な目に遭うのはどうしても辛い。
ベルヒルデも異種族のベーオルフとの間に子供が授かることがあるなどとは、半ば思ってもいなかった――というか、まだ少女と言っても差しつかえない年齢だった彼女には、自分が母になることなど想像もできなかったのかもしれない。
しかし人の子の親になるのは簡単なことなのかもしれないが、親としての責務を果たすこととなると、話は全く違う。
その過酷さに耐えきれずに、自らの子を殺めてしまう親も少なくはないという。
決してなりゆきまかせの安易な気持ちだけでは、務まるものではなかった。
だからこそ周囲の人間の、親身な協力が不可欠だと言えるのだが、この里ではそれが期待できない。
この里は人間が子育てをするには、劣悪ともいえる環境だった。
そのことを念頭に置かずに子を儲けてしまったのは、ベルヒルデにとっても、ベーオルフにとっても、思慮が足りなかったと言わざるを得ない。
それ故にせめてもの罪滅ぼしにと、ベルヒルデは娘に対してこの上ないほどの愛情を注いで、育ててきたつもりだ。
それはこれからも続くだろう。
「……リザンちゃんは偉大なるベーオルフの血を引いているんですもの。
きっと皆が認めてくれる時がくるわ。
その時までどんなことがあっても、私がリザンちゃんの側にいて護ってあげるから。
だから負けないでね、リザン……」
「う……ん」
リザン目に涙を滲ませて頷く。
母はリザンに対して、決して嘘を吐かなかった。
彼女が護ると言ったのならば、本当に命懸けでリザンを護ってくれるだろう。
だからリザンも、そんな母の思いに応える。
「……あたし負けないよ……。
母様の為にも……!」
「うん、リザンちゃんは強い子だものね」
娘の健気な言葉が、ベルヒルデには嬉しい。
辛い境遇であるはずなのに、未だに前向きな心を失わない娘の姿を見ていると、彼女の方が逆に励まされたような気持ちになった。
「さて、お家に帰りましょうか。
あなたなら傷は今日中に治ると思うけど、一応手当してあげるわ」
「うん」
そして2人が家路に戻ろうとすると、その前方で先ほど逃げ出した子供達が、遠巻きに親子の様子を窺っていた。
今ブログで連載中の『おかあさんがいつも一緒(pixivには漫画版も有り。更新頻度は超遅いけど)』でも奇天烈な母親キャラを描いていますが、ベルヒルデはその元祖ですね。




