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―出会い―

「――――――!」

 

 2日後、テュポーンが一仕事を終えたその帰り道、そこで見た光景に彼は愕然とした。


 道の真ん中に男が倒れている。

 数日前、テュポーンを襲った男だ。

 しかもその場所は、テュポーンが最後に彼を見た場所から、さほど離れてはいなかった。

 

 どうやら、男は娘の元に戻ろうとはしたものの、その道半ばで息絶えてしまったらしい。

 その死因はなんらかの疾病によるものなのか、それともあの後で何者かに襲われたのか、それは一見しただけでは分からなかった。

 

 ただ、テュポーンが負わせた腕の傷が、原因である可能性はかなり高かった。

 本来は死に至るような傷ではなかったはずだが、栄養を失調し衰弱していた男の身体にとって、相当な負担になってしまったことは否定できない。

 

 そしてそんな男の亡骸(なきがら)の脇には、10歳くらいの少女が茫然とした表情で座り込んでいた。

 男の娘だろうか。

 

 少女の小さな身体は、泥だらけだった。

 おそらくいつまでも戻らぬ父を捜す為に、衰弱してまともに動かなくなった身体を押して、ここまで来たのだろう。

 途中で力尽きなかったのが不思議なほど、その身体は骨と皮ばかりに痩せこけていた。

 

 しかし男が手にしていた干し肉の入った包みには、手がつけられていなかった。

 少女もその包みの存在に気が付かなかった訳ではないのだろうが、唯一の肉親を失った彼女にとって、最早空腹を満たすことも、生き延びることすらも、もうどうでも良くなっていたのかもしれない。

 

 事実、ここで少女が飢えを凌いで生き延びたとしても、彼女は未来に何の希望を見出すことはできなかっただろう。

 どの道、子供の身では再び食料を得る(すべ)は無く、また飢える。

 いや、飢えるだけならまだいい。


 保護する者がいなくなった今となっては、少女は身を守る術を持たず、容易(たやす)く野獣や犯罪者などの餌食とされてしまうだろう。

 仮に運良く生き延びたところで――いや、生き延びることが本当に運の良いことなのだろうか。

 

 この時代、幼い孤児が生き残る為には、何者かの庇護が必要だった。

 大人ですら生き延びることが難しい環境の中では、子供が1人で生きていくことは不可能に近い。

 

 しかし多くの人々は他人を養う余裕など無く、あえて子供を拾おうと考えるのは、人身売買を前提とした犯罪組織くらいだろうか。

 奴隷として売られれば、その生は悲惨を極めることになるのは想像にかたく無かった。

 特に女性であれば、単なる労働力としての奴隷ではなく、更に屈辱的な扱いが待っている。

 

 だが、そのような苦渋の道でなければ、小さな孤児が生き残る術は他に全く無いと言っても過言ではなかった。

 

「…………なんということだ……!」

 

 テュポーンは自らの行為の結果に、愕然とした。

 たとえ彼が意図しなかったことだったとはいえ、男の命を奪い、その娘を苛酷な状況に追いやってしまった。

 しかもそれは、今までにも似たようなことが繰り返されていたはずだ。

 一体彼の(あずか)り知らぬところで、どれだけの人間が苦しみ、そして命を落としたのだろうか。

 

 初めて感じる大きな罪悪感に、テュポーンは暫しの間、茫然と(たたず)んでいた。

 しかし、このままでは何も始まらない。

 テュポーンは迷いを振り払うかのように表情を引き締め、この親子の為に用意した食料が入った鞄を少女の方に差し出した。

 

「…………食料が入っている」

 

 しかし少女はその言葉に、何の反応も示さなかった。

 

「食べなくては死ぬぞ? 

 それでもいいのか?」

 

 その言葉にも少女は反応しなかった。

 いや、1分近く間を置いた(のち)

 

「………………いい」

 

 ボソリとかすれた声で応える。

 

「いい訳があるものか。

 死んでしまっては、何もできなくなるのだぞ?」

 

 少女はテュポーンに目を向けた。

 その目にはなんの感情も籠もらず――いや、そうではない。

 本来あるはずの幾つもの感情の色は、絶望──ただその一色に塗り潰されていた。

 その目には「もう、生きていたって仕方が無い」と、言外に語っているように見えた。

 

 だが、構わずテュポーンは言葉を継ぐ。

 

「お前は、お前の為に命を懸けて食料を得えようとした、父のその想いを無駄にして死ぬのか?」

 

 ピクリと、無表情だった少女の表情がわずかに揺れる。

 

「それにお前は、父親をこのままにして死ぬのか? 

 このままでは、いずれ(けもの)に荒らされる。

 それでもいいのか? 

 せめて墓だけでも作って、(とむら)ってやったらどうだ?」

 

「お……墓…………?」

 

「そうだ、その為には、まずお前がもう少し生きなければならない」

 

 少女の表情がまた揺れる。

 自身の生命に対して未練を無くしてしまった少女も、父に対しての想いまでもが消えている訳ではないはずだ。

 そうでなければ、衰弱した身体を押して、ここまで父を捜しにはこなかっただろう。


 だから少女の父親に対する想いに訴えかけたテュポーンの説得の仕方は、(あなが)ち間違ったものではなかったはずだ。

 人は決して自身の為だけに生きている訳ではなく、むしろそれ以外の誰かの為に生きていることの方が多いのだから……。

 

 少女は小刻みに肩を震わせ始めた。

 目には徐々に涙が――。

 

「うあ……あ……あああ……!」

 

 そして少女の口からは、嗚咽(おえつ)が漏れ始める。

 それは父の死をようやく実感できたが(ゆえ)なのか、それともまだ続く人生への(おそ)れが故か。

 

「うああああああああああ……っ!」

 

 やがて、嗚咽は号泣に変わった。

 痩せ細った少女の身体の何処に、これだけの力があったのか、と思えるほどの激しい号泣。

 

 ともかく少女が泣けるのならば、一先(ひとまず)心配は無いだろう。

 人は泣くことによって、絶望や悲しみや怒りなど諸々の負の感情を吐き出し、やがて立ち直る。


 泣かないのは、生に絶望した者、自身の感情を殺した者、心の無い者、つまりは生きていない者(・・・・・・・)だけだ。

 少女はまだ生きる力を失ってはいない。

 

「ともかく……今は自らの回復に努めた方が良いな。

 その身体では何もできまい。

 ……お前の父は後で私が運んでおくから、とりあえず私の家に来て休め」

 

「………………」

 

 テュポーンの言葉に、少女はコクリと小さく頷いた。

 その日、テュポーンは少女を拾い、その時から戦うことをやめた。

 なお、以前のザンも泣くことができませんでした。

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