―不本意な生還者―
タイタロス皇国の王城は、いつにも増して重い空気に包まれていた。
アースガルへと偵察の任に赴いた皇女、メリジューヌが予定を大幅に過ぎても帰還せず、そして供の兵士唯独りだけが帰還したからだ。
王の間が怒気で満たされる──皇王テューポエウスの怒気に。
事件の報告の為に出向いた兵士──シン・スバル・ペルタニカは、床に額を擦りつけんばかりに、いや、実際に擦りつけるほど深々と平伏している。
シンは報告の最中、一度たりとも顔を上げることができなかった。
怒れる王の姿を見たが最後、それだけで命を落とすような気がしたからだ。
それほどまでに彼にとってのテューポエウスは、恐るべき存在だった。
事実、テューポエウスが放つ怒気によって、王の間の空気は室外に追いやられつつあり、兵士は錯覚ではなく、目に見えぬ圧力と息苦しさを実際に感じていた。
しかし彼は、命を落とすことが怖い訳ではなかった。
この城に単身で戻った時点で、既に死は覚悟している。
それができないのであれば、とっくの昔に遠い異国の地へと逃亡していたことだろう。
だがシンは、メリジューヌより賜った最後の命令を、まだ果たしてはいない。
果たせなければ、自らを逃がしてくれた彼女に対して、申し開きができなかった。
「――以上で御座います」
シンの報告は終わり、長く重い沈黙が続いた。
彼は祈るような気持ちで、王の審判を待った。
王は明らかに激怒している。
おそらく死罪は免れないだろう。
覚悟はできているとはいえ、やはりその裁断が下りるまでの時間を待つことは、凄まじく苦痛であった。
いつの間にか、シンの全身が冷たい汗で濡れている。
やがて、テューポエウスは重く口を開いた。
「…………よく分かった。
追って次の任務を与えるが、それまでは存分に身体を休めるが良い」
そんなテューポエウスの言葉に、シンは一瞬キョトンとした表情になった。
が、すぐにそれを必死の形相へと変じる。
「へ、陛下、どうか私めに極刑をお与えください!!
殿下をお守りできなかった私には、最早生きる資格は御座いませんっ!」
「ならぬ」
シンの必死の訴えを、テューポエウスは一瞬の躊躇も無く退けた。
「私に生き恥を晒せと、仰せられますか!?
どうか御慈悲を……っ!」
「甘えるでないわっ!」
「――――っ!」
テューポエウスの怒号に、シンは身体を硬直させた。
「貴様はメリジューヌが死の危険を冒してまでして救ったその命を、捨てると言うのかっ?
メリジューヌの行為を無駄にするのか?
そんなことは許さぬ!
貴様に本気で罪を償う覚悟があるのならば、生涯ををかけて我が皇国の為に忠誠を尽くすがいい。
二度と死して、楽になろうなどとは思うなっ!」
その言葉を受けて、シンは暫くの間、茫然と王の姿を見上げていた。
そんな彼へテューポエウスは、穏やかな口調で告げる。
「悪いのはメリジューヌを襲った者よ。
貴様には死に値するほどの罪は無い。
それどころか、貴様のもたらした情報は、私にとって有益なものとなるだろう。
……礼を言うぞ」
「……あ、有りがたきお言葉、確かに拝領致しました!
この不肖シン・スバル・ペルタニカ、これより身命を削って、皇国の為に尽力致す所存で御座います……っ!!」
思わぬ労いの言葉を受け、シンは泣き顔に顔を歪め、深々と頭を下げた。
「うむ……もう下がるがよい。
いや、その前にアゾート将軍を呼んでまいれ。
重要な任務があるとな」
「は……はい」
テューポエウスの命を受けて、シンは慌てて王の間を後にする。
後に独り残されたテューポエウスは、暫くの間沈黙を守っていたが、彼は唐突に玉座の一部を握り潰した。
その顔は憤怒の表情に染まっている。
「そうまでして私を動かしたいか……エキドナよ!」
と、彼は怒りに震えた声でそう呟き、再び沈黙した。




