―邪 悪―
「なんのつもりですか……!?
それにその姿は……リザン様に対する冒涜です!」
「冒涜もなにも……これがあたしのありのままの姿だけどぉ?」
と、本物のザンでは有りえない邪悪な笑みを、ザンの姿をしたその女は浮かべた。
「見え透いた嘘を……」
「そんなことよりもさぁ……。
あなた達にこのまま国に帰られたら、困るのよぉ……。
悪いけど、死んでもらうわよ?」
女はゆっくりと、メリジューヌに歩み寄って行く。
「殿下、ここは私がっ!
早くお逃げくださいっ!」
生き残った男が、メリジューヌを庇うように、彼女の前へと踊り出た。
しかしメリジューヌはそれを拒む。
「いいえ、あなたがお逃げなさい。
あなたでは時間稼ぎにもなりません。
私が時間を稼ぎますから、その間に早くお逃げなさい」
「で、殿下……!
そんな訳にはいきません……!!」
「これは命令です。
このまま2人とも死ぬ訳にはいきません。
あなたは生き延びて、お父様にこれまでのことを1つ残らず正確に報告なさい。
そうすれば、お父様が必ずやあの者を討ち倒してくれます」
「しかし……っ!」
男はまだ逡巡する。
その瞬間、ザンの姿をした女は、男の顔面目掛けて手刀を振り降ろしてきた。
メリジューヌは男の前に慌てて割り込み、その手刀を槍の柄で受け止める。
「早くいきなさい、シン・スバル・ペルタニカっ!!
これ以上、私の足手纏いとなるつもりですかっ!!」
「…………っ!!」
そんなメリジューヌの叫びに触発されたかのように、シンと呼ばれた男は沈痛な面持ちで走り出した。
「殿下……どうかご無事でっ!」
「私も……無駄に死ぬつもりはありませんよ」
「それはどうかしらねぇ?」
女は自身の手刀を受け止めている槍の柄を、恐るべき力で押し返す。
「くっ……!」
メリジューヌは逆らわずに後退して、相手との距離をあけてから対峙した。
そんな彼女の顔には焦りの色が濃い。
(……多分……リザン様よりは強くない……。
でもアレには、リザン様には無かった殺気がある……)
相手の強さは、この際問題ではない。
人間を襲う意志の無い狼と、襲う意志のある犬――どちらが人間にとって危険な存在であるのか──それは間違いなく後者だ。
それと同様に、女はザンにできないことを躊躇無く実行することができる。
それがメリジューヌの殺害だとしても――。
そしてたとえ本物のザンより弱かったとしても、それがメリジューヌよりも弱いということにはならない。
「うふふふ……必死な顔しちゃってぇ……。
そんなに焦らなくても、もう予定通りにことは進んだから、ゆっくり遊んであげるわよぉ?
あの男がテュポーンに報告したら、テュポーンは動いてくれる」
「……?
何を企んでいるのですか?
リザン様に化け、てアースガルと我が国の関係を悪化させようとしているのでしょうが……。
しかしお父様は、あなたの思い通りには動きません。
報告を正確に聞けば、すぐに何かがおかしいと気が付くはずです。
お父様は必ずや裏に隠されたあなたの意図を看破し、あなたを倒すことでしょう」
「うふふふ……。
テュポーンを信じているのね。
確かにこれくらいのことで、騙されてくれるほど彼は馬鹿じゃ無いわよぉ」
と、女は楽しげに微笑んだ。
「でもね、あたしはずーっと昔から、テュポーンを知っているの。
あなたが生まれる前からね。
テュポーンは必ずあたしの思い通りに動いてくれるわ。
あたしの存在に気が付けば、なおのことね……。
そして、もうすぐテュポーンは怖くなくなる……!」
「あ、あなたは……一体……?」
メリジューヌの顔に脅えの色が浮かぶ。
彼女の生まれる前より、テュポーンを知るという女。
メリジューヌは既に、170年以上生きている。
そんな彼女を上回る年月を生きるこの女は、一体何者なのか。
そしてこの女から感じられる気配は、以前にもタイタロス城で感じたことがある。
「……ファーブニル様は、お父様が邪竜四天王だと仰られていました……。
それが……じ、事実だとして……あなたはかつての父の仲間……。
つまりあなたは竜……ということなのでしょうか?」
震える声でメリジューヌは問う。
そんな脅えた彼女の表情を楽しむかのように、女は嗤った。
「あははっ!
さ~て、どうかしらねぇ。
とにかく、あたしの計画の為には、あなたに国へ帰ってもらっては困るのよねぇ。
だからあなたはもう用済み!
精々沢山苦しんで、あたしを楽しませるのよぉ!」
女は右手を大きく振り上げて叫ぶ。
「唸れ、大地よ!」
「!?」
女を中心として、半径10m圏内の大地が小刻みに震動を始めた。
あまりにも局地的な地震――。
「跳震!!」
女がそう叫ぶなり、大地の震動は瞬間的に何倍も、何十倍も激しい揺れとなってゆく。
「キャアアアアアアーッ!?」
あまりに激しい揺れによって、地面は地割れを起こし、更に無数の欠片へと分断された。
そしてまるで時化の海の如く荒れ狂い、メリジューヌを翻弄する。
しかし、女の足元だけは地震の影響を全く受けておらず、当然彼女の身に危険は及ばない。
そんな観客としての立場が保証されている余裕と、これから始まるメリジューヌを主演とした死の舞踏への期待からなのか、女は妖艶に微笑んだ。
「うふふふふ……」
メリジューヌは激しい震動によって宙に投げ出され、そして次の瞬間には地に叩きつけられる。
更にはその上に土砂や岩が降りそそいだ。
そんなことが、飽くことなく繰り返された。
「あうっ、ぐっ、くあっ、あぐうっ!」
メリジューヌの悲鳴が、次々と上がる。
それは傍目にみれば、踊っているように見えなくもない光景であった。
しかし最早彼女がこの激しい震動の中で、自らの思い通りに動くことは不可能に近く、脱出もままならない。
このままでは、メリジューヌの肉体は遠からず、大地にすり潰されることになるだろう。
後に残るのは、ズタズタに引き裂かれたただの肉塊だけだ。
まさに死の踊り――。
「いいわねぇ……その苦しむ表情……。
壊れていく姿……」
女は恍惚としたように目を細めた。
そして、さも可笑しそうに笑う。
「あはははははは!
踊れ踊れぇっ!
お前が雑巾みたいにボロボロになるまで、続けてあげるからねぇ。
あはははははっ、あはははははははっ!!」
そして、大地を揺さぶる轟音と女の狂笑の中で、メリジューヌの悲鳴は徐々に弱々しくかすれていった。
時は今まさに夕暮れ――逢魔ヶ刻。
そして世界の運命も同様に、夜の闇を迎えようとしていた……。
今回で6章は終わりです。次回から7章に入ります。




