―お忍びの大物―
「……何をやっているのだ……従姉殿は?」
フラウヒルデは会場の隅の方から、ザンの様子を見て呆れた。
そんな彼女の服装はいつもの騎士スタイルであり、全く飾り気がない。
どうやら彼女はシグルーンの身内としてではなく、警備員としてパーティーに参加しているつもりのようだ。
その証拠に帯剣もしている。
そんなフラウヒルデの側にあるテーブルでは、これまたルーフが料理を食べることに集中していた。
アースガル家と特別な縁も無く、一般庶民にすぎない彼は、会場の隅っこの人も疎らな場所へと、自主的に身を置いている。
だからこそ何者にも邪魔されることなく、食事に集中することができた訳だが……。
「ああ……、ザンさんったらパニくってますねぇ。
まあ、いきなりこんな豪勢なパーティーの中心に据えられようものなら、僕だって泣きますね」
なんだか情けないことを、ルーフはキッパリと言った。
「まあ……それは私も同感だが……。
しかルーフ殿もよく食べますなぁ。
今日はめでたい日なので、うるさくは言いませんが、あまりにも大食感なのはみっともないですぞ?
これからは少々慎みというものを、身に付けてもらいたいですな」
「ハ……イ」
ルーフは、「これでうるさく言ってないつもりなんだろうか?」と、内心で思いつつも、それを顔には出さないように努める。
そんな2人のやり取りに、笑みを浮かべながら歩み寄ってくる人物がいた。
「ハッハッハ……。
相変わらずだな、フラウヒルデよ」
「伯父上!」
歩み寄って来たのは、40代半ばほどの男であった。
中肉中背の身体を、高価そうな衣類で包み、若干皺の目立ち始めたその整った顔立ちには、気品はあるものの、やや軽薄そうな雰囲気を漂わせている。
「伯父上……。
一向にお見えにならないので、てっきり今日は欠席なのかと思っておりました。
先触れの使者を遣わしていただければ、一族総出で出迎えましたものを……」
フラウヒルデは恐縮したように頭を下げた。
「いや、良いさ。
今日は忍びで来たかのだからな。
あまり目立ちたくもないのだ」
「はあ、そうでしたか。
……あっ、ルーフ殿っ!
伯父上に挨拶なさい!」
突然の珍入者とフラウヒルデの会話を、きょとんとした表情で聞いていたルーフは、慌てて頭を下げた。
「あ……こんばんは」
「もっと、礼儀正しくっ!」
フラウヒルデはルーフの挨拶に対して、厳しい口調でダメ出しした。
伯父を前にして、かなり神経を尖らせているようだ。
「ああ、良い良い。
私は忍びで来たと言っているだろう。
それよりも、あまり和やかな場を壊すものではないぞ?
お前の方こそ少し控えたらどうだ、フラウヒルデよ?」
「はあ……済みません……」
再び心底恐縮して頭を下げるフラウヒルデ。
「……少しは軽く受け流したらどうだ。
本当に堅苦しいなぁ、お前は。
そういう生真面目なところは、弟にそっくりだよ」
「はは……そうですか?」
父親に似ていると言われたことが嬉しいのか、フラウヒルデは照れ笑いを浮かべた。
こういう時は年相応の少女の顔になる。
「さて、シグルーン様に挨拶をしてくるか。
それと新しくできた姪の顔も、見ておかんとな。
ではまたな、フラウヒルデ」
「はい。
あ……従姉殿は今まさに、とんでもないことになってしまったみたいなので、後にした方がいいですよ?」
「? ……そうか?
確かに騒がしいな。
まあ、いい。
取りあえず様子を見にいこう」
フラウヒルデの言葉に、彼は釈然としない表情を浮かべながら去っていった。
「……伯父さんなんですか……?」
おずおずと呼びかけてくるルーフに、フラウヒルデはキッとした鋭い視線を送った。
「知らぬこととはいえ……あのような態度を……。
今、命の綱渡りをしてしまったことにお気付きか、ルーフ殿?」
「えっ?
な、何を……?」
訳も分からずに困惑するルーフ。
「あの御方は我が父の兄上で、現クラサハード王国国王、アルベルト・クラサハード陛下であらせられるぞ」
「おっ、王様ぁっ!?」
思わず悲鳴じみた声をルーフは上げた。
「もしも伯父上が良識ある御方でなかったとしたら、あのような無礼な態度……処刑されても文句は言えませんな」
そんなフラウヒルデの言葉を聞きながらルーフは、
(僕、どうしてこんな凄い場所に、いるのだろう……?)
と、根本的な疑問を脳裏によぎらせ、そのまま思考を停止させていった。
順次視界も白濁してゆく。
元女王のシグルーンと付き合いがあっても、ルーフにとっての彼女は「変な人」という印象が強く、女王だったと言う話も実はちょっと疑っている。
また、自身が精霊族の女王の血を引いていることも、ただの貧しい宿屋の息子として育ってきた彼には、未だに実感が薄い。
だから彼にとって、王族――ましてや現役の国王は雲の上の存在と言っても過言ではなく、まだ竜の方が馴染み深いくらいだ。
そんなルーフにとって、国王との対面はあまりにも衝撃が大きかったようだ。
彼は立ちつくしたまま、白目を剥いて気絶している。
「あ? どうしたのだ、ルーフ殿?」
フラウヒルデがルーフの異変に気づいたその時、ドレス姿のアイゼルンデが慌てた様子でパタパタと走り寄って来る。
「フラウ!
リザン様が倒れたから運ぶのと介抱を手伝ってほしいって、お祖母様が……!
って……ルーフ君はどうしたの?」
白くなって固まっているルーフの姿に、アイゼルンデは小首を傾げた。
「ああ、今、伯父上と対面してな」
「なるほど……それは無理もない反応ね……」
アイゼルンデは、得心がいったように頷いた。
フラウヒルデはヤレヤレと肩を竦め、
「ルーフ殿、いい加減に正気にお戻り下さい」
と、ルーフの肩を揺さぶった拍子に、彼の身体はグラリと傾く。
「あ!」
今度はルーフが昏倒する番であった。
「……アイゼ、母上には『私も忙しい』と、伝えておいてくれ」
フラウヒルデは大きく嘆息しつつ、首を振った。
「……仕方が無いわね。
それにしても、今年のパーティーは随分と騒がしいこと……」
「うむ……。
だが、その分楽しい……」
「え?」
フラウヒルデの言葉に、アイゼルンデは小さく驚いた。
礼節と静かな日常を尊び、お祭り騒ぎなどの騒動を嫌う普段の彼女からは、考えられない言葉だった。
しかし、ほんの数ヶ月前、ザンは命を落としかけ、更にアースガル全域があわや壊滅するかもしれないという、未曾有の危機に晒されたのだ。
だからこそ、このお祭り騒ぎに酔いしれる人々の笑顔が、フラウヒルデには尊く見える。
この祭りを行えるのは、何よりも平和である証なのだ。
そう思えば、楽しくない訳がなかった。
だが、祭りはいつか終わる。
そして、祭りの後はいつも寂しいものだ。
そこに残されるのは、祭りの最中の熱気と陽気が嘘のように変貌した、冷たく重い静寂。
それと同様に、この城もいずれ静かになるだろう。
それはきっと、遠い先のことではないはずだ。
「ええ……楽しいわね……」
アイゼルンデはフラウヒルデを見つめながら、寂しげに微笑むのであった。




