―終わらない脅威―
「な……なにやってるんだ? お前ら……」
拍子抜けした様子のザンへ、ファーブは、
「いやぁ……。
ザンの指示通りに、逃げ遅れた人間達を町の外へ転移させてたんだけどさぁ……。
こいつが逃げていないことに気がついて、戻って来たところで奴の魔法に巻き込まれちゃって……。
とっさに結界を張っていなかったら、危なかったよ……」
と、弁明する。
「なんだお前、逃げてなかったのか?
ファーブがいなかったら、今頃は消し炭になっていたぞ」
ザンは呆れたような視線を、ルーフへと向けた。
自身はともかく、野放し状態の竜を目の前にして逃げ出さない者がいるとは、思ってもいなかったようだ。
「ご、ごめんなさい。
ザンさんが心配だったので、つい……」
ルーフは申し訳なさそうに肩を竦めた。
その縮こまった姿は、なんとなく飼い主に叱られた子犬を連想させる。
それを内心で可愛いと感じつつ、ザンは小さく唇の端を吊り上げた。
「心配してくれるのは嬉しいけどさ……。
いらぬ心配だね。
ほら、見なよ!」
「え?」
ルーフはザンが指差した方――ブロッザムの屍を見て、呆けたような表情を浮かべた。
彼はなかなか事態が飲み込めないのか、暫し茫然としていたが、やがて顔を青く染めながら、物言わぬブロッザムとザンの顔を交互に見比べ始める。
「あ、あなたが竜を倒したんですかっ!?」
ザンは「そうだけど」とでも言わんばかりに、クスリと笑う。
(う……嘘でしょお……)
ルーフにはその事実が信じられなかった。
竜の強さが具体的にどれほどの物なのか、それは彼の想像の埒外であったが、単純に計算してみても、竜に一掃された盗賊百数十人分をはるかに超越していることだけは確かである。
おそらく並の人間ならば、数万人が束になってかかっも、まだ竜の方が強いかもしれない。
その竜をただ1人の人間が倒せるなどとは、到底信じられるものではなかった。
しかし現実として、確かに竜の死骸がルーフの目の前に転がっているのだ。
誰かがこの竜を倒したことは疑いようも無いだろうし、その「誰か」に該当する人物が、この場にはザン以外に存在しないのも事実であった。
「あ、あなたは一体……?」
最早その強さは、人間の範疇に収まるレベルではない。
思わずザンを見るルーフの目に、脅えの色が混じってしまったことを誰が責められよう。
(……またか。
普通の人間の反応は皆こうだ……。
だけど私はこの能力に誇りをもっている。
父様から受け継いだこの能力に……)
だから人に怯えた目で見られても平気なのだ──と、ザンはその視線を気にはしない。
しかしその顔に、彼女自身でも気づかぬほどの微かな悲しみの色が浮かんだのを、ルーフは見たような気がした。
「あ……」
だからルーフは、とっさにザンへと謝ろうとした。
よくよく考えてみれば、竜を倒してくれたことに対して彼女に礼すらも言っていない。
彼女の意図した物ではなかったのかもしれないが、結果的に彼の父親の仇討ちをしてくれたのだ。
それはいくら感謝しても、感謝しきれるものではなかった。
だが、その時だ――、
唐突にザンの足下から、炎が螺旋を描くように噴き出し、彼女を包み込んだ。
「――!?」
その激しい炎の熱風は、ザンから10mほど離れた位置にいたルーフにも容赦なく襲いかかった。
直接炎に触れずとも、火傷を負うような高熱である。
「うわあっ!?
あちちちちっ!!」
ルーフは熱から逃れようと、転がるように――と言うか、まさに転がりながら物陰に隠れる。
「なっ、何だいきなりっ!?」
突然の事態に、ファーブも何が起こっているのかを把握できなかった。
ただ分かるのは、今ザンを包んでいる炎が、先ほどのブロッザムが放った攻撃魔法の炎とは桁違いの熱量を持っているということだ。
もしもこの炎が広範囲に広がっていれば、ルーフの命はおろか、結界を張れるファーブですら無事では済まなかったかもしれない。
それほどまでの炎が、ザン1人に集中している。
「ザン――っ!!」
ファーブが悲鳴じみた声でザンの名を呼ぶ。
ブロッザムの時と同様に、彼女が結界を張ってこの攻撃を防いでいるのならば、死にはしないだろう。
しかし今の炎は唐突すぎた。
もしも結界を張り損ねていれば、ザンは骨さえも焼け残らないかもしれない。
いや、たとえ結界が間に合っていたとしても、果たしてこの熱量に耐えることができるかどうか。
だが、ザンの安否が分かるまでには、そう長い時間はかからなかった。
炎は出現した時と同様に、唐突に消え失せたのだ。
そしてその場には、ザンの姿が燃えることなく残っていた。
どうやら最悪の結末だけは回避できたようだ。
しかし彼女は地面に片膝をつき、息が荒い。
更に身体のあちらこちらには、軽くではあったが火傷を負っているようだった。
「ほう……、あのタイミングで結界を張れるとはなかなかやるのう。
しかもあの熱量に耐えるとはな……」
何処からともなく、称賛の声があがる。
ザンにも聞き覚えのある声だ。
「お前……!!」
ザンは肩越しに、自らの背後に立つ者を睨みつけた。
そこにはカードの姿があった。
どういう訳か、先ほどザンに斬り裂かれたはずの傷痕は跡形もない。
「貴様は昨日、『それはお前の意志か?』と儂に問うたが、全ては間違いなく儂の意志じゃよ。
ブロッザムを操っていたのも儂自身の能力じゃし、加えて言うなら儂がブロッザムの分身なのではなく、ブロッザムが儂の分身だったということになるな。
言ったであろう?
儂がただの分身だと侮るなよ……となぁ。
分身どころか、儂こそが本体よ」
「お前……一体何者だ……?」
そう問うザンの表情は、緊張に凝り固まっていた。
カードの正体はまだ分からない。
しかし恐るべき能力を持つ者であることは、先ほどの炎の攻撃からも明らかである。
上級火炎魔法──渦旋炎熱流。
かつてこれと同種の攻撃を受けた経験が無ければ、ザンも対応はできなかったかもしれない。
しかも彼女が受けたその魔法は、渦旋炎熱流よりも格上の最上級魔法であり、それを邪竜最強種である闇竜によって繰り出された物だったが、今の攻撃に込められた熱量はそれ以上だ。
少なくとも、先程倒したブロッザム程度では扱えないレベルの炎だろう。
「何者か……。
それは儂の方こそ、貴様に問いたいね。
貴様は本当に斬竜剣士か?
生き残りなど、どう考えても有り得んはずなのだがな……。
しかし老いぼれた竜王に、新たな斬竜剣士を生み出せる能力が残っているとも思えぬし……。
ましてや側近共が創ったにしては、少々出来が良すぎるようだ……。
何故に貴様が生きているのか、詳しく話を聞かせてもらいたいものだな。
貴様が本物の斬竜剣士であるのならば、話している間に今受けた傷も回復できるであろう。
どうかね……?」
カードの言葉に、ザンは忌々しげに答える。
「ダメージを回復させてくれるとは、随分と余裕があるじゃないか……!
いいよ、話してやる。
でもその余裕を、必ず後悔させてやるからなっ!!」
ザンは確信した。
今目の前にいる者が、これまでで最強の敵であるということを。
だが、これから語る悪夢のような過去の物語は、ザンの持つ邪竜達への強い憎しみを再び呼び起こすだろう。
それはそのまま彼女の力の源となるはずだ。
相手がどれほど強かろうと関係無い。
(そうだ……!
たとえお前が何者であろうとも、絶対に後悔させてやる……!)
闇竜に関しては、本編終了後の「0章」に書かれています。なお、本編は11章まであるので、かなり先の話です。いや、その前に別の闇竜が本編にも出てきますがね。




