―ファーブのお誘い―
姪と叔母との間で「ちょっと泣ける話(?)」が展開されいる部屋から、数百mほど離れた場所に、シグルーンの書斎がある。
その書斎の中では、ルーフが魔法書を貪るように読み耽っていた。
彼がこの書斎の使用を許可されてから、そろそろ1ヶ月近くになる。
しかし、魔法書はいくら読んでもキリがなかった。
それも当然で、魔法書だけでも数百冊はある。
凄まじいまでの蔵書量だ。
また、読書が趣味であるルーフにとっては、魔法書以外でも興味深い本が多々あった。
過去の様々な英雄物語から、「夕食の献立ベスト100選」まで、中には「ベルヒルデ著・剣術秘奥義大全集」というとんでもない代物までもが、無造作に本棚に納められていた(ちなみに、これはザンが借りていった)。
この時代、印刷技術が発達していないが故に、本は大量生産することが難しく、非常に高価であった。
部数を重ねる手段にしても、人の手によって写本(要するに書き写し)するか、木の板などに文字や絵を彫り込んで版画の要領で刷るか……。
どちらにしても、オリジナルと寸分違わない物を作り出す技術は、殆ど確立されていない。
つまり、記されている内容こそ同じ本でも、オリジナルは世界で1冊しか存在しない貴重な物となる。
特に挿し絵や色付きの物となれば、更に複製することが難しく、それこそとんでもなく高額の値が付くだろう。
また、魔法の力を付与されている魔法書は、もはや貴金属以上の価値を持つに至っている。
そもそも本の材料となる紙からして、それほど大量生産されていないことから高価な物である。
そのことを考えれば、ここにある本だけでも、ちょっとした資産家の財産をはるかに凌ぐ価値を持つことは間違いないだろう。
それほどまでに貴重な本が、この書斎には山のように集められていた。
「こんな宝物庫とも呼べるような部屋を、僕みたいな赤の他人に開放してくれるなんて……。
こんなに良くしてもらって、本当にいいのかなぁ……」
と、ルーフは有りがたいと思う反面、畏れ多い気持ちになった。
実家の宿屋の客から貰った、写本のそのまた写本のそのまた……(以下延々と続く)と、複製を繰り返した為にオリジナルの物と内容が別物になっている質の悪い本や、町の学校(ちなみに、田舎の学校は教師も不足しており、文字の読み書き程度のことしか教えてくれないのが現状である)に置いてあったボロボロの古本しか読んだことが無い彼にとって、この部屋はまさに宝の山だった。
実際、ここの本を1~2冊盗み出しただけでも、数年は遊んで暮らせるだけの大金に換金できる。
本来、余程信用された人物でもない限り、この部屋には入ることはできないはずだ。
まあ、シグルーンのことだから、万が一ルーフが盗みを働いても、容易に犯人を捕縛できる自信があるということもあるのだろう。
それ以前に、シグルーンの日記が収められている書棚の貼り紙を見れば、盗む気には絶対にならなかったが……。
『読んだ者は磔、獄門!』
(………………た、多分、本気なんだろうな…………)
ここ1ヵ月半ほどの付き合いで、ある程度シグルーンの性格が分かってきたルーフは、その貼り紙を見る度に冷や汗を顔に伝わせる。
実際に「磔、獄門」を実行するかどうかはともかくとして、罰を与えるつもりがあるという意味では、シグルーンは間違いなく本気だ。
日記を読んだだけで「磔、獄門(要するに柱にくくりつけた罪人を、槍などで突き殺した上で晒し首)」である。
盗みなんぞ働こうものなら、その罰則は更に厳しいものとなるだろう。
おそらく「拷問を加えた上で火刑」ということになるのではなかろうか。
ちなみに火刑は、煙で窒息しないように気をつけながら火力を抑えて行うと、絶命するまでに数時間かけて苦しませることも可能という、最も残酷な処刑方法の1つである。
(火刑は嫌だな……。
それなら一瞬で終わる断頭台の方が……って、やっぱり、どっちも嫌だ……)
まあ、実際には恩赦を与えられて、かなり罰則が減刑されるのだろうが、それでも――、
(本気で命は無いかもしれない……)
と、ルーフは思う。
たとえ軽減された減刑が「鞭打ち刑」や「百叩き刑」でも、死ぬ時は死ぬのである(本当)。
それでもやっぱり欲しい本はあったし、魔術書を読破できない内に旅立たなければならなくなった場合には、その読めなかった分を持っていきたいという気持ちもあった。
だから、「こんなに沢山あるのだから、少しくらいはいいかな?」という誘惑を完全に払拭することには、結構苦労していた。
まあ、元よりルーフには、「盗み」などという大それたことができるような度胸は無いので、考えてしまうだけなら別に良いのでは……と、普通の人間なら思うところだが、そこで罪悪感を覚えて悩んでしまうのが、善良な彼らしいところだと言える。
「う~ん……、やっぱりその時は、シグルーンさんに頼み込んでみようかな?
借りられるか、安値で譲ってもらえたらいいんだけど……」
そんな風にブツブツと呟きながら、ふと読んでいた本から顔を上げると――、
「うわっ!?」
わずか数cmの眼前に、ファーブがいた。
「いい加減に慣れろ」
「……って、僕をわざと驚かそうとしてませんか?」
「まあ、そんなことは置いといて……」
ルーフの突っ込みを、ファーブは無視した。
「置かないで下さいよ……。
心臓に悪いんですから」
「取りあえず置いとけ。
ところでルーフ、さっきこの城を偵察しているらしい、怪しげな一団を見かけたのだがな……」
「えっ? そんなこと僕に報告されても……。
ザンさんか、シグルーンさんに言ったらどうですか?」
「言ったけど、あいつらは今取り込み中だ。
だからルーフに、解決してもらおうと思ってな」
「ええーっ、なんで僕がやらなくちゃならないんですかぁ?
ファーブさんなら、その怪しげな人達なんて、すぐに捕まえることができるんでしょう?」
そんなルーフの不平の声に、ファーブは決まり悪そうに答える。
「いや……、勝手な行動で何か問題を起こして、後でザンに怒られるのは嫌だし」
「僕だって嫌ですよ!?」
ファーブの理不尽な言葉に、ルーフはつい大声を上げた。
「もう……都合の悪いことを、僕に押しつけないでくださいよぉ……」
「まあまあ……。
だから、2人でやって、2人の責任ってことでさ……。
ザンやシグルーンは、お前には甘いから酷いいことにはならないって」
「え~、でもぉ……」
「それに、ザンは病み上がりで無理させたくないし、この城に居候している手前、アースガルの人間に迷惑をかけるのも悪いだろ?
それに習得した魔法も、そろそろ実際に使ってみたいんじゃないか?
本を読んでいるだけじゃ、上達しないぞ」
「う~ん…………」
ファーブの言葉にルーフは悩んだ。
確かに彼の言うことも一理ある。
だが、あんまり危険な真似をしたくはないというのも、彼の正直な気持ちだった。
とは言え、このまま正体不明の侵入者を放置すると、これまた後々大変な事態になりかねない。
「…………」
やがてルーフは、ちょっと困ったような顔を浮かべながら答える。
「その……怪しげな人達を、捕まえればいいんですよね……?
僕が失敗しても、フォローはしてくださいよ?」
それを聞いて、ファーブは満足そうに頷いた。




