―銀髪の異邦人―
また1人、町の住人が消えた。
たぶん最後の1人がいなくなるまで、こんなことは続く。
僕の2度目の順番がまわってくるのは、いつになるのだろうか?
その時が来るまでに何ができるのだろうか?
できなければ、僕の命は無駄に終わる。
そんなのは嫌だ……。
けれど、何をどうしたらいいのか分からない。
だから僕の心には、絶望が降り積もっていく。
また1人、町の住人が消えた……。
カッシャーン、カラララ……と、派手な音が室内に鳴り響いた。
突然背後からかけられた言葉に驚いた少年――ルーフは、思わず手にしていた木製のお盆を、取り落としてしまった。
「い、今なんと……?」
ルーフの顔は、俄に青ざめる。
だが、それでもなお、その顔から受ける印象は愛らしかった。
傍目にはちょっとボーイッシュな女の子にしか見えない容姿と、その姿に何ら違和感の無い高い声音を持っている彼であったが、その性別は確かに男性であった。
つまりルーフには、男性としての性徴がほぼ見られないのだ。
それはもうすぐ15歳にもなろうという少年にしては、「奇跡的」と言えるほどである。
その所為で10年近く前に病気で他界した母親に似て「可愛い」と、他人からはよく言われるが、その度に男の子としてはちょっと複雑な気分になるルーフ君なのであった。
そんな奇跡の美少女顔には今、脅えの色が浮かんでいた。
それを目の当たりにすれば、人によっては何かイケナイことをしているかのような、後ろめたい気持ちを抱いてしまうのではなかろうか。
だがその一方では、嗜虐心をくすぐられる者も確実に存在するであろう。
ルーフが問い返した相手は、その後者に分類されるようであった。
「だからさぁ……竜のことについて、あんた知っているか?
……って聞いたんだけど」
何処か楽しげな声音で返されたそんな言葉に、ルーフは卒倒したい心持ちとなった。
ここは田舎びた小さな町「コーネリア」──その町外れにある、これまた小さな宿屋の食堂である。
その店、「精霊の憩い亭」は、少々寂びれた様相を呈していた。
それには当然の理由がある。
コーネリアは、広大な平原の真ん中にぽつんと存在する、農業を主幹産業とした人口2000人程度の小さな町である。
その歴史は、かつて戦争の猛威に追い立てられた難民達が、この地に逃げ延びた末に土地を開墾したのが始まりだったという。
それが約150年前。
長い年月が経過してはいるが、それでも遺跡・名跡や町独自の文化が生まれるほどの十分な歴史があるとは言い難い。
そもそも、無から生活の場を築かなければならなかった難民達には、生活の役に立たぬ無駄なものを形作っている余裕などなかった。
よって町には観光の名所となるようなものは何1つ無い。
つまるところ、観光目的で町へ来訪する者が皆無だと言っても良く、観光業は全く成り立たなかった。
せめて町の近隣に大都市や、遠方の土地とを結ぶ街道でもあれば、そこに行き交う人々が落とす金で、町の財政を潤すことも期待できたのだが、元々はただの戦災難民である開拓民達には、そこまで頭をまわすことができなかったのだろう。
あるいは戦乱に苦しめられた人々は、もう俗世間との関わりに嫌気がさしていたのかもしれない。
だからあえて周囲に都市どころか、小さな集落さえも殆ど存在しないような僻地に、町を形作ったのではなかろうか。
いずれにしても、町を交易の中継地として利用する行商人などもまた皆無に近い。
もっとも、コーネリアは完全に自給自足が成り立つほど産業が発達している町でもないので、不足した物資を運んでくる隊商もあるにはあったが、彼らが町に訪れる頻度は決して多いとは言えず、精々月に1回程度であった。
そんな訪れる者もまばらな町で、宿屋の経営が成り立つこと自体が奇跡的であった。
結果としてその営業形態は宿屋としてよりも、町の住人に対して食事や酒を振る舞う飲食店としての側面の方が強かったかもしれない。
が、どのみち小さな町の中での経済活動である。
得られる利益は、実にささやかなものだった。
そんな繁盛しているとは言い難かった「精霊の憩い亭」だが、半年ほど前に宿の経営者が死去し、息子が宿を引き継いでからは、更に経営が苦しくなった。
それもまあ無理からぬことで、その息子というのがまだ顔にあどけなさが残る14歳の少年、ルーフ・ジグ・ブリーイッドだったのだから。
しかも貧乏な宿屋には他に従業員を雇えるはずもなく、ルーフ独りで全てを切り盛りしなければならなかった。
果たして子供が独りで切り盛りしている店で、満足いくサービスを受けられると思う人間がどれだけいるだろうか。
そもそも前の店主があんな死に方をしたばかりである。
客の足は遠のく一方であった。
あるいは、それでも必死になって父の遺した店を守るルーフの健気な姿が、町の住人達にとってはあまりにも不憫で、それを見るのが辛かったというのもあったのかもしれないが……。
いずれにしても、ルーフがいかに努力しようとも、宿の経営を建て直すほどの儲けにはなっていない。
今迄は父が遺してくれたわずかばかりの遺産を切り崩してなんとかやってきたが、それもそろそろ限界に近づいている。
ハッキリ言って破産寸前だった。
そんな貧窮に喘いでいたルーフの宿に、約1ヵ月振りの宿泊客――他は食事のみの客ばかりだった――が現れたのは、もう夏も終わろうかという時期であった。
その客はまだ若い、20歳そこそこの女性であったが、その容貌は良くも悪くも少々風変わりだった。
彼女は革なのか、それともそれ以外の物なのか、一見しただけではよく分からない材質でできた黒いスーツを身にまとい、その上に簡易的な胸当てと紅いマントを装着していた。
おそらくは旅の傭兵か何かなのだろうが、不思議なことに武器らしき物は何1つ所持しているようには見えない。
傭兵――というのはルーフの勝手な推測だが――そんな職業柄なのか、それとも元々の性格なのか、彼女は言葉使いが少々荒い上に、仕草にも優雅さが欠けおり、まるで女らしさというものが感じられなかった。
どちらかと言えば、気の強い少年のような雰囲気を醸し出している。
まさにルーフとは真逆の印象だった。
それでもその鎧の下に見て取れる細身の体つきは、明らかに女性のものであったし、頭髪は本物の銀でできているかのように滑らかで美しい銀髪だった。
また、彼女の顔には猫科の動物を連想させるようなキツイ鋭さがあったものの、それが彼女の燃えるような紅い瞳の美しさを更に際立たせてもいた。
おそらく彼女のことを「美女」と評しても、誰も文句を言わないのではなかろうか。
無論、「黙っていれば」という条件付きではあるけれど。
そんな彼女は、宿帳に「ザン」と名前を記していた。
やはり名前も風変わりだと言える。
少なくともルーフは、このような名前の女性を見たことも聞いたことも無かったし、そもそも男性の名前としても珍しい部類に入る名前であった。
フルネームを表記しなかったことから考えると、ひょっとしたら偽名なのかもしれないが、こんな田舎町の安宿で偽名を使わなければならない理由なんて、彼には思い至らなかった。
――変な客。
ザンの特徴を総合して結論を述べると、その一言に尽きてしまった。
それでもルーフは上機嫌であった。
珍客に分類できそうな者だとは言え、久々の宿泊客である。
しかもそれがかなりの美人であったのだから、色恋沙汰には疎い彼でも、何となく期待感を覚えてしまったのも無理はない。
だが、その上機嫌も長くは続かない。
何事にも終わりはあると言うが、あまりにも短い春であった。
ある意味ヒロインはルーフです。いずれ女装もさせるしね!