―新しい道―
娘の頑なな態度に、シグルーンは呆れる。
「本当に堅っ苦しいわねぇ……。
あなたは私の娘なんだから、もっと甘えてもいいのよ。
そうじゃないと、私も寂しいもの。
だからあなたの信念が人の道に外れてさえいなければ、私は母としていくらでも協力しますよ」
「…………!!」
シグルーンの言葉に感極まったのか、フラウヒルデは目を潤ませながら、無言で再び頭を下げた。
(やっぱり、硬いわねぇ。
まあ、これも可愛いって言えば可愛いのだけど……)
シグルーンクスリと笑みを漏らした。
「ま、とにかく一旦座って落ち着きなさい。
今盛り上がったところで、仮にリザンちゃんが旅立つにしても、1ヶ月以上先の話だから」
「? 1ヶ月以上先とは?」
フラウヒルデは、母の言葉に首を傾げる。
彼女はザンの体調が完全なものになったら、すぐに旅立っことも有り得ると思っていたので、その言葉を訝しんだ。
「ああ、リザンちゃんには、1ヶ月半後にパーティーを開く……って、言ってあるの。
義兄様も呼んで、盛大にやるつもりよ」
「えっ、伯父上をですか!?
そりゃまた盛大な……。
でも、あまりハデにやると、従姉殿が嫌がるのでは?
伯父上を呼ぶような規模のパーティーでしたら、私でも逃げたくなりますが……」
「まあ、義兄様を呼ぶとはいっても、あまり形式ばった物をやるつもりはないし、ついでにいつものヤツも合同でやるからね。
祭りみたいなものよ。
どのみち、逃げようとしたところで、逃がさないけどね」
「はあ…………」
不敵に微笑むシグルーン。
そんな母の様子に、フラウヒルデは思わず従姉の運命に同情した。
(社交会デビューのパーティーが、いきなり伯父上が出席するような規模か……。
従姉殿も可哀相に…………)
「まあ……とにかく、残り約1ヶ月の間に、あなたは可能な限り強くならなくてはなりません」
「はい……!」
「そこで、あなたにこれを託そうと思うの」
と、シグルーンは机の引き出しから一冊の古ぼけた本を取り出し、フラウヒルデに向けて放り投げた。
「これは……?」
フラウヒルデが本を受け取ろうとした瞬間、シグルーンはさらりとその本の正体を述べる。
「姉様が書いた本よ」
「!? うわっ、とととととっ!
…………ふ~っ」
フラウヒルデは驚きのあまり、本を取り落としそうになった。
それでもなんとか本をキャッチして、ホッと息を吐き出す。
しかし、まだ心臓がバクンバクンと、激しく音を鳴らしている。
「な、なんて物を放り投げるのですか、母上!?
ベルヒルデ様が書いた本ならば、国宝級の品でしょう!!」
母の正気を疑い、フラウヒルデは吠える。
しかし、シグルーンはあっさりとそれを受け流して笑う。
「なんて、実は私が写本したものなんだけどね」
「それでも十分に国宝級ですよ……。
元女王という立場を、自覚してください……」
フラウヒルデはドッと疲れたように、ガックリと肩を落とした。
「それで……この本は一体……?」
「その本はね、暗殺術――正確には東方の「忍」とか言う隠密集団の様々な技術を、姉様が古い文献から書き写して編纂したものよ。
あなた好きでしょ、東方のは?
それをあなたにあげるわ」
「これを……暗殺術を……騎士である私に身に付けろと……?」
フラウヒルデは、ゴクリと唾を飲みこむ。
その顔には困惑の色が濃い。
「あなたになら、私がその本を託した意味が分かると思うのだけどねぇ?」
「…………」
それから2人の間には、数分間の沈黙が漂った。
フラウヒルデは本の表紙をジッと見つめながら、微動だにしようとしない。
シグルーンも娘の答えを急かすでもなく、ただひたすらに沈黙を守った。
「……確かに暗殺術とは、穏やかな物ではないですが……。
いえ、正道を尊ぶ我々騎士から見れば、卑怯で最低の忌むべき技術です……」
そこで言葉を区切ったフラウヒルデは、躊躇うように口を噤んだが、やがて意を決したように口を開く。
「それでも……ベルヒルデ様はこの技術を用いて、クラサハード帝国を、無血で倒したのですよね?
そして、我々騎士の業も1つの側面だけを見れば、殺しの技術です……。
要は使い方……使う者の心がけ次第で、良くも悪くもなるということですか、母上?」
「………………」
フラウヒルデの答えに、シグルーンは無言で右手の人先指をピンと立てて、その爪先に蝋燭のそれの如く、小さな炎を灯した。
「………………!?」
それを見たフラウヒルデの顔が、思いっきり引き攣る。
そして彼女は、
(自分は何か、間違ったことを言ってしまっただろうか?)
と、激しく後悔した。
忍術については、第3章でベルヒルデが、クラサハード帝国の皇帝暗殺未遂事件の時に活用しました。




