―旅立ちの予感―
「――――!!」
かなり標高が低くなってしまったモルタウ山の山頂で、フラウヒルデは茫然と立ちつくしていた。
彼女はかつての山頂を吹き飛ばした何者かの巨大な力には勿論驚いたが、これはまだ火山の噴火などの自然現象や、神々の時代に存在したという超高レベルの魔法ならば実現可能な破壊である。
無論、起こり得る確率は限りなく皆無に近いが、絶対に無いとは言い切れない破壊だ。
だから今のフラウヒルデにとっては、目の前横たわる存在の方が、より大きな驚愕の対象であった。
彼女の目の前には、常軌を逸した巨体を持つ生物の死骸があった。
さすがに1000m超の体長を持つ生物が存在するとは、彼女も生まれてこの方想像したことも無い。
「こ……こんなモノと戦っていたのか、従姉殿は……?」
ルーフという少年から、この水竜にザンは一方的に敗北したと聞いていたが、「これは無理もない」と、フラウヒルデは思った。
むしろこんな化け物と戦って、あの程度の怪我でよく済んだものだと驚嘆する。
「……母上の言う通り、従姉殿も随分と強かったのだな……。
確かに相手の力量を、もっと見定められるようにならないといかんな、私は……」
そう小さく呟いてフラウヒルデは、自らの修行不足を恥じた。
「しかし……このような怪物を……一体何者が……?」
何者がこの竜を倒したのか――それが彼女にとって、今1番確かめなければならないことだった。
結果としては何者かがこの水竜を倒したことによって、アースガルは救われたようなものだが、その何者かが敵か味方かハッキリしない状態では、まだ安心することはできない。
アースガルにとって、この水竜以上の脅威にならないとは言い切れないのだ。
「しかし……こんな真似ができるなんて、伝え聞くところのベーオルフ様くらいしか考えられんな……」
と、口に出してからフラウヒルデは、暫し沈黙し、
「……まさかな」
自身の考えを否定した。
斬竜剣士は邪竜王の呪いによって滅びたはずだ。
特に呪いの最優先対象であったはずのベーオルフが、最も大きな呪いの影響を受けていたと考えるのが自然だった。
混血児である為に呪いの影響が小さかったはずのザンでさえ、母の命を犠牲にしなければ助からなかったことを考えると、斬竜王が生き残れたとは考えにくかった。
そんな可能性の低い妄想を捨てて、他に有力な手がかりが無いものか──と、フラウヒルデが現場の見分を続けていると、
「…………!」
フラウヒルデは何者かの気配に気付く。
気配はリヴァイアサンの死骸の方からだった。
「何者だっ!?
姿を現せ!!」
強く呼びかけるが、気配がそれに従う様子は微塵も無かった。
「ならば、斬り捨て御免!」
フラウヒルデは気配の方へ走る。
それが何者なのかは分からないが、気配からは邪悪な臭いが感じられた。
ならば遠慮する必要は無い──と、彼女は判断する。
「烈破極撃斬!!」
リチャード戦の教訓から、フラウヒルデはいきなり最大の奥義で攻撃を仕掛けた。
剣先に闘気を集中させて、それを上段の構えから一気に振り降ろし、剣が目標に接触した瞬間に闘気を増幅させて爆発させる──「烈破極撃斬」。
最強の攻撃魔法の1つに挙げられる「烈破」の名を冠するだけあって、その威力は凄まじいものだった。
フラウヒルデの扇を受けて、既に腐肉と化しつつあるリヴァイアサンの死骸の一部は四散する。
しかし気配は消え名手。
その飛び散る肉片の中から、何者かが姿を現した。
「……いきなり恐ろしい技を、使ってくれるじゃないか」
「お、お前はっ!
生きていたのか!?」
空に翼を広げて滞空するリチャードの姿に、フラウヒルデは顔を強張らせた。
「クックック……。
そう気張るなよ。
今は戦う気は無い」
「何?」
「あの化け物の血肉を、沢山喰らったのでな。
身体に馴染むまでは、戦いたくないのだ」
「逃げるのかっ?」
フラウヒルデが叫んだ瞬間、唐突に前方の地面が弾け、彼女は吹き飛ばされた。
「ぐうっ!?」
「……逃げる必要があると思うのか?」
リチャードが撃ち込んだ烈風刃に、反応することができなかったフラウヒルデは、悔しげに呻く。
「……くっ!」
リヴァイアサンの能力を吸収したのだろう。
烈風刃の威力が、数日前とは桁違いだった。
しかもフラウヒルデでさえも、反応できないほど速い。
今戦えば、全く勝負にはならないだろう。
「最初は傷を癒やす為に奴を喰らったのだが……思っていた以上に力がみなぎっている。
クックック……今は更なる力を手に入れて、機嫌がいいのだ。
だから、生かしておいてやる。
だが、次は貴様ら一族を皆殺しにしてやるか……。
精々その時まで脅えているがいい!」
「…………!!」
リチャードの言葉にフラウヒルデは、答えることができなかった。
身体が竦んでしまっていたのだ。
それを察したのか、リチャードはニヤリと口元を歪め、次の瞬間にはけたたましく哄笑を上げ始める。
「ハーッハッハッハ、脅えているのか?
貴様のような未熟者でも、この俺の力の強大さが分かるのか。
クックック……素晴らしい。
こうなると、残る四天王の血肉も欲しくなってきたな……。
娘、待っていろ!
次に会う時は、今以上の力を見せつけてやるからな。
クックック……ハーッハッハッハー!」
哄笑を上げながら、リチャードは空の彼方に消えていった。
その場に取り残されたフラウヒルデは、力なく地に膝を落とし、両手を着く。
この上ない屈辱だった。
彼女は戦いにおいて、母以外の者に今まで負けたことが無かった。
それなのに短期間で同じ相手に、2度も敗北した。
しかしフラウヒルデは、勝負に負けたことが悔しいのではなかった。
本当に悔しいのは――、
(……恐怖に身を竦ませて、戦えなくなるとは……っ!!)
それが何よりも許せなかった。
それは騎士として、己の存在意義を揺るがしかねない醜態だからだ。
フラウヒルデは震える声で呟く。
「……あいつ、絶対に許さない……っ!」
騎士としての誇りを貶められたフラウヒルデは、雪辱を固く心に誓う。
それができなければ、彼女は武人として死んだも同然だった。
「あの男……従姉殿を狙っていたようだな……。
従姉殿と行動を共にしていれば、また出会えるだろうか……?」
フラウヒルデは長い間、リチャードの消え去っていった空を厳しい視線で見つめ続けていた。
そんな彼女の表情には、決意の色がありありと浮かんでいる。
ここに新たな旅路に誘われし者がまた1人――。
運命は交錯して行く。
まだ冷たくはあるが、微かに温もりのある風が吹く春も近い日の昼下がり――世界が辿る命運は、まだ何者も知りはしない。
ただ、少しずつ、少しずつ、その形が紡がれようとしていた……。
初期案では、ここでフラウヒルデが死亡する予定でした。
さて、今回で5章分は終わりです。次回から6章です。




