―生贄の儀式―
コーネリアの町の中心部にある広場には、生贄の祭壇が設けられていた。
その祭壇はそこに降り立つ竜に合わせて巨大な、しかも石造りの堅固な物となっている。
それはちょっとした砦か何かを、縮小したような印象であった。
太陽が天の中空に差しかかる頃、祭壇の周囲には町の住人達が、徐々に集まってくる。
彼らとてこれから始まる残酷な儀式を、好んで見物しようとしている訳ではない。
だが儀式に見せしめの意味もある以上、参加を幾度となく拒むことは、カードへの「反抗の意志あり」と見なされ、最悪の場合は新たな生贄にされかねなかった。
それが故に町の住人達は、仕方が無く集まってくるのだ。
その一方で、カードの部下など生贄となる可能性が小さい――決して皆無ではない――立場の者達の中には、酒瓶を片手に儀式を娯楽として見物する者も、少数ではあるが確かに存在していた。
それがルーフには、腹立たしく思えて仕方が無い。
(人間、他人事だと、随分と冷酷になれるんだな……)
と、ルーフは絶望的な感情に、心が支配されそうになった。
このような人間を見ていると、たまに自分が人間であることすらも嫌になる。
元々「人間が嫌い」という訳でもない彼でさえ、そう思わずにはいられないような現実がこの町にはあった。
ルーフは父が亡くなって以来初めて、この広場にやって来た。
実に半年ぶりである。
ここの風景は父が生贄にされたあの日の記憶を呼び起こす為、どうしてもこの広場へと足が向かなかったのだ。
勿論儀式の参加を拒み続けることは、カードの不興を招く可能性が大きいし、結果として父に助けられた命を危険に晒すことになる。
しかしそれでもルーフは、もうあんな光景を見たくはなかった。
再び見れば、自分の心は癒やすことのできない大きな傷を負ってしまうのではないかと思う。
いや、もう既に負っているのかもしれない。
今この瞬間も、この場にいるだけで身体は震え、ともすれば叫び声をあげてこの場から走り去りたくなるのだ。
心がなかなか平静を保てない。
だから本当は、今日もこの場所に来たくはなかったのだが、ザンのことが気になったので、仕方が無くルーフはここに来ている。
生贄は彼女自身が望んで招いた結果でもあるが、自身が語った話が切っ掛けで死ぬようなことになるのは、さすがに後味が悪過ぎた。
それにザンが何をやろうとしているのか、そもそも彼女が何者なのか、それが知りたかったのも事実だ。
(一体何をやる気なんだ?
あの人……)
ルーフにはザンが何をしようとしているのか、それが分からなかった。
もっとも、ザンがどのようなことを試みようとも、それが徒労に終わることはほぼ間違いない。
おそらく「竜に喰われる」という、絶望的な結末以外の選択肢は無いだろう。
それならばせめてザンが何をやろうとしているのか、それを見届けようとルーフは思う。
そしてできるのならば、彼女のやろうとしたことをいつか自分が引き継ごう――と。
それが今の彼にできる唯一のことであった。
それに微かな……本当に微かな希望ではあるが、ザンならば何かをやり遂げてくれるのではないか――そう思うのだ。
昨日のルーフがいつの間にか家に戻ってきていた時のように、何か常識では考えられないようなことがまた起きる――いや、彼女が起こしてくれるかもしれない。
そしてそれが、この町の悲惨な現状を打破する切っ掛けになれば――そんな微かな希望をルーフは抱いていた。
それから暫くして、広場にざわめきが広がった。
生贄が運び込まれてきたのである。
群衆が割れ、護送用の馬車が進むべき道を形作る。
勿論、それは予定されていた行動ではない。
人々にとってその馬車は、死者を運ぶ死に神にも等しい。
誰もあえて近寄ろうなどとは思わない。
また、馬車も群衆がそこに存在していないかの如く、その進行の速度を弛めたりなどしなかった。
人間の方が道を譲らなければ、確実に踏み潰されていただろう。
たかが護送用の馬車でさえも、カードの息がかかった物はこのような暴虐が許された。
やがて祭壇の前に停車した馬車から、ザンが降りてきた。
彼女は手枷に取りつけられた鎖をカードの部下に引かれ、ゆっくりと祭壇へと登っていく。
集まった群衆の中からは、「まだ若いのにかわいそう……」などと、同情的な声が上がってはいたが、まるでそれが当然のことであるかのように、彼女を救おうとする者は現れなかった。
結局、彼らが他人の為にできることは、同情までで精一杯だった。
そんな時折響く哀れみの声以外は無い静寂の中、ザンは物怖じした様子も無く、むしろ高揚したような表情を顔に浮かべながら、祭壇を1歩1歩確かな足取りで登っていく。
やがて彼女が10m近い高さのある祭壇を登りきると、そこには既にカードが待ちかまえていた。
「最後の夜は、よく眠れたかね?」
嫌味ったらしい口調のカードの言葉に、ザンも嘲るような笑みを浮かべながら応える。
「あんたこそ、最後の夜はよく眠れたかい?」
「……何?」
カードは怪訝そうな表情を浮かべたが、ザンはそれを完全に無視して、
「そんなことより、さっさと竜を呼んでくれないかな。
早くこの目で見てみたい」
「ぬう……。
そんなに早く死にたいか、この馬鹿者めが……。
まあ良い……今見せてやるわ」
カードは天に向かって、渋るように呪文を詠唱し始めた。
それから数分後、西の空に点のような影が見え始める。
それはよく目をこらして見ると、鳥の如く翼を羽ばたかせているように見えなくもなかった。
「ああ……間違いなく火炎竜だな。
火炎竜系の邪竜に出会うのは、7~8年ぶりだったかな?」
常人にはまだ点にしか見えない空の影を見ながら、ザンは楽しげに声を上げた。
しかし目には剣呑な光が宿り始めている。
そんなザンの言動を見て、カードは困惑する。
(なんだこの娘は?
この位置から火炎竜だと、確認したというのか?
それに過去に火炎竜に会ったことがあるだと?)
しかも出会った火炎竜が邪竜だという。
邪竜ならば目の前に現れた人間を、さしたる理由もなく襲う。
彼らは殺戮を楽しむのだ。
その邪竜に遭遇した人間が、生き延びることができる可能性は、決して高くはないだろう。
いや、皆無だと言ってもいい。
つまりザンの言葉が事実ならば、今ここに彼女が生きていることは奇跡に近いと言えた。
それに火炎竜に出会ったのが「7~8年」だというのが本当ならば、その頃のザンはまだ年端もいかない少女だったのではなかろうか。
ならばなおのこと、子供が邪竜から逃げることができるとは思えなかった。
そもそも何を根拠にして、カードが呼び出した竜を「邪竜」だと断定できるのだろうか。
普通の人間にとっては、「竜族」も「邪竜族」も、大差はあるまい。
事実、外見的な差異は、ただ一種を除いて存在しないと言ってもいい。
それにも関わらず、邪竜だと見抜いたこのザンという娘には、どうにも只者とは思えない部分が多すぎた。
生贄の祭壇のイメージは、マヤのピラミッドに似た感じです。
あと、「ただ一種を除いて」とされる邪竜については、次章に出てくるかと。




