―精霊との交信―
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リチャードから浴びせかけられた殺気に対して、ルーフは反応しなかった。
彼は未だに淡い光に包まれながら茫然としていて、周囲の物事が目に入っていないようだ。
それは母が精霊だったという事実に──そしてその精霊の力を、自らが行使できてしまったという事実に、気が動転していた所為ばかりではない。
ルーフはただ、言葉を聞いているだけだ。
そのことだけに、集中している。
(何だろ……この声?)
ルーフを包む光は、サワサワと彼に囁きかけているようだった。
ところが彼には、その囁きの意味が少しも理解できなかった。
それは大勢の人々が一斉に語りかけてきた所為で、言葉が混じり合っているようでもあるし、彼の全く知らない言語で語りかけられているようでもある。
とにかく言葉を聞き取ることはできず、その意味も分からない。
しかしその囁きに込められていた感情は分かる。
それは「歓喜」だった。
遠い過去に失われた者との再会を祝う――そんな喜びの念が感じられたのだ。
そして精霊達の言葉は、ルーフに意味を伝えることはなくとも、彼の精霊としての本質に浸透し、力を注いでゆく。
(あれ……?)
ルーフは精霊達の囁きを聞いている内に、彼の脳裏に蘇りつつある記憶の存在に気が付いた。
いや、彼がこんな記憶を持っているはずがない。
彼にはこんな体験をしたことも、こんなことを学習した覚えも無い。
そう、それは記憶なのではなく――。
「ひいっ!?」
その刹那、リチャードの放った「烈風刃」が、ルーフを襲う。
が、彼は間一髪で結界を形成し、その攻撃をやり過ごした。
「何ぃ!?」
不意打ちの攻撃を防がれたことに驚くリチャードを尻目に、ルーフは信じられないといった面持ちで茫然と呟く。
「能力の使い方が分かる……!」
ルーフの脳裏に蘇りつつある物──。
それは精霊としての本能であり、能力の使い方だった。
この危機的状況を切っ掛けにして、彼が生まれながらに備えていた能力が、目覚め始めたのだ。
そしてその能力の波動に誘われて集合した精霊の力が、更にルーフの能力の覚醒に拍車をかけている。
「それじゃあ……これをこうして……こう!」
ルーフは試しに精霊の力を掌に集中させ、リチャードへ向けて放ってみる。
「なっ?」
拳大の火球がリチャード目掛けて疾駆する。
彼は思わぬ反撃に反応が遅れ、火球の直撃を受けて地面に転がった。
「ぐうっ!」
「うわぁ……本当にできた……」
ルーフは自身が成したことが、未だ信じられない様子だった。
だが、多くの魔法が精霊の力を借り、人為的に様々な自然現象を発生させる物であるのならば、精霊の能力に目覚めた今の彼には、簡単な魔法を行使することは不可能ではない。
むしろ、容易いくらいだ。
ましてや今の彼は、身体を包む数百もの精霊の力が借りられる。
「やった……」
感極まったのか、ルーフはわずかに感涙する。
無力であると信じていた自身にも、確かな力があったのだ。
これならば、この場で死なずに済むかもしれない。
いや、彼にとってそれ以上に嬉しかったのは――、
「やったー! 僕にも『力』があるぞっ!
これでザンさんに、『足手纏い』なんて言われなくても済むんだぁ!」
ザンの役に立てることだ。
たとえこの場を生き延びたところで、自身の望みが実現できないのであれば、その生命の価値は大きく損なわれる。
だが、これで望みを実現できるという、当面の希望が見えてきた。
ルーフは幼い子供のように両手を上げて、今にも飛び上がらんばかりにはしゃぐ。
そんな彼に冷や水を浴びせるかのように、再び衝撃波が襲いかかった。
「うわっ!?」
「ガキがっ!
調子に乗りやがって」
またもや間一髪で結界を張り、難を逃れたルーフであったが、リチャードの怒気に満ちた視線を浴びてたじろぐ。
いかに精霊の能力に目覚めようが、実質的にはこれが初めての実戦だ。
その初戦の相手には、リチャードは少々危険過ぎる能力の持ち主である。
つまりまだ、安心するのは早計だった。
しかしそれでも、最早絶望的に力の差がある相手ではない。
(あの人さえ、余計な真似をしなければなんとかなるかも……)
ルーフは必死に頭を働かせた。
おそらく今の彼の実力では、リチャードを倒すことは不可能だろう。
となれば、逃げるが勝ちだが、簡単に逃がしてくれるような相手でもない。
単純に逃走するだけでは、すぐに追いつかれてしまう。
(なんとかして、リチャードさんの動きを止めないと……)
ルーフは状況を打破する為に、何か使えそうな物は無い物かと、周囲に視線を巡らせた。
そして――、
「できる……かな?」
そう呟いて、わずかに笑みを浮かべる。
何か良いアイデアを閃いたらしい。
「よぉーし!」
ルーフは左右の掌を交差するように重ねて正面に突き出し、そこに精霊の力を集中させる。
数百を超える精霊達の力も加わったその膨大なエネルギーは、リチャードでさえもギクリとさせた。
「それで俺を倒すつもりか……?
確かにまともに食らえばちと厄介そうだが……。
だが、無理だな」
リチャードは素早く結界を展開させる。
かつてファーブの放った超破壊魔法――烈破すらも完全にではないが耐え凌いだ結界だ。
ルーフの攻撃でどうにかできるものではないだろう。
しかしルーフはかまわずに、集中した力を撃ち放つ。
リチャードの足下目掛けて――。
「な? 何処を狙っている」
せせら笑う、リチャード。
しかしルーフの狙いは、正確だった。
決して目測を誤った訳ではない。
リチャードの足下に炸裂した攻撃は地面に亀裂生じさせ、それは間近の――とは言っても十数m以上距離が離れてはいたが――断崖へと繋がった。
「うおぉぉぉぉ!?」
結果、発生した大規模な断崖の崩落にリチャードは飲みこまれ、谷底目掛けて落下して行く。
「よぉし、成功っ!」
ルーフは会心の笑みを浮かべた。
これでリチャードを倒せたと思わない。
それでもいかに竜の血に侵された怪物と言えども、土砂の中から脱出するにはかなりの時間を要するはずだ。
「今のうちにっ!」
一目散に駆け出したルーフは、とにかく全力で走った。
が、リヴァイアサンの動きにだけは、細心の注意を払う。
相手は邪竜だ。
先程の「手出しをしない」と言う言葉を律儀に守ってくれるとは、到底思えなかったからだ。
しかしリヴァイアサンは、動く様子を見せない。
ただ、小動物を嬲るかのような、あの酷薄な笑みだけは、彼の顔から消えなかった。
(まだ……何かある?)
ルーフが嫌な予感に襲われたその時、彼の頭上を何かの影がよぎった。
「!?」
「やってくれたな……ガキがぁ」
空を仰ぎ見たルーフの視線の先には、宙に滞空するリチャードの姿があった。
背には黒い蝙蝠のような翼が確認できる。
「そんな……!」
ルーフは蒼白となった。
彼はリチャードが空を飛べるという事実を、すっかり失念していたのだ。
そんな彼へ、リチャードは狂暴な笑みを向ける。
「大したもんだよ、お前は。
褒美にあの女用の取っておきを、少しだけ見せてやるから泣いて喜べ!!」
そう吠えて、リチャードは横薙ぎに腕を振った。
 




