―予 兆―
リヴァイアサンの、「見逃してもいい」ともとれる発言。
――が、どのみちルーフには、その言葉をまともに聞いていられるような余裕は、欠片も無かった。
事実、リチャードが次々と繰り出す手刀での攻撃は、ルーフの身体へと確実に傷を刻み、その生命を着実に奪いつつあったのだから。
だがそれでも、致命的な直撃は未だに無く、ルーフは生きている。
確かにリチャードも、「ただの少年相手に、本気を出すまでも無い」と、ルーフを侮っていたのかもしれない。
しかもその侮っていた相手に攻撃をかわされたことで逆上してしまい、以降の攻撃は精彩を欠くものだった。
しかしだからと言ってそれは、なんの武術の心得の無い者が、いつまでも躱せるほど甘い攻撃ではなかったはずだ。
「クソッ、何故当たらん!?」
それはルーフ自身にもよく分からなかった。
むしろ彼自身が、未だに生きていることが信じられないほどだ。
事実、彼はリチャードの攻撃を見切っている訳ではない。
ただ、訳も分からないままに、異様な冷気から逃げていただけなのだ。
それが未だに彼の命を繋いでいる。
(な……何これ?
この冷たい所に攻撃が来る……?)
ルーフは先程から身体中に、氷点下とも思えるような冷気を感じている。
額に氷のような冷気を急に浴びせかけられ、驚いてその冷気から逃げると、次の瞬間にはリチャードの攻撃が通り過ぎて行く。
腕に冷気を感じて腕をその場から逃がせば、やはりその後にリチャードの攻撃が来る――そんなことの繰り返しで、彼は攻撃を回避し続けていた。
どうやらルーフは、リチャードの発する殺気を冷気として肌身に感じているようだった。
何故に自身が殺気を察知できるのか――そんなことは彼にも全く分からなかったが、直感に従ってただひたすらに回避行動へと神経を集中していた。
そして少しでも集中を乱せば、それが即、死に繋がることを心の何処かで確信しているのだろう。
この現象に疑念を抱いていられる余裕など無い。
しかしリチャードとて、いつまでも逆上している訳ではない。
徐々に落ち着きを取り戻し、その攻撃にも精細さが戻ってきた。
そうなるとルーフには、その攻撃を避けることが難しくなってくる。
いかに攻撃が来る瞬間、場所が分かっていたとしても、ルーフの運動能力以上の動きをリチャードがすれば、回避が追いついていかなくなるのは至極当然の理屈だ。
そしてついに、その攻撃がルーフを捉えようとした瞬間――、
「うわあああああっ!!」
そんなルーフの悲鳴をかき消すかのように爆音が上がり、唐突にリチャードの身体が吹っ飛んだ。
「…………!?」
何が起こったのか訳も分からず、ルーフはきょとんとする。
「……ったく、街の何処にもいないと思ったら、攫われていたのか……」
上空からかけられた声を受け、ルーフがそちらを見上げてみると、直径50cmほどの巨大な眼球が浮遊していた。
瞳孔が縦に細長い――竜の目だ。
「ファーブさんっ!」
思わぬ助けに、ルーフは嬉し涙を目から溢れさせつつ、その名を叫んだ。
(ああ……正義のヒーローって、本当に危機一髪の時に現われるんだなあ……。
これで助かったぁ……)
と、どうでもいいようなことに感動しつつ、安堵の溜め息をルーフは漏らした。
しかし彼のその喜びも、すぐに絶望へと変わる。
超高圧で圧縮された水流が、ファーブの瞳の中心を正確に貫いたのだ。
「あ…………」
何処か茫然としたようなルーフの声。
ドーナツのように中心が空洞になったファーブは、ポトリと地面に落ち、そのまま山の斜面を転がり落ちていく。
「あ……あああ……」
そして、ついには深い谷底へと、ファーブはその姿を消した。
「ああああああああああーっ!?」
命綱を断たれたも同然のルーフの悲痛な絶叫が、山々にこだまするのだった。
「ふん、あれがリチャードの言っていた目玉か。
ザコが……」
ファーブを水流によって撃ち落としたリヴァイアサンは、つまらなそうに呟いた。
そして谷底へと落ちて行ったファーブが、再び姿を見せる様子はなかった。
「不死竜」と呼ばれるほどの再生能力を持った彼のことだ、あれくらいでは死にはしないのだろうが、穴を穿たれて身体をドーナツ状にされれば、さすがにダメージが大きいのかもしれない。
暫くの間は、何の役にも立ちそうになかった。
一方、リチャードもファーブの攻撃によるショックから立ち直り、再びルーフに詰め寄ろうとしていた。
(僕の命、終わったー!)
ファーブという頼みの綱を失ったルーフは、心の中で号泣する。
「つくづく運のいいガキだ。
この俺が何度も殺し損ねるとはな……。
だが、あの女も今はいないし、もうあの目玉も谷の底……。
貴様の命もこれで最後だっ!!」
リチャードは手刀を振り上げ、それを勢い良く振り降ろす。
そこから撃ち出された衝撃波の刃は地面に溝を掘りつつ、ルーフへと一直線に疾走した。
剣術の奥義の1つとされる「烈風刃」である。
それはルーフがチャンダラで見たものよりも、明らかに数倍以上の威力があった。
人間離れした素早い動きができる者ならばともかく、元より運動がそれほど得意とは言いがたい彼には、最早その攻撃を回避する術がなかった。
「烈風刃」の効果範囲の規模が、あまりにも大き過ぎるのだ。
ルーフは為す術無く立ちつくしている。
回避困難な死の影に身体が竦み、動くことすらままならなかった。
次の瞬間には衝撃波がルーフを飲み込み、その周囲にも荒れ狂った。
「ハーッハッハー!
あの女は俺の剣が貧弱だと言っていたが、今の俺は能力に見合う武器を手に入れたぞ。
竜の血で強化された俺の腕そのものが剣だ。
この腕こそが、いかなる剣よりも強力な武器だ!
その切れ味を、貴様の身体でとくと味わってみろっ!」
そんな風に自らの力に酔いしれるリチャードを余所に、リヴァイアサンは軽く眉根を寄せた。
「あん……?
精霊が……」
どうやらルーフの命を繋ぐ糸は、まだ切れていないようだった。
ルーフが殺気に反応する描写は、一応第2章にもありました。つまり、本人が知らなかっただけで、前から持っていた能力です。
 




