―ルーフの戦い―
「何だと……?」
思わぬ抵抗の意思を受けて、リチャードは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
そしてルーフの顔を、平手で打ち据える。
「ぐっ!」
地面に再び転がったルーフの顔には、わずかな脅えの色が浮かんだ。
しかし強い意志の光が、その瞳から完全に失われることは無かった。
「ちっ……貴様に、何ができるというのだ?」
「確かに……僕には何もできないかもしれないけど……。
でも、リチャードさんなら、何かできるんでしょう?
あなたはこのまま、あの街が消えて無くなるのを放っておくって言うんですか?
沢山の人達の生活が理不尽に奪われることを、何とも思わないんですかっ!?
チャンダラ市の為に戦ったあなたが、そんなことを許せるって言うんですかっ!?」
その言葉を受けてリチャードは沈黙する。
ルーフには、彼が葛藤しいるかのように見えた。
しかし――、
「俺には……関係の無いことだ」
「そんな……っ!」
「関係無いっ!
今の俺には貧しい人々を救うことも、チャンダラ市の平和も、竜殺しの称号を手に入れることも関係無い!!
……俺が欲しいのは力だ!
あの女を超える、何者をも屈伏させる力だっ」
(そうだ、この化け物でさえも、いつか俺は超えて見せる!!)
そしてリチャードは高らかに哄笑を上げ始めた。
そこには巨大な力に魅入られて、歪んでしまった男の姿がある。
しかしルーフは、そんな彼の姿に何か違和感を抱いた。
「違う……あなたは逃げているだけだ……!」
「……何?」
ルーフの言葉に、リチャードはピタリと哄笑を止めて、顔を強張らせた。
「あなたは逃げているんだ……。
叶えることができなかった理想から。
あなたの本当に望んでいたことは、あまりにも遠退いてしまったから、諦めているだけなんだ……。
だから今のあなたならば簡単に手に入る「力」に逃げて、強がっているんでしょ?
でも、本当はまだ手遅れじゃないのに……。
まだやり直せますよ。
だから……」
「……!!」
そんな説得の言葉を受けたリチャードは、烈火の如く怒りの表情を露わにした。
だが、何処となくルーフの言葉に、気押されてもいるようだ。
それはある意味、その言葉が図星を指していたからだろう。
彼はまだ、圧政に苦しめられていたチャンダラの民を救うという理想を、捨て切れずにいるのだ。
だからこそまだ、説得の余地があるはずだ──と、ルーフは思う。
現状では彼がリチャードを味方につけたところで、リヴァイアサンを止めることは不可能だろうが、この場から逃げ出すことはできるかもしれない。
そして、アースガルの町にいるはずのザンとファーブに、一刻も早くこの危機を知らせることができれば――まだ絶望するには早かった。
「だからリチャードさん……」
「黙れっ!」
リチャードの発した怒号に、ルーフは身を竦ませる。
「貴様に俺の何が分かる……!?」
「う……あ……」
リチャードは殺気の籠もった視線で、ルーフを射抜いた。
人は心を見透かされると弱い。
だから人は、自らの心を見透かした相手には従順となるか、あるいは自らの弱みを知った者を恐れ、完全に拒絶・排除してその弱みを無効にしようとする。
リチャードは、その後者のタイプであるようだった。
(気に入らない!
こいつの目は気に入らないっ!)
だが、今のルーフの目と同じような視線を、過去のリチャードも持っていた。
貧しい人々の為に、必死で戦っていた頃の彼の目は――。
だからこそ、自らの失ったものを持つルーフが彼には妬ましく、癪に障る。
もっともリチャード自身は、そのことを自覚してはいなかったのかもしれないが……。
「すぐに戯れ言を、言えぬようにしてくれる……!」
リチャードの手刀がルーフを襲う。
それは先程までの打ちすえる為ものではなく、突き入れる――明らかに殺傷を狙ったものだ。
竜の能力を得ているリチャードの手刀ならば、容易くルーフの身体を貫くことができるだろう。
「ひっ!」
無論それは直ちに、死へと繋がるはずだ。
しかしまさに今、ルーフを貫こうとしていたリチャードの手刀は、虚空を貫いた。
奇跡的――まさにそうとしか言いようがない。
反射的に身を捻ったルーフのその動きは別段速くもなく、単に無意識下の動きであったが為にリチャードの予想を超え、偶然に攻撃を躱すことができただけのように見える。
「……ほう?」
しかしリヴァイアサンは、感嘆の声を漏らした。
いかに偶然であろうとも、並の人間がリチャードの攻撃を躱せるはずがない。
そのあまりにも速い動きは、常人では反応することさえ難しいからだ。
それにも関わらず、ルーフはわずかながらも反応していた。
それだけでも称賛に値する。
「ふむ……ただの小僧ではないのか?
面白い、俺は一切手出しをしないから、貴様がリチャードから逃げ切ることができれば、その命を助けてやってもいいぞ?」
勿論、リヴァイアサンのその発言は、ルーフがリチャードから逃げ果せられるとは、万に一つも無いと確信した上でのものだろう。
先程の攻撃回避が偶然による物なのか、それともルーフの実力なのか、そのいずれにしても、竜の血の能力を得た者の攻撃を、ただの人間がいつまでも凌げるはずもない。
つまり彼は、僅かな希望にすがる弱者の哀れな姿と、その希望が打ち砕かれて絶望する顔が見たいだけなのだ。
事実リヴァイアサンの顔には、小動物をいたぶるかのような、残虐な笑みが浮かんでいた。




