―邪竜大戦―
「邪竜大戦」――後世にそう呼ばれることとなった竜達の戦争が起こったのは、現在より200年以上も過去のことである。
それまでの世界は平和であった。
それは竜族がその能力の大半を、世界の安定を維持する為に費やしていたからである。
竜族が持つ能力は、人間達から見れば全能と言っても過言ではなく、おそらくその能力の使い方を間違えれば、世界は簡単に終末の刻を迎えるだろう。
だからこそなのか、竜族はその能力の大半を、平安な世界の維持にのみ費やしてきたのである。
彼らは自然の摂理を護り、様々な種族間の争いを終結させ、邪悪な魔物達を駆逐する。
そのようにして竜達は、世界の安定を護りながら何百、何千、時として何万年にも及ぶ長い寿命を費やしていった。
そんな竜達の世界との接し方は、決して間違いではなかった。
それが証明されたのは、彼らがその能力の使い方を間違えたからに他ならない。
その結果、世界はあつけなく終末を迎えたのである。
どんな理由があったのか、それは定かでは無い。
だが、たった1匹の竜が竜族より離反したことが、戦乱の引き金となった。
後に「邪竜王」と呼ばれるその竜は、次々と仲間を増やし続けた。
いかに生ける神々の如き竜族も、決して一枚岩の結束を誇っていた訳でも、全てが神聖な存在である訳でもなかった。
長く続いた平和に飽いていた者も少なくはなく、その筆頭が最も気性の荒い火炎竜の一族であり、その多くが邪竜王の側に付いた。
そして邪竜王は邪悪なる意志を持つ竜達――「邪竜」を束ね、ついには竜族に戦いを挑んだのである。
竜族と邪竜族との戦いは、激烈を極めた。
不死とも思えるほどの強靱な肉体を持つ竜達は、昼夜を問わずに戦い続け、戦火は全世界に拡大していった。
加えて竜達の戦闘能力は、凄まじいものであった。
彼らの操る強大な破壊魔法は山河を吹き飛ばし、島々を水没させ、平原を焦土と化す。
その戦いが終焉を告げるまでの10年そこそこの短い期間で、世界はそれまでの地図が全く役に立たなくなるほど、その様相を変えられてしまった。
また、何億、何十億という生命がその戦いに巻き込まれ、理不尽に命を奪われた。
大戦終結後、そこには大戦以前に存在していた人間の国々の殆どが跡形もなく消え去っていた。
いや、それは国だけにとどまらない。
人間が築き上げた文明社会そのものが完全に崩壊し、まさに終末的であった。
都市も、農地も、産業も、貨幣制度も、政治も、秩序さえも、それら人々の生活を支える基盤が全て根底から覆させられたのだ。
世界中に難民が溢れ、僅かに残る無傷な土地や都市、そして不足がちな食料などの生活必需品を奪い合う為に、今度は人間が争いはじめた。
世界は更に傷つき、混迷の度合いを深めていった。
そのどん底の暗黒時代から抜けだし、再び落ち着きのある社会を形成する為に、人間達は200年もの長い時間を要したのである。
いや、今現在も完全に復興したとは言い難く、再建を断念して放棄された都市が世界各所で無数に見られる。
ともかく、そんな大戦による未曾有の大破壊以後、竜は世界の安定を護る神聖な存在ではなく、世界を崩壊に導く絶対的な脅威として、人々に認識されるようになったのは当然のことであった。
その竜に戦いを挑むとは、とても正気の沙汰ではない。
「なら、あなただって理解しているはずです。
世界を壊すような奴を相手にして、人間に勝ち目なんてある訳無いじゃないですかっ!」
「そうか?」
「そうですよっ!」
ルーフは半ば憤慨しつつ、ザンの説得を続けた。
ルーフには助かるはずの命を、自ら投げ捨てようとしている彼女のその行いが、生きたくてもそれが叶わずに竜の生贄となった人々への、冒涜になってしまうように思えたのだ。
だからこのまま彼女が生贄になることは、見過ごす訳にはいかなかった。
「何故生きようとしないんですか!
復讐がそんなに大事ですかっ!?」
「大事か、だって……?」
ルーフのその言葉を受けて、ザンの顔が途端に険しくなった。
「復讐なんて、どうだっていい……!」
「じゃあ、何故……!?」
ルーフは思わず後退った。
ザンから叩きつけられた威圧感が、尋常なものではなかったからだ。
それは「殺気」だと言い換えてもよかった。
「私にはそれ以外の、何も残らなかったからだ……!!」
「……!!」
鋭いザンの視線を受けて、ルーフは身を竦ませる。
気を抜けば床にへたり込んでしまいそうなほどの、恐怖を感じた。
ルーフはザンと自分は、似たような境遇にあるのではないかと思っていた。
だが、何かが決定的に違う。
父親の命を奪われ、また自らの命もいつ奪われるか分からない状況下で生きる彼でさえも、理解し難い絶望と怒りを彼女は背負っているようであった。
一体ザンは、竜にどのような仕打ちを受けたというのであろうか。
それは、ルーフには分からない。
……分からないが、そんな絶望の中で自らの命を捨てるような行為は、やはり彼には認められなかった。
そんな死に方は、あまりにも救いが無さすぎる。
だが、どのようにすればザンを救うことができるのか、それは皆目見当がつかなかった。
この場からただ逃がしただけでは、彼女は再び竜に戦いを挑もうとするだろう。
もっと根本的な解決が――彼女の心から、憎しみと絶望の念を消すことが必要だった。
そうしなければ、彼女は遅かれ早かれ復讐の戦いの中で死ぬ。
しかし、憎しみと絶望を消す――そんなことがルーフにできる訳がない。
自らの心の中からでさえ、それらを払拭することができないのだから。
その事実に、ルーフはただ茫然とするしかなかった。
「ともかく、あんたに私の戦いを邪魔する権利なんか無いはずだ。
さっさと帰れ」
「でも……!」
「くどい。
ファーブ、こいつをどうにかしろ」
「……ファーブ?」
ルーフはザンの言葉の意味が分からず、キョトンとした。
しかし、10秒ほどが経過した頃、
「――!?」
彼は大いに混乱していた。
なぜならば、いつの間にか自身の家にいたからである。
「ど、どうして………………?」
そんなルーフの疑問に応える者は、誰もいなかった。
「転移魔法で、あいつを家まで送っておいたぞ」
ザンの目の前には何処から現れたのか、いつの間にか巨大な眼球――ファーブが浮遊していた。
ザンは礼を言うでもなく、ただ頷いた。
「だけどもう少し話を聞いてやれば良かったのに……。
友達は大切にした方がいいぞ?」
「……何を言ってるんだ、お前?
あいつとは会ったばっかりだろ」
ザンはジロリとファーブを睨めつけた。
「でも人見知りの激しいお前が、昨日今日知り合ったばかりの奴を相手に、あれだけ会話しているのを見るのは随分と久しぶりだが……。
友達にはなれる、と思うがな。
境遇が似ているばかりではない。
きっと相性がいいのだろうさ」
「興味無いな……。
そもそも友達なんかいたためしがない……」
ザンは笑う。
何かを諦めたような、自嘲的な笑みだ。
「俺は違うのか?」
「お前は元々敵だろう……。
上層部の命令がなきゃ、一緒になんかいなかったよ」
期待と不安の入り混じったファーブの問いに対するザンの答えは、実に冷淡だった。
彼は愕然としたようにヒョロヒョロと1mほど落下したが、なんとか気を持ち直したのか、辛うじて床への墜落は免れ、またフヨフヨと浮かびあがる。
「しかし、今は違うだろう……。
そうやって誰も彼も拒絶していたら、一生独りだぞ、お前は……」
ファーブの声は、怒りか、それとも憂いからか、僅かに揺らいでいた。
ザンのことが本気で心配なのだろう。
だが、彼のそんな気持ちも彼女には届いていない。
「……知るかよ。
元々多くを持っていない者が高望みしたって、ろくなことが無い……。
ようやく人並みの幸せが手に入るのかと期待して、その期待を裏切られた時のあの絶望がお前には分かるか?
私は……もう何にも期待しない……」
「…………」
ザンはふてくされたような顔をしながら、床に転がった。
そこは決して寝心地の良いベッドではないし、そもそも眠りたくもない。
だが、これ以上お節介焼きの目玉と会話するのも苦痛だった。
彼女は狸寝入りを決め込んだのだ。
床に転がるザンの姿を、ファーブは静かに眺めている。
そんな彼の姿は、表情があるはずも無い目玉なのに、心なしか寂しそうに見えた。
この邪竜大戦に関する説明だけど、同人誌版ではプロローグである「―遠い日の記憶―」の次に入っていました。しかし、冒頭から設定の説明をするのもなんだかな……と思って、再版した際にこの位置に移動させました。




