―囚われのルーフ―
アースガル城と城下町の北側を囲むように、モルタウ山は広がっていた。
クラサハード王国の中でも5指に入るほどの標高と、広大な面積を誇るこの山だが、所々が断崖に切り立っている上に、木々は疎らにしか根づいておらず、動物の姿もあまり見られない。
つまりは、林業や狩猟による恩恵があまり期待できない山であった。
勿論、山頂の万年雪の雪溶け水が麓を潤し、その険しい山並みが天然の要害と化して、他国の軍隊を始めとする外敵の侵入を拒んでいるなどの利点はあるものの、一般人がわざわざ入り込む価値があるような山ではない。
むしろ、安易に踏み込めば、事故や遭難で命を失いかねない危険な領域だ。
しかし、そんなモルタウ山の中腹に、人の姿があった。
その数は男ばかり3人。
1人は2mはあろうかという巨躯を持つ、老齢を目前にした偉丈夫であった。
無精髭の多い顔に野性的な笑みを浮かべ、筋骨隆々とした身体を革鎧と薄汚れた外套で覆う彼の姿は、何処か山賊めいた雰囲気を醸し出していた。
だが彼の正体は、山賊などという可愛げのあるものではない。
その実態は世界最強の種族「竜」――その竜の中でも無双とも言えるほどの強大な個体とされ、かつて邪悪な竜達を束ねていた「邪竜王」直属の側近、「邪竜四天王」の長と謳われし者であった。
彼の名はリヴァイアサンという。
1人は、180cmほどの細身かつしなやかな身体を、黒一色の衣服に包んでいる――いや衣服どころか頭髪や瞳の色まで黒に統一された黒ずくめの男であった。
顔は20代後半くらいの精悍な顔付きをしていたが、どことなく年齢がハッキリとしない印象がある。
そんな容貌の上に、他人を拒絶するような鋭い眼光と雰囲気も相俟って、彼の姿は何処か黒豹を連想させる。
事実、彼はその身の内に野獣を飼っていた。
「竜の血」という最強にして、最凶の獣を――。
それによって既に人であることを捨てた彼の名は、リチャードという。
1人はまだ幼いと言っていいような、14~5歳くらい――いや、見ようによってはもっと幼く見える少年だった。
彼の160cmにも満たない小柄な身体を包んでいるのは、上は黒のトレーナー、下は白いズボンといった普段着の上に、マントを纏っただけの旅装束である。
遠目には別段変わったところの無い、普通の少年だった。
ただ、その顔立ちは女の子のように繊細で可愛らしく、何処か儚げでもある。
彼は脅えによって瞳を涙で潤ませ、その表情を蒼白に染めていた。
まるで今にも消え入りそうな彼の名は、ルーフという。
そんなルーフをモルタウ山の中腹まで拉致したリチャードは、彼に対して尋問を行っていた。
「いいかげんに話したらどうだ?
あの女は何処にいる?」
「だ、だから知らないって言っているでしょぉ。
僕だってザンさんとは、昼に別れたきりなんですから……」
苛立ちの混じったリチャードの問いに、ルーフは半泣きになりながら答えた。
そんな彼の頬から「パシィィン!」と、乾いた音が発せられる。
「あうっ!」
リチャードの平手で頬を打ちすえられたルーフは、たまらずに地面に転がった。
既に同じようなことが、幾度となく繰り返されてきたのだろう。
彼の身体は土埃とすり傷から滲んだ血で、所々が汚れていた。
「下手な庇い立てをすると、ロクな目に遭わんぞ。
さっさとあの女の居場所を話せ!」
(ほ……本当のことを言っているのにぃ~)
どうもこの手の尋問を行う輩は、たとえ真実を話したところで、自らの望む返答でなければ信じない傾向があるようだ。
あるいは真実と分かっていても、相手をいたぶりたいというサディスティックな欲求を満たす為にあえて信じぬのか……。
そもそもザンの居場所を知りたいのなら、町中でリチャード達が暴れれば、それを止める為に彼女は自ら現れる可能性が高い。
それにも関わらず、その手段を使わないのは、ザンの居場所を確認した上で、何らかの罠にはめようとしているからなのだろう。
いずれにせよ、暴行を受ける立場の者にとっては、たまったものではない。
リチャードの理不尽な行いに、ルーフは憤りを感じた。
しかし既に並の竜以上の戦闘能力を有しているであろうリチャードを相手に、普通の――「可愛らしい」という、男としてはあまり有りがたくもない容姿以外は、特に取り立てるところも無いような少年のルーフには、反抗することはおろか、逃げることさえも難しい。
今はただ、耐えることしかできなかった。
だが一刻も早くこの現状を打破しなければ、ルーフの生命の安全は保証できなくなってくる。
今、目の前にいるのは、人の命を奪うことに逡巡してくれるような、生易しい相手ではないのだ。
利用価値が無くなれば、彼らは躊躇なくその命を奪う可能性が高い。
そんな切羽詰まった状況に、ルーフは置かれていた。
それでも結局のところ、今の彼には誰かが助けに来てくれることを期待する以外の選択肢が無かった。
その命が危険に曝されてもなお、それを脱する術の無い無力さが恨めしい……と、彼は自分自身に失望する。
(ザンさんに愛想を尽かされるはずだ……)
ルーフは悔し涙が溢れてくるのを、抑えることができなかった。
そんな彼の様子に、リチャードは嘲るように笑う。
「なんだ、泣いているのか?
所詮は子供だな……。
そんなに怖いのならば、さっさと洗いざらいあの女の居所を、吐いてしまえば楽なものを……」
リチャードはその涙を、恐怖の為と勘違いをしているようだ。
しかしルーフにとってそれは、大した問題ではない。
「憶病者」だとなじられたって、構わない。
今はどうすればこの場から逃げることができるのか、それが彼にとっての至上の命題だった。
しかし――、
「本当に僕は知らないんです……」
今のルーフは、弱々しく先程と同じ返答をすることしかできなかった。




