―花と墓標と復讐と―
今回から第5章です。
――彼の身体は、半ば土砂に埋もれていた。
いや、つい数時間前までは、完全に埋没していた。
しかし何かの拍子で土砂が崩れ、彼の身体は地表に露出したのだ。
冷たい外気が、深い眠りについていた彼の意識を、覚醒へと導いた。
(俺はここで、何をしているんだ……?)
男は仰向けの姿勢で、茫然としていた。
頭の中は霧がかかっているかのようにぼやけ、何を思考しても上手くまとまらない。
まるで未だ眠っているかのような、不鮮明な思考――。
だが取りあえずは、この土砂の中から這い出すことが、彼にとっては先決のようだった。
男は上半身を起こそうとしたが、身体を支える為に地につけようとした左腕は虚しく空をきり、バランスを崩す。
男が左腕に目を向けてみると、上腕部から下が無くなっていた。
「そうか……俺はあいつと戦って……」
男は朧気ながらも、記憶を呼び覚ますことに成功した。
あの凄まじい大戦に男は勝利し、
いや――、
「くっ……」
頭が痛む。
まるで記憶が蘇ることを、拒否しているかのように──。
「他の連中は……何処へ行った……?」
男は土砂の中から身を起こし、周囲を見回した。
──が、そこにはただ荒野が広がるばかり。
いや、よくよく注意して地面を見れば、何か金属の破片のようなものが周囲に散乱している。
何らかの武具の成れの果てか。
そして、あの白い欠片は骨だろうか。
「…………誰も生き残って、いないのかよ……」
男は長い沈黙の後、生きている者を求めて歩み出す。
「ヒイナギ……何処だ?」
男は一族の中でも、全幅の信頼を置いていた副官の名を呼ぶ。
しかし、返事は無い。
「ロラルドはいないのか?
ブッシュウは?
リンガン?
トール……」
男は仲間の名を呼び続けるが、やはり返事は無い。
「レクリオ……いや、誰だ?」
記憶が混濁する。
正常な思考を保つのが難しい。
「レクリオ……?
誰だ……レクリオ……レク……ベルヒルデ?」
誰とも知れないレクリオという名から、脈絡無く浮かんできた――しかし共通した何かを感じるその名を切っ掛けにして、男の意識は急速に鮮明なものになってゆく。
「ベル! どこにいる?
どうなった!?」
男は必死で求めた。
最愛の者の姿を。
「――!?」
その時、男の視界が唐突に揺らぐ。
いや、揺らいだのは彼そのものなのか。
それとも彼を含めた、周囲の空間全てが――。
ともかく、彼の視界に映る全ての物が、グニャリと歪曲していく。
そして彼がふと気付いた時には、目の前には懐かしい風景が広がっていた。
山頂を雪で彩られた山々と、霧深い渓谷。
何千年と生きたであろう、木々の群れ。
そして――、
古びた無数の家屋――荒廃した里の姿がそこにはあった。
「どうなっているんだ……?」
里の家屋は、どれも長い年月の間、風雨に曝されたかのように荒れ果てている。
半ば倒壊しかかったものや、雑草や蔦植物に覆い尽くされようとしているものなど、最早人の生活の匂いは欠片も無かった。
1年や2年の時間の経過では、こうも荒れ果てることはないだろう。
「俺は……どれくらいの間、意識を失っていたんだ……?」
男は必死で人の姿を捜した。
しかし何処にも人影はおろか、猫の子1匹見つけることができない。
ただ里の集会場では、大量の血痕のようなものが見て取れた。
そこだけ他とは、地面の色が違うのだ。
「こ、ここも……全滅だったのか……?」
男は不安に駆られて走る。
ただ一点を目指して。
しかし、そこへ辿り着いて愕然とした。
「ここもか……!」
彼の自宅も荒れ果てていた。
ところが中を覗いてみると、不思議なことに他の家々よりも荒れ方の度合いが小さく、倒壊の危険は無いようだった。
むしろ、大量に積もっている埃や、蜘蛛の巣などをなんとかすれば、まだ十分に生活できそうなほどその造りはしっかりとしている。
まるでこの家だけに、幾度か修繕が施されたかのようだった。
「……誰か生き残っていたのか?」
男はわずかに希望を見つけた。
その途端に記憶が鮮明に蘇ってくる。
「そうだ、俺達はあいつの呪いで……。
だが、何故俺は生きている?
……いや、今はそんなこと、どうでもいい。
ベルは人間だから、生き残っていたはずだが……。
しかしあれから何十年も、経ってしまっているみたいだ。
ひょっとしたら、もう……」
そんな可能性を考えて、男は暗澹たる気持ちとなった。
「いや……待てよ……?
それじゃあ俺の血とベルの血を引く娘なら……生きていれば、まだ寿命が続いている……?」
男は家の中を見回したが、それ以上は現状を知る為のヒントは見つからなかった。
仕方が無しに、男は外に出て里の外れに向かう。
そこは一面花に埋もれていた。
自然繁殖した花が周囲に広がってしまい、ただの野原のようになってしまっているが、元々ここは小さな花畑だった。
彼の娘はいつもここにいた。
「リザン……。
……ん、何だあれは?」
花畑だった場所の中心に、人の胴体ほどの大きさの平たい岩が地面から突き出ていた。
男が近寄ってみると、岩の表面には何らかの文字が刻み込まれていた形跡が見て取れる。
文字は風化している上に、表面が苔生していて読み取れなかったが、この岩が明らかに墓標であるらしいことを示していた。
「リザンの……なのか?」
やはり幼い娘は、あの呪いに耐えることができなかったというのか。
そして娘は、この場所を一番気に入っていた。
そのことを考えれば、この墓が娘のものだと男が勘違いしてしまったのも、無理からぬことなのかもしれない。
しかし実際にそこへ葬られたのは、別人だった。
ただその人物も、男が愛した者であったことには、間違いは無かったが……。
「また……全部無くしてしまったのか、俺は……?」
男の全身がざわついた。
身体が震える――いや皮膚の下の血管そのものが蠢いているかのようだった。
「何故だっ!
何故俺から全部奪う……っ!?」
男の心にどす黒い感情が湧き上がった。
自らに対する理不尽な仕打ちに、怒り、嘆き、やがてそれは憎しみへと変わる。
その憎しみが彼の全てを覆い尽くすのに、さして時間はかからなかった。
そしてそれが向けられた矛先は――、
「邪竜共め……!!」
もしも本来の男であれば、彼はその憎しみを抑え、もう少し冷静な行動を取れただろう。
少なくとも彼が愛した者の死を、事実だと確かめるまでは、動かなかったはずだ。
しかし彼は、自身の内に宿してはならないものを宿してしまった。
それが彼の心の暴走に、拍車をかけている。
「見ていろ……今から仇を討ちに行くからな。
邪竜を1匹残らず狩り尽くしてやる!」
男の目は何処か虚ろなものとなっていた。
だがその顔には、鮮やかなまでの憎悪の色が浮かび――狂気に満たされてゆく。
次の瞬間、男の周囲の空間が揺らいだ。
空間は激しく歪曲していき、男はそこに包まれるように埋もれていった。
やがてその姿は、空間の歪みの奥へと完全に消えた。
父と娘は同じ墓標に復讐を誓い、同じ道を歩み始めた。
しかし同じ道を歩んでいるはずなのに、その道程は光と闇の異なる色彩を見せた。
そして、運命は交錯する。
世界は静かに王の降臨を――希望を夢見ながらなのか、それとも絶望に恐れ戦きながらなのか、それは定かではないが――待ち続けている……。
 




