―怒 り―
ベーオルフへと襲いかかった破壊振動と超高熱は、周囲の広大な空間を満たしており、その攻撃を回避することは事実上不可能だった。
勿論、魔法的な手段によっての回避は不可能ではないが、たとえ結界によって外界と大気を遮断してその破壊力の伝播を防ぐにしても、生半可な結界では数秒とかからずに破壊されてしまうだろう。
おそらくは転移魔法によって、瞬時に遠くの地へと逃れるのが一番安全なのだろうが、長距離の転移魔法はそうそう唐突に発動できるものでもない。
つまりベーオルフの張った結界がよほど強力なものでなければ、彼はファーブニルの攻撃の直撃を防ぐ術も無く受けている。
その場合、勿論彼は生きてはいないだろう。
竜叫壊波は地表を薙ぎ払い、更には山をも貫いた。
それ以前の烈破の影響も加わり、周囲の風景で戦いが始まる前までの原形を留めているものは、何一つ存在しない。
空ですらも、雲が吹き散らされていた。
しかし、それでもなお――。
『耐えきりやがった……!』
空に巻き上げられた土砂が降り注ぐ中、ベーオルフは力強く大地を踏みしめていた。
彼は全身を血で染めていたが、それにも関わらず顔から笑みは消えていない。
「……驚いたな。
あれほど強力な魔法攻撃の後に、更に強力な攻撃が来るとは……。
おかげで、折角形成した結界が1秒もたなかったぜ」
『1秒もたなかっただと!?』
「ああ」
ベーオルフはこともなげに頷いた。
(馬鹿な!
それでは結界も無しで、あの攻撃を耐え抜いたというのか!?
いや……)
ファーブニルは、頭によぎった想像をすぐに否定した。
いかにベーオルフであろうとも、生身で彼の最強攻撃を耐え凌げるはずはない。
おそらくは結界を破られた瞬間に、闘気で自らの全身を覆い、身を守ったのだろう。
先程もファーブニルの突進を闘気のみで止めたことを思えば、そう考えるのが一番自然であった。
しかし可能性がそれしか無いというだけで、竜の目から見てもベーオルフの能力は常識をはるかに逸脱したものであり、本来は有り得ないことだった。
ファーブニルは、ベーオルフの底知れぬ能力に戦慄する。
だが――、
『だが、もう1度今のを――いや、並の攻撃を食らっただけでもお前は死ぬぜ?』
「かもしれんな」
ベーオルフはあっさりと認めた。
確かに全身を血に染めた彼の身体は、深刻なダメージを受けていることだろう。
おそらく再生能力を用いても、この戦闘中の回復は見込めないはずだ。
それほどまでにファーブニルの竜叫壊波の威力は、絶大であった。
『……この辺で止めておこう』
「……何だと?」
ファーブニルの言葉を受けて、ベーオルフの表情が険しくなる。
『別に俺は殺し合いをしたい訳じゃないんでね。
俺の全力を使い、それでも倒せない奴がいる――それが分かっただけで充分満足だ。
それに勝敗はもう見えたようなもんだしな』
「それは随分と勝手な言い草じゃねーか。
俺はまだまだ、満足してはいないんだぜ?」
『だが、このまま続ければ、お前は死ぬぞ……』
「そんなことは関係ない。
確かに多少はお前との戦いを楽しませてもらったがな、いつまでも馴れ合っているつもりは無い。
俺はお前達邪竜を倒す為に、ここにいるんだぜ?
今更逃すかよ」
ベーオルフはニヤリと笑った。
しかし、それは先程までの余裕のある、何処か戦いを楽しんでいるような笑みではない。
それとは全く異質の、鬼気を含んだものだった。
『使命の為に、生命を懸けるって言うのかよ……』
ファーブニルは軽い失望を覚えた。
結局はこの男も真の戦士などではなく、竜族と言う名の体制に支配された操り人形なのか、と……。
だか――、
「使命の為なんかじゃねーよ。
俺はあまり昔のことは憶えていないけどな……。
それでもハッキリと憶えていたことが……いや、忘れられなかったことがある……!」
ベーオルフの顔に明確な怒りの表情が浮かぶ。
「…………俺の大切なものを全部奪ってしまったお前ら竜を、1匹たりとも許すつもりはねーんだよ、俺は……!」
『…………!!』
ベーオルフから凄まじいまでの闘気が噴き出した。
それは今までの戦いの中で、ファーブニルが感じ取っていたものとは桁が違う。
その恐ろしく巨大な力に、さすがの彼も慄然とする。
『ど……どこにこれほどの力が……!?』
「言っただろう?
まだ本気を出していない……ってよ」
べーオルフが、1歩踏み出す。
それに気圧されたように、ファーブニルは思わず後退った。
「お前とはもっと別の形で出会っていたら、いい仲間になれたかもしれんな……。
あの娘を助けたし、そんなに悪い竜でもない。
だが、数日前のあの戦いの時、囮役のお前の方に俺が向かっていたら、あの国の人間は全滅していたかもしれん……。
やっぱりお前を許すことは、できねーんだよ」
ベーオルフはファーブニルに向けて、更に1歩踏み出す。
『く……っ!』
ファーブニルは生まれて初めて感じていた。
死の恐怖というものを、自身の肉体が滅びることが有り得るという可能性を──。
「お前の強さに免じて見せてやる!
俺でも力加減を間違えれば死ぬかもしれない危険な――それだけに絶大な威力の技だ」
ベーオルフは上段に剣を構える。
彼から発せられる闘気は、更に巨大なものへと変わっていった。
それをファーブニルは茫然と眺めている。
(この巨大な力、あの邪竜王に匹敵する。
いや、力だけならそれ以上か……!
こんなにも、力の差があるというのか……!?
俺があと数度……攻撃を繰り出せば奴は死ぬ。
それほどまでに傷ついている……。
だが、それで勝ったと思うのは、とんでもない考え違いだった……。
奴は本気にさえなれば、いつでも俺を倒せたというのか……!?)
ベーオルフが発したあまりに巨大な力の波動に飲み込まれ、茫然自失となりかけたファーブニルであったが、闘志を奮い立たせるようにかぶりを振った。
『…………面白い!
俺もお前の本気とやらを凌ぎ切ってやろう!!』
戦いは、最終局面に入ろうとしていた。




