―いざ出陣―
国葬の日から5日後の早朝──。
王座の間の跡地でベーオルフは、ファーブニルとの戦いの地へ赴く為の準備をしていた。
そんな彼の傍らでは、ベルヒルデが腕を組み、自信満々の表情で独り「うんうん」と満足そうに頷いている。
「うん、もうあなたに教えることは、え~と、今回教えたことのあと百倍くらいあるけど……。
まあ、限られた時間内でやれることは全部やったわ。
大丈夫、大丈夫!」
「まだ……百倍もあるのか……?」
ベーオルフはげんなりとした表情をベルヒルデへと向けた。
彼はこれまで受けてきたベルヒルデの指導を思い起こし、それだけで額に脂汗が吹き出るような感覚を覚える。
(あれは、地獄の特訓だった…………)
ベルヒルデの指導は凄まじく厳しかった。
剣の素振り1つにせよ、斬り込む角度がどうの、スピードがこうの、タイミングが、バランスが……等々と、事細かに注意されて、ミリ単位・コンマ1秒単位の正確さを要求してきた。
その要求に応える為に、ベーオルフは凄まじい忍耐と努力を要した。
それは体力的にはさほどきつくはなかったが、自身の剣の技術を殆ど全部を否定されて精密なものへと矯正する――これは精神的にかなりきつかった。
よく途中で投げ出さなかったものだと、自分でも感心する。
その地獄の特訓ですら、まだ全行程の100分の1程度だというのだから、今後この特訓を続けるのならば、いっそ殺してくれた方が楽かもしれない。
しかしその特訓を指導する方も、随分と労力を要したはずだ。
ベルヒルデとて王族として果たさなければならない責務の為に、かなり多忙なのだ。
その忙しさの合間をぬって、しかもまだ完治しない腕の傷を抱えながらの指導は相当に辛かっただろう。
感謝しなければ罰が当たる。
とは言ったものの、疲弊した様子をほとんど見せないベルヒルデの姿に、ベーオルフは何だか怖いものを感じた。
(どういう体力をしているんだ……?
本当に人間か?)
そんなベーオルフの懐疑的な視線を、ベルヒルデは特に気にすることもなく受け流した。
その脇ではシグルーンが眠い目をこすっている。
2人とも見送りに来てくれたのだろう……と、彼は思っていたのだが、
「さて、そろそろ行きましょうか!」
「あ?」
不穏な言葉が耳に入り、彼は反射的に聞き返した。
「『あ?』って何よ?」
「ってゆーか、誰が連れて行くと言った?」
「「ええ~っ、連れていってくれないのぉ!?」」
不満の声を、ベルヒルデとシグルーンは同時に上げた。
「当たりまえだろ?
相手はそれこそ、山を吹き飛ばしたりすることもできるような、高位の竜だぞ。
お前達では戦いの余波を食らっただけでも、命は無いんだからな?」
「でも、戦いの行方が気になるじゃないの」
「そんなもん、我慢しろよ。
死ぬよりは、マシだろーが」
「「ちぇーっ」」
姉妹はまたもや同時に、不平の声を漏らした。
「なんだかなー……お前らって……」
ベルヒルデとシグルーンは、既に竜がこの国を襲撃する前の状態へと、表面上は戻っている。
無理をして明るく振る舞っている部分もあるのだろうが、ベーオルフはちょっとついていけないものを感じていた。
(いくら何でも、逞しすぎないか……?
いや、見ていて飽きないけどさ……)
「ま、とにかく大人しく待っているんだな。
全部終わったら戻ってくるからさ」
「うん、絶対だよ!
何も知らせないで帰っちゃったら、許さないから!」
「シ……シグちゃん?」
かなり強い調子でベーオルフに釘を刺すシグルーンの様子に、ベルヒルデは(何をそこまでこだわっているのだろう?)と不思議に思う。
まあ、確かにベーオルフが戻ってこないと、困るのは彼女も同じなのだが……。
「分かった分かった。
何かお願いがあるって言っていたよな。
必ず戻ってくるよ」
「何よ? お願いって」
「姉様と同じことだよ」
「は?」
シグルーンの答えに、ベルヒルデは目を丸くした。
「……それたぶん違うわよ。
そもそも、私はお願いするなんて言ってないわよ?」
「えへへ~」
しかしシグルーンは、全てを見透かしたように笑うだけだ。
「…………ま、いいけど……」
妹の顔を見て、ベルヒルデは深く追求しないことにした。
これ以上突っ込むと、藪蛇になりそうだ。
「んじゃ、俺はそろそろ行くぞ?」
「あ、うん。
気をつけてね」
「いってらっしゃ~い」
2人の見送りの言葉を受けつつ、ベーオルフは短く呪文を唱えると――、
「飛翔」
彼の身体が宙に浮かび上がる。
「おおっ!
飛んだ!?」
そんなベルヒルデの驚愕の声を後にして、ベーオルフは戦いが行われる地へと、あっと言う間に飛び去っていった。
その決闘は、王国より東へと10kmほど山を越えた場所にある、盆地で行われるそうだ。
「行っちゃったね、姉様」
「そだね……」
後にポツンと取り残された姉妹は、どこか寂しげに言葉を交わしあう。
やはり2人ともベーオルフのことが心配な様子だ。
現状では彼が命に関わるような重傷を負ったとしても、2人にはそれを知る術も、助けようもない。
「決闘を見にいきたいけれど、竜の攻撃に巻き込まれたら命は無いしなあ……」
「そうだ、あたしの結界でなんとかならないかなぁ……?」
「はぁ?」
シグルーンの無邪気な言葉に、ベルヒルデは間の抜けた声を上げた。
確かに妹は魔法を習っており、かなり高レベルの魔術の使い手であった兄バルドルにも似たのか、なかなか筋が良いという話を聞いている。
しかし、人間の形成した魔力の壁――即ち「結界」では、どれほど強力なものであろうとも、竜が本気で繰り出す攻撃を防げるものではない。
「シグちゃんには無理よぅ。
兄様でも不可能だって」
ベルヒルデはシグルーンの過大評価とも言える自己能力への甘い認識に、
「やっぱり子供ねぇ。
可愛いものだわ」
と、笑った。
そしてシグルーンが、一瞬ムッとした表情になったのを見逃してしまった。
だから彼女はそのまま笑い続けたのだが、その刹那──、
「うごっ!?」
鼻っ柱に衝撃を受け、それこそ笑えるような短く滑稽な悲鳴をベルヒルデは上げた。
「ああっ、姉様大丈夫!?」
シグルーンは何処となく演技じみた様子で姉に駆けより、その安否を気遣う。
いかにも「悪気の無い偶然の事故だった」とでも言いたいかのように。




