―残された希望―
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「シグルーン……!」
簡易的な国葬が終わってから少し経った頃――まだ意識が戻っていなかった妹の様子を見にきたベルヒルデは、寝室のドアを開けるなり小さく驚きの声を上げた。
シグルーンがベッドから上体を起こし、窓の外の夜景を眺めていたからだ。
「駄目じゃないの……。
まだ寝ていたほうがいいわ」
「姉様……」
シグルーンは心なしかぼんやりとした表情で、姉の方に向き直った。
よく見ると目の周囲が赤くなっている。
泣いた後なのかもしれない。
「姉様、大丈夫だよ。
あたし、凄く元気だよ……。
おかしいよね……胸に穴が開いたのに……。
傷もほとんど無くて……」
自らの胸に落とされたシグルーンの視線は、戸惑うその心と一緒に揺れていた。
「シグルーン…………」
「ひょっとしたら……全部夢なんじゃないかって思ったけど…………。
でも……やっぱり……兄様は……」
「……さっきの聞いていたの……?」
「…………うん」
2人の間には白く固まる油の如き、ねっとりとした重い沈黙が続く。
ベルヒルデはその空気に溺れて、何も言うことができなかった。
おそらくシグルーンが目の当たりにした兄バルドルの死は、ベルヒルデが体験した母の死に様よりも更に凄惨なものだったに違いない。
それはボロボロになった兄の遺体が全てを物語っていた。
妹が今も正常な精神状態を保っているのが、不思議なことであるかのようにさえベルヒルデには思えた。
しかも、即死していてもおかしくないような傷痕が、今はほとんど残っていないという事実──それについても、シグルーンは激しい戸惑いを感じているはずだ。
その胸中を想うと、ベルヒルデには適切な慰めの言葉が見つからなかった。
そんな姉の想いを感じ取ったのか、シグルーンは気遣うように微笑む。
「大丈夫だよ、姉様。
あたしは大丈夫」
「シグルーン……」
「胸の傷は不思議だけどね……」
その言葉にベルヒルデの表情がわずかに強張る。
シグルーンはそれを見逃さなかった。
「……何か悪いことがあるんだね……?」
「……今の私には、何て言ったらいいのか分からない。
これからどんなことが起こるのかさえ、ハッキリとは分からないの……」
「うん、それじゃあ……話せるようになったら、分かることだけ話してよ。
いつでもいいからさ……」
「……ごめんなさい」
ベルヒルデはやっとのことで、絞り出すような小さな声で詫びた。
それを強く否定するように、シグルーンは声を張り上げる。
「謝らなくてもいいよ!?
だって姉様は、害しか無いようなことを選んだりはしないでしょ?
姉様があたしのことを想って決めたことなんでしょ?
……だったら、そのことで姉様のこと恨んだり……嫌いになったりしないよ?
それに、さっきも姉様言っていたじゃない。
守ってくれた人の死を無駄にしないって。
死んだ人の分も幸せになるんだって。
あたしは、あたしを助けてくれようとした兄様と姉様の気持ちを、絶対に無駄になんかしないよ。
きっと幸せになるから……!」
シグルーンの言葉は力強かった。
しかし、やはり不安で仕方がないのだろう、目には涙が滲んでいる。
それでもベルヒルデは、自身が母を失った時に、こうも前向きに物ごとを考えられただろうか?──と思う。
姉という手本が身近にあったにせよ、シグルーンは既にその姉に近しい精神の逞しさを持っていた。
「シグルーンは強いわね……。
強くて……優しい……」
「そ、そんなことないよ……」
姉に褒められて、シグルーンは照れたようにうつむいた。
「ううん……本当にそう思ったのよ……。
その証拠に、姉様はあなたに今まで沢山助けられていたと思う……あの時も……」
「……そうかなぁ……?」
「本当よ」
それはベルヒルデの偽らざる気持ちだった。
(この子は……将来私よりも大きな存在になる……。
どんなことがあっても、この子は大丈夫なのかもしれない……)
そんなベルヒルデの直感は、単なる思い込みなのかもしれないが、小さな希望となった。
しかしそれでも、自身よりもはるかに重い宿命を、妹に背負わせてしまったことは間違いない。
だからせめて、妹にできることは全部しておきたいと、ベルヒルデは思う。
そして、今最もやらなければならないことは――、
(覚悟しなさいよ、邪悪な竜達……!
二度とこの国に、手出しなんかさせないから……!)
そんな強い決意を秘めたベルヒルデの表情を見たシグルーンは、不安そうに表情を曇らせた。
「姉様……また、戦うの……?」
「ん……そうね。
戦わなくてはならないわね……。
それも少し長くなりそう……」
「姉様…………」
「大丈夫よ、まだ先の話だから。
まずはあの人の戦いの決着が先ね」
「あの人……?
ああ、あのおじ……お兄さんのこと?」
姉の言う「あの人」が誰のことなのか分かららなかったのか、一瞬、怪訝そうに眉根を寄せたシグルーンであったが、ベーオルフの存在に思い当たると、安堵したように表情をほころばせた。
「あの人なら大丈夫だよ。
きっと何があってもね。
なんとなくだけど……」
「ええ、私もそう思うわ。
なんとなくだけど」
シグルーンの言葉にベルヒルデは同意し、微笑みを返した。
二人にとってこの「なんとなく」は、あまりハズレた試しがない。
「さあ……やっぱりもう少し寝ていなさい。
これからも色々大変だと思うから……」
今は2人とも落ち着いてはいるが、これから悲しみが押し寄せてくることもあるだろう。
休める時に休んでおいた方がいい。
憔悴していては、いずれ悲しみに耐えられなくなる。
「うん……」
シグルーンはモゾモゾとシーツの下に潜り込んだ。
「おやすみなさい、姉様」
「おやすみ、シグ……ちゃん」
ベルヒルデは妹の寝息が聞こえるまで、ベッドの傍らでその姿を眺めていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……ありがとう」
その言葉が誰のどのような行いに対してかけられたものなのか、それはベルヒルデ自身にも特定することができなかったが、おそらくはこの日の彼女に力を貸し与えてくれた全ての人々に向けられた言葉なのだろう。
だとすれば、彼女の目の前で眠る妹も、その1人であることは間違いなかった。
3年前に自身を必要としてくる者の為に生き続けることを決意したベルヒルデは、自らがまだ生きていても良いことを再確認する。
気がつくと目から涙が溢れていた。




