―解 放―
昨日は2回更新しています。
「悪いことは言わん。
俺が本気になる前に、その子を解放しろ。
もしもその子に何かあれば、お前達を一瞬で消す!」
ベーオルフから発せられた凄まじい威圧感が、竜達を襲った。
それを受けて、今まで無言でいた白い竜がおもむろに口を開く。
『……その娘を放してやれよ、リヴァイアサン』
「俺に指図するのか、ファーブニルよ?」
『指図……?
違うな、忠告だよ。
あいつは本気で怒らせない方がいいぜ?』
『ふふん、貴様、臆病風にでも吹かれたか?』
やはり今まで無言でいた異形の竜・ヴリトラは、嫌味ったらしい口調でファーブニルを嘲笑した。
『憶病だって?
こういうのは賢明って言うんだよ。
大体、大層な口をきいてるあんたは、あいつと真正面から勝負できるって言うのかよ?
リヴァイアサンに瀕死の傷を負わせたような奴だぜ?
そんな奴とあんたが戦えるってんなら、憶病者じゃないって認めてやるよ。
ま、無謀な大馬鹿野郎だってことも認定してやるけどな』
ファーブニルは強い皮肉を込めて、言葉を返す。
その挑発的な言葉に、ヴリトラは激怒した。
『ぬううぅ~!
たかだか、数百年しか生きていない小僧が、儂を愚弄する気かあっ!』
『事実を言ったまでだ。
大体、数百年しか生きていないっての関係無いだろう。
長く生きている方が偉いって思っているような年寄りなんて、俺は嫌いだね』
(な……なんなの……?)
ベルヒルデは2匹の竜の押し問答を、茫然と眺めていた。
どうやら、竜にも世代間の確執はあるらしい。
そんなことを彼女が意外に思っていた次の瞬間、その表情は恐怖に凍り付く。
天に向けて突き上げられたヴリトラの掌に、膨大な量の魔力が集中したのだ。
それは魔力を全く扱えないベルヒルデでさえも、ハッキリと感じ取れるほど強い力であり、その強すぎる力を長時間浴び続けるだけでも、生命の危機が生じると確信できるほどのものだった。
『うぬうぅぅ!
少々邪竜王様に気に入られているからといって、付け上がるなよ小僧!
良かろう!
たかが斬竜剣士1匹、この儂がすぐに葬り去ってくれようぞ!』
『あっ、馬鹿っ!?
やめろって!!』
そんなファーブニルの制止を振り切って、ヴリトラが攻撃に移ろうとした瞬間、その腕が前ぶれなく唐突に吹き飛ぶ。
『グオオォォッ!?』
『…………だから言ったのに』
ファーブニルはやれやれと、人間のように肩を器用に竦めた。
「一瞬で消すっていうのが、冗談だとでも思っているのか?
おかしな真似しないで、さっさとその子を解放しろ!」
衝撃波を放った体勢から剣を構え直しつつ、ベーオルフは竜達へと告げる。
『あの斬竜剣士は、ここにいる誰よりも巨大な力を持っている……。
万全な状態のリヴァイアサンならともかく、ヴリトラ、あんたじゃ完全に力負けだ。
ま、俺くらいの速力があれば、どうにかなるかもしれんがな』
『ぐうぅ……』
ファーブニルの言葉に、ヴリトラは悔しげに呻く。
そんな彼の吹き飛ばされた腕は、再生能力によって新たに形成されつつあり、さほどダメージを感じさせない。
しかし、ベーオルフと一戦交えようという気持ちは、彼の心から消え失せていた。
「……ここはファーブニルの言葉に、従うしかなさそうだな。
娘は解放しよう……。
ヴリトラ、転移魔法の用意をしろ」
『リヴァイアサン!?』
「仕方なかろう……。
これ以上奴に関わって、いらぬ怪我をしてもつまらぬしな。
この場にいた人間どもを喰らって多少は回復したが、俺もまだ奴と戦えるような状態では無いのだ」
『むう……』
ヴリトラはリヴァイアサンの言葉を受け、不承不承ながらも頷いた。
(これでは……一方的な敗走ではないか……。
だが……敗北を何よりも嫌うリヴァイアサンのことだ……。
このままでは済まさぬだろうよ……)
ヴリトラはリヴァイアサンの身体を抱えあげ、空中に舞い上がる。
「……何のつもりだ?」
眼差しが鋭くなったベーオルフの言葉に、リヴァイアサンは余裕の態度を崩さずに答える。
「こちらも身の安全が大事なのでな。
娘はギリギリまで放す訳にはいかん。
転移の準備が整い次第、娘を貴様に向けて放り投げる。
貴様がしかと受け止めてやらねば、床に激突死することになるな。
それに俺を攻撃しようにも、その攻撃の軌道上にはこの娘がいる。
どの道、この娘を見捨てなければ、貴様は何もできぬであろう?」
「なるほど……俺の動きを封じる訳か……。
いいだろう。
ただし、その子を解放しない内に、転移しようなどとは考えるなよ。
その気配が少しでもあれば問答無用で斬る!」
「良かろう……」
それから暫くの間、沈黙が続く。
ベーオルフは竜達から一瞬たりともも目を離さず、戦闘態勢を崩さない。
そしてベルヒルデは、祈るような気持ちで囚われの身のシグルーンを見つめていた。
また、シグルーンも涙に濡れた視線を、ベルヒルデへと送っている。
その表情は不安に彩られていたが、僅かに希望の色が浮かんでいた。
姉が来てくれた──その事実だけでも、今の彼女には大きな希望となっているのだ。
しかし――、
『用意はいいぞ、リヴァイアサン』
「うむ……。
さてファーブニルよ、貴様はどうする?」
『あ~、俺はまだ用があるからな……。
先に帰ってもいいぜ?』
「では……我々は早々にこの場から立ち去ることにしよう。
ほれ、約束通り娘は放そう。
しかと受けとめるが良い」
「きゃあっ!?」
リヴァイアサンは勢い良くシグルーンを放り投げた。
ベーオルフはシグルーンをしっかりと受け止めようと、床に剣を突き立てて自由になった両手を広げる。
「だが、無傷で解放するとは、一言も約束しておらん!」
リヴァイアサンの掌から水鉄砲の如く水流が噴き出した。
しかもただの水流ではない。
それは超高圧で圧縮されており、最早鋼鉄に穴を穿つほどの威力を伴っている。
それがシグルーンの背から胸へと突き抜け、更にはベーオルフの肩をも貫いた。
「がっ!?」
『リヴァイアサン、貴様ぁ!?』
『転移』
ファーブニルの怒号が辺りに響いた瞬間、その場からリヴァイアサンとヴリトラの姿は完全にかき消えていた。
シグルーンは辛うじてベーオルフに受け止められたが、床に降ろされても当然自らの足で立つことは叶わず、大量の血液を胸と背から溢れさせながら、力無く崩れ落ちる。
その光景をベルヒルデは茫然と眺めていた。
まるで彼女の時間だけが止まってしまったかのように、微動だにできない。
しかし徐々に唇をわななかせ、そして――、
「シグルーンっっ!!」
その日彼女が上げた何度目かの絶叫は、これまでで最も悲痛な響きだった。




