―承 前―
久しぶりに来た主役の出番です。
シグルーンは、かれこれ2時間以上も過去の話を語り続けていた。
だが、それでもその話には一向に終わりが見えず、いい加減に語り手も聞き手も疲れてきたので、「休憩を挟もう」ということになった。
そんな訳で、一同はシグルーンの書斎から応接室へと場所を移すことにした。
応接室にはさほど高級ではないようだが、デザインや色調のセンスが良い気品漂う調度品が並んでおり、こんな部屋にはほとんど縁の無い生活(主に野宿)を送ってきたザンは、「自分、場違いだな……」と、多少の居心地の悪さを感じる。
ザンがソファーに腰をかけると1分の時を待たずして、目の前のテーブルの上に紅茶とケーキが並べられた。
紅茶はまだしもケーキが常備されているらしいことに、「さすが領主様は金持ちだ……」と、彼女は感心するやら呆れるやらしていた。
それからやや暫くして、
「リザンちゃん、お茶はお口に合う?」
と、シグルーンは問う。
しかし「ケーキはお口に合う?」とは問わなかった。
それは幸せそうにケーキを食べているザンの姿を見れば、一目瞭然だった。
彼女は甘いものが大好きなのである。
「あ、ああ、はい」
ザンはあやふやな調子で答える。
正直言って、今すすっている紅茶の味が美味しいのかどうかは、よく分からなかった。
彼女にとってはお茶はお茶でしかなく、上等も下等も判別がつかないのだ。
しかし小さな地方領とはいえ、その実質的な領主であるシグルーンが入れた紅茶である。
おそらくはかなり高級な物なのだろう。
たぶん味覚の鋭いルーフが飲めば、絶賛したに違いない。
だが、ザンにとってはやっぱり只のお茶。
好きでも嫌いでもない。
「なんなら蜂蜜でもいれましょうか?
リザンちゃんは、甘いものが好きみたいだし。
きっと姉様に似たのねぇ」
「え? はい。
お願いします」
ザンは思わずそう口走ってから後悔した。
(すこしは遠慮しろよ、自分!)
赤面するザンの様子を見て、シグルーンはクスリと微笑む。
「蜂蜜はスプーン1杯でよろしいですよね?」
フラウヒルデは蜂蜜の入った器を戸棚から持って来て、ザンに確認を取る。
いや、その言葉には「1杯でやめておけ」と、言うニュアンスが強かった。
どうやら、「遠慮しろ」と言うことらしい。
礼節等については、母親よりもうるさそうだ。
「はい……」
本当は3杯くらい蜂蜜を入れてほしかったザンだったが、さすがにそれを口に出すほど神経は図太くない。
渋々と彼女は頷いた。
蜂蜜を紅茶に入れて片付けを終えたフラウヒルデは、再びシグルーンが座っているソファーの横で手を腰の後ろに組み、直立の姿勢で控える。
相変わらず彼女はその姿勢をほとんど崩さず、ある種の精神鍛錬を行っているつもりなのか、それともこれが彼女の素の状態であるのかは定かではないが、とにかく動かなかった。
それは意外と身体に負担をかけるものであり、なによりも精神的にもかなり辛い。
普通は長時間持続できるものではないはずだ。
それにも関わらず微動だにしないフラウヒルデの姿に、ザンは改めて驚かされた。
おそらく数時間後にも、全く変わらぬフラウヒルデの姿にまた驚かされるのではなかろうか。
たぶん守衛や不寝番をさせたら、彼女の右に出る者はおるまい。
ともかくフラウヒルデを例外とすれば、その場の雰囲気は概ね和やかであった。
ザンがこれほどのんびりとした時間を過ごすのは、随分と久しぶりのことだ。
こんな心地の良い時間がいつまでも続けばいいのに――と、ついつい彼女は思ってしまう。
しかし一方では、シグルーンの昔話の続きも気になって仕方がない。
彼女の語りは頻繁に脱線を繰り返し、なかなか本筋が進まなかったが、それでもザンにとっは今まで知らなかった母の身の上や、意外な一面などを知ることができたので、とても心躍るものがあった。
ザンは今日初めて、母が父を上回るほどの偉大な剣士であったという事実を知った。
それは母が一国の王女だったということ以上に、心底驚いた。
(あの邪竜王を倒した父さんよりも、剣術の腕が凄かったなんて……)
なんだかちょっと信じがたい気分だ。
が、今にしてみれば思い当たる節もある。
(そういえば喧嘩したら、ほとんど母様が勝っていたしなあ……)
父があまりにも強過ぎるが故に、か弱い人間の母へと本気を出すことができなかったというのもあるのだろうが、それでも母が劣勢に回ったところをザンは見た記憶が無かった。
今頃になって「やっぱりあの人ちょっとおかしい」と思わないでもない。
それはさておいて、シグルーンの昔話に話題を戻すと、それはあたかも神話や伝承のように、物語としても純粋に楽しめるものであった。
いや、彼女の語ったことの一部は実際にこのアースガル領において、伝承として人々の間で語り継がれているらしい。
ハッキリ言って、ザンは感動していた。こんな風に彼女が伝承等に聞き入ったのは、実に幼少の時以来である。
しかも物語の登場人物が実の両親に叔母──と、彼女の身内ばかりなのだから、その感慨は他の者には知ることのできないものだろう。




