―火蜥蜴の死―
ベルヒルデが放った奥義は、火蜥蜴に対して常軌を逸したと言っても過言ではないレベルの傷を負わせた。
だが彼女もまた、自ら放ったはずの技の反動によって、大きく弾き飛ばされていた。
そんな彼女の手には、「ラインの黄金」の姿は無い。
技の威力に耐え切れず、粉々に砕け散ってしまったのだ。
勿論それを手にしていたベルヒルデの腕もズタズタとなり、全体がを紅く染まっていた。
また、限界以上の力を出した結果、身体中の筋肉組織にも深刻なダメージを受けていた。
もう武器も無ければ、倒れ臥したままで立ち上がることも困難なほど、ベルヒルデの肉体は傷ついている。
最早戦うことなど不可能だった。
いや、一生かけてもその傷を完全に回復できるかどうか、それすらも怪しい状態だった。
少なくとも早急に治癒魔法を施さなければ、腕には機能障害が確実に残るだろう。
つまり、この時点でベルヒルデの敗北は決した。
そう、火蜥蜴はまだ生きていた。
彼の受けた傷は決して浅くはない。
胸部の皮膚と肉と、更には肋骨の一部までもが吹き飛び、傷ついた臓器を露出させている。
また、首や頭部の一部も似たような状態になっていた。
これではいかに竜の再生能力をもってしても、その傷を完全に癒やすことは難しいかもしれない。
そしてその傷が元で、命を落とすことも十分に有り得る。
だが、それはまだまだ先の話だ。
今現在はまだ再生能力が生きており、その傷を癒やし続けている。
この再生能力を使い果たし、その上でまだ致命傷を癒やし切れなかった時に初めて、火蜥蜴は生命の危機に陥る。
それまでは戦闘が可能であり、今のベルヒルデにトドメを刺すことは造作もない。
『クオォォ……。
人間如きが、こ、ここまで……。
こ、これが変形前の身体であったのならば、ひとたまりも無かったやもしれぬ……。
さ、先程は「称賛に値する」などと、貴様の能力を評したが……訂正しよう。
その強さは「尊敬」に値する……!
……おそらく、永い人間の歴史の上でも、貴様を上回る者は数人とおるまい……。
ククククク……実に面白く、希有なものを見せてもらった。
思っていたよりもはるかに楽しめた。
今日の戦いは、我が生が続く限り憶えておこう。
そのことを貴様は誇りに思いながら逝くがよい!』
火蜥蜴の口腔から光が漏れだした。
そこには凄まじい熱量が集中している。
火炎息――。
今までの突発的な炎の放射とは違う。
ベルヒルデがまともに動けないのをいいことに、火蜥蜴は時間をかけて莫大な量の熱エネルギーを生成していた。
おそらく一度火炎息を吐き出せば、この船着き場の空間内は全て炎に包まれるだろう。
そうなれば最早ベルヒルデには逃げようがない。
しかし、それでもベルヒルデは立ち上がる。
最後の最期まで可能性がある限り諦めない。
それが彼女の信条だ。
とは言え、彼女は立ち上がるだけで精一杯だった。
再び倒れそうになるのを必死で堪える。
「クッ……。
さ、さすがに……弱気になっちゃいそうだわ……。
もう……駄目かしら……?」
ベルヒルデの目に悔し涙が滲んでいた。
もうすぐ彼女は命を失うことになるだろう。
だが、それが悔しいのではない。
戦いの中に身を置く以上、いずれは自身に死が訪れることを覚悟していた。
ただ、もう誰も救えなくなることが悔しいのだ。
このまま火蜥蜴を野放しにすれば、未だに竜と戦っているはずの騎士達や、避難している住民、そして兄や妹――それらの人々にも自身と同じ運命が訪れるのかもしれない。
そう思うと、ベルヒルデは目の前が暗くなるのを感じた。
そんなベルヒルデの様子に、火蜥蜴はその爬虫類的で表情が乏しいはずの顔に、確かな笑みを浮かべる。
それは勝利を確信したが故なのか、彼女の悔しがる姿が純粋に楽しいのか、それともこれから始まるであろう新たな殺戮への期待と喜びに打ち震えているが故なのか──。
いずれにせよ、ベルヒルデはその笑みに吐き気を催した。
彼女がこれほどまでに悪意に満ちた笑みを見たのは、生まれて初めてでり、改めて竜という存在の邪悪さを、思い知らされた気分だった。
『さあ……もうそろそろ死ぬか?
貴様の素晴らしい戦いぶりに免じて、苦しまず一瞬で終わらせてやろう。
慈悲深いであろう?
クックックック……』
(何が慈悲深いよ、このトカゲ……。
神様か何かにでもなったつもりかしら?)
ベルヒルデが口の中で毒づいた瞬間、火蜥蜴は「ドン」という大砲の発射音が如き爆音を発し、火炎息を吐き出した。
灼熱の炎は線を描き、彼女目掛けて突き進む。
彼女にはその炎の動きが緩慢に見えた。
どうやら脳内の色々な物質が、大量に分泌されているらしい。
が、全くありがたくない。
これが五体満足な状態ならば、炎を躱すことに大いに役立ち、水路に飛び込むなどすれば、まだ辛うじて生き残れる可能性が出てくる。
だが現状では、その身体は全く動かず、「頭に直撃」なコースを辿ってじわじわと迫り来る炎を見続けることしかできなかった。
それどころか、なにやら過去の楽しかった思い出とかが、走馬灯のようにベルヒルデの脳裏に閃いた。
(いやああああぁ~っ、こんな縁起でもないもの、見たくない~っ!)
さすがのベルヒルデも悲鳴を上げかけたその時、彼女の視界を何か黒い影が遮る。
炎の動きが緩慢に見えているにも関わらず、その影だけはかなりのスピードで動いているように見えた。
(えあ?)
影は手にしていた人の身の丈ほどもある大剣で火蜥蜴の火炎息を弾き、霧散させる。
そしてそのまま火蜥蜴に向かって疾走し、剣を勢い良く振った。
直後、「ザゴン!」と、とても斬撃から生じたとは思えない音が轟く。
(なあっ!?)
剣のたった一振りで、火蜥蜴は脳天から真っ二つに裂けた。
もう再生能力も関係無い。
どう見ても即死だった。
あまりのことに、ベルヒルデはヘナヘナと床にへたり込み、そのまま突っ伏した。
(む……無茶苦茶だ……!)
「おいおい……大丈夫かぁ?」
火蜥蜴の絶命を確認した後、心配そうに声をかけてきたのは、今朝がた湖で拾ってきた男――ベーオルフであった。
(わ……私が、命懸けで倒せなかった奴を……。
あっさりと、い、一撃……で)
ベルヒルデはなんだか悔しかったので、ベーオルフの呼びかけには、返事をしないと心に誓った。




