―限界を超えて―
『ふむ……良い表情だ。
決死の覚悟というものができたのかね?』
火蜥蜴は嗤う。
絶対的な余裕があるからこその笑みだ。
「……決死のつもりは……無いわよ。
仲間を助けに行けなくなるもの……」
(ふふ……。
とは言え、命を惜しんで勝てる相手ではないのかもね……)
最早笑うしかない状況だった。
あまりにも絶望的な状況の所為か、既に死を恐れる感情などは麻痺しかけている。
そうでなければとても戦えない。
だが、そればかりでもないのかもしれない。
ベルヒルデは、不思議と心が昂揚するのを感じていた。
『我に勝つつもりかよ?
まあ良い……少しだけ本気を出してやる。
貴様は全力をもって応えるがいい!』
火蜥蜴は唐突に、ベルヒルデ目掛けて突進を始めた。
巨大化した肉体の所為か、明らかに先程よりも動きが鈍い。
しかしその巨体から発せられる圧倒的なまでの威圧感は、以前の数倍以上に膨れ上がっていた。
おそらく、その巨体から繰り出される攻撃の全ては、まともに食らえば致命傷を免れないだろう。
火蜥蜴が振り回した腕がベルヒルデを襲う――が、それは素早い彼女を捉えられるほどの物ではなかった。
しかしそれにも関わらず、彼女の身体はわずかによろめくこととなる。
激しく振られた火蜥蜴の巨大な腕が風圧を生じさせ、彼女はそれに煽られたのだ。
(うわっ、ギリギリで避けちゃ駄目だわ!)
それでも致命的なまでには体勢を崩さなかったベルヒルデは、すぐさま反撃に転じた。
「ハアッ!」
『グオッ!?』
ベルヒルデの放った剣の一撃は火蜥蜴の皮膚を斬り裂いた。
しかし、彼女がその為に支払った代償も小さくはない。
「くうぅっ!」
ベルヒルデの腕に衝撃が走る。
硬質な竜の皮膚を、手加減無しに斬りつけたのだ。
その反動は凄まじいものだった。
腕が痺れるどころではない。
その衝撃により微細な血管がいくつも破裂し、内出血を起こしている。
だが、そんなことを気にしてはいられない。
そこまでしなければ、竜にダメージを与えることができないのだ。
最早、五体満足で勝利できるような甘い状況ではない。
腕の1、2本、いや持てる全てを捨ててまでして戦い、ようやく生だけが拾える――そんな状況だった。
しかし火蜥蜴は、そんなベルヒルデの捨て身とも言える攻撃を嘲笑った。
『クククク……素晴らしい。
人間如きが我が身体を斬り裂くか。
しかしその程度では、まだまだ痒い』
火蜥蜴の受けた傷は次々と再生し、塞がっていく。
「くっ!」
さすがのベルヒルデも、気勢が僅かに衰えた。
その瞬間を狙い、火蜥蜴は大きく開らいた顎で彼女に襲いかかる。
後方に跳躍してその攻撃をやりすごす彼女であったが、火蜥蜴は間断無く攻め続けた。
『火球撃!!』
火蜥蜴のその声と共に、生じた数十個もの拳大の火球は、ベルヒルデ目掛けて宙を疾駆する。
彼女は迫り来る無数の火球を、次々と剣で弾き飛ばした。
しかしそれでも、火球のいくつかは彼女の身体にかする。
いや、ベルヒルデが防御に徹していれば、火球の全てを防ぐことも不可能ではなかっただろう。
だが彼女は、剣で火球を弾いた時の衝撃から、急所にさえ直撃しなければ致命傷にはならないだろうと判断し、ある試みの為に防御には徹せず、火球を命中するに任せた。
「行けぇ!」
『!?』
ベルヒルデは、火球の幾つかを火蜥蜴に向けて打ち返した。
しかも正確に隙間――つまり、眼球を狙ってである。
火球はベルヒルデの狙い通り、寸分のズレも無く火蜥蜴の両目直撃した。
さすがにそのダメージは軽微だろうが、それでも一時的な視力の喪失は、この戦いの中にあっては大きな隙となる。
(今……だっ!)
ベルヒルデは常軌を逸したスピードで、無数の斬撃を繰り出した。
「百花撩乱無間斬舞」――これもまた、彼女が持つ奥義の1つである。
それは火蜥蜴の肉体を一時も止まることなく、まるで舞うかのように間断無く斬り刻み続ける。
辺りには火蜥蜴の血が、散りゆく花弁のように舞い広がった。
『グアァァァァーッ!?』
「ぐっ!?」
火蜥蜴は堪らずに、その巨体を目茶苦茶に暴れさせた。
それはそれだけで圧倒的な破壊を伴い、攻撃の為に密着していたベルヒルデの身体を大きく弾き飛ばす。
だが、壁に激突して倒れたベルヒルデではあったが、彼女はすぐさま起き上がる。
しかしそれは、ダメージが無かったからではない。
そのまま寝続けていれば、火蜥蜴からの追撃を受けかねないからだ。
「……か、かすっただけで、このダメージはきついわね……!」
胸に激痛を感じる。
少なくとも肋骨にヒビくらいは入っているだろう。
しかも壁に衝突した際に、打撲も何カ所か負っているようだ。
それでも立ち上がって戦わなければ、一方的に負ける。
そう、一方的にだ。
火蜥蜴はまたしても、恐るべきスピードで今しがた受けた傷を再生させており、実質的に無傷であった。
『ククククク……正直、貴様がここまでやるとは思わなんだ。
まだまだこの戦い、楽しませてくれるのかな?
次はどんな芸を見せてくれるのだ?』
火蜥蜴はまだまだ余裕を見せていた。
先程の傷は、たとえ竜とて放っておけば致命傷となり得る。
しかし、それすらもその再生能力は瞬時に癒やしてしまうのだ。
これではベルヒルデがいくら技を繰り出そうとも、切りがない。
いや、さすがに竜の再生能力でも、いずれは限界が来る。
だがこのままでは、ベルヒルデの方が先に力尽きる。
それは間違いなかった。
事実、先程の攻撃でベルヒルデの腕の内出血は更に悪化しており、剣を持てなくなるのも時間の問題だった。
常人ならば、もう動かすことすら難しいかもしれない。
それ以前に、剣の方が限界に近づきつつある。
今まで刃こぼれ1つしたことの無い「ラインの黄金」の刃は、既にボロボロだ。
(やっぱり……一撃で倒さなくては駄目だ……)
だが、ベルヒルデに残された手段は多くない。
先程と同様に、火蜥蜴の目に剣を突き入れる方法はもう使えないだろう。
確かにあの方法は、火蜥蜴にかなりのダメージを負わせたはずだ。
しかしだからこそ、何度も同じ手を食らってはくれない。
必ず警戒している。
しかも火蜥蜴の身体は、出現時と比べると1.5倍近く巨大化していた。
頭部もまた然りで、おそらく肉の層は更に厚くなり、今度は剣が脳にまで届かない可能性が高い。
届いたところで、また再生されては意味が無いのだ。
結局のところ、ベルヒルデに選択できる手段はただ1つ。
自らの持つ最大最強の技を、全身全霊を込めて叩きつける。
それで火蜥蜴の命を、再生させる間も無く断つことができれば、彼女の勝ちだ。
ただしそれを使えば、ベルヒルデにはもう戦う余力は残らないだろう。
つまりそれが、彼女が持つ最後の手段だった。




