―火蜥蜴との遭遇―
戦乙女騎士団による迅速な避難誘導によって、住民の城への避難はほぼ完了していた。
勿論、老人や病人などの移動に手間取りそうな者達もいた為、簡単な作業ではなかったが、彼らを城に近い集会場にあらかじめ待機させておき、馬車でまとめて移動させたので、なんとか竜が攻撃を始める前に避難作業を終えることができたのである。
ただし例外もある。
城から遠く離れた場所に住む者達はどうしても城への避難は間に合わないので、自宅の地下室など、竜に発見されにくい場所で待機するようにと指示がなされている。
竜が集中的に狙うのは城だろうという予測から、むしろ城から離れていた方が安全だという判断だろう。
そんな訳で、避難についてはもうあれこれと心配する必要は無さそうだ。
差し当たっての問題は防衛の準備だが、それも既に整いつつあった。
騎士団の面々はそれぞれの持ち場に集結し、門に結界を施し終えた魔術士達が、騎士達の装備に攻撃力や防御力を上昇させる為の呪文を施していた。
その時、唐突に城の上空から衝突音が響き渡る。
どうやら1匹の竜が、結界に体当たりをしたようだ。
しかし竜の体当たりですらも、結界を破壊するには至らなかった。
城に備え付けられた結界装置は、常日頃から大気中に含まれる微かな魔力を蓄え、それを増幅することによって、人間の魔術士が形成する結界よりもはるかに堅牢な物を生み出すことができる。
しかも外部からの転移魔法による侵入も許さず、更には数ヶ月もの長期間に亘って結界を維持することも可能だ。
いかに竜とはいえども、簡単にこの結界を破ることはできないだろう。
「…………結界は大丈夫なようね」
ベルヒルデはホッと胸を撫で下ろした。
しかし表情はすぐに引き締められ、いかなる事態にも対応できるように気を配る。
「水路へ繋がる扉への結界を施し終わりました。
何事もなければ半日は維持されるはずです……」
ベルヒルデに報告を終えた老齢の魔術士は、次の指示を待たずに彼女へと防御呪文を施し始めた。
「ありがとう、ホズ。
ところで、シグルーンはどうしているのか分かる?」
「シグルーン様は、王座の間で国王陛下と一緒におられるはずです。
あそこは結界装置の制御中枢……最も守りが強力な場所ですから、よほどのことが無い限り安全でしょう」
「そう……」
ベルヒルデは安堵の溜め息を吐く。
そんな彼女の様子を見たホズと呼ばれた魔術士は、
(妹御のことになられると、相変わらずですな……)
と思う。
しかしだからこそホズは、ベルヒルデに忠誠を誓えるし、信頼もしている。
そもそも王族というものは、権力の座を巡って肉親同士で骨肉の争いを演じることも、そう珍しいことではない。
少なくとも、策謀と悪意が飛びかうのが当たり前の世界に生きている。
結果、王族や貴族などの高い地位を持つ者達は、まるで一般の平民達とは人種が違うかのように、精神構造までもが異質な者も多い。
しかしベルヒルデは、王族でありながらも家族を最も愛し、また、身分の低い者も自らと同等の存在として扱う。
楽しい時には笑い、悲しい時には泣く――極々当たり前の普通の人間と変わらない感覚を持っていた。
だからこそアースガルの者達は、王族としてのベルヒルデを畏敬の対象としながらも、その一方では同等の「仲間」として信頼している。
一言で言ってしまえば、皆ベルヒルデのことが好きなのだ。
「……ベルヒルデ様も、あまり無理はなさらぬよう……。
確かにこの国で一番竜と戦えるのは、あなたなのかもしれない。
しかしあなたの身にもしものことがあれば、皆が悲しみます故……」
「そうね……心しておくわ。
でも、あなた達も無理をしちゃ駄目よ。
もしもの時は国のことなんか考えなくてもいいから、仲間や避難民、そして自分自身が生き残ることを最優先にしてね。
私も皆に何かあったら悲しいもの……」
「はい……皆にはそう伝えましょう。
おそらく士気が上がるでしょうな」
ホズはわずかに目を潤ませる。
アスーガル王族の末席に名を連ねているが故に、ベルヒルデを生まれた時から見知っている彼にとって、先程の皆を労る彼女の言葉は、人間としての成長を感じさせて感涙するに値した。
(本当に立派になられた……)
そんな老魔術士の心情を察したのか、ベルヒルデは少し顔を赤らめて、照れた様子を見せた。
「ああ、施術はもういいわよ。
他の人達の支援に回ってあげて」
「はいそれでは……御武運を祈念しております」
「ありがとう……ホズ」
老魔術士が姿を消した後、ベルヒルデは神経を鋭敏に研ぎ澄ませていた。
先程から竜が結界を攻撃したことによる衝撃音が幾度か聞こえてきたが、周囲は今、静寂に包まれている。
(そろそろ本格的に来るわね……)
この静寂は、竜が攻撃の方針を変更したが故のものだろう。
ならば次は、結界の穴を狙ってくるはずだ。
ベルヒルデは船着き場に係留してある数隻の小舟を見遣り、そして次に船着き場と城外への水路とを隔てている鋼鉄製の扉へと目を移した。
ホズによって施された膜状の結界には、まだ異常は見られない。
だが、扉に隣接する水面には、わずかながらも不自然な形で波紋が広がっていた。
明らかに水門の外側から、何らかの力が加わっている証拠だ。
「!!」
扉の正面に位置する場所に立っていたベルヒルデは、慌てて横へと跳び退いた。
そのすぐ後を超高熱の紅い光の帯が、一直線に通り過ぎる。
(あ……危なかったー!
水面の異変に気付かなかったら、死んでたかも……)
ベルヒルデはその鋭い洞察力で危機は脱したものの、これから相対する敵の強大さを改めて思い知らされ、慄然とするしかなかった。
「まさか……こんな瞬間的に結界を破られるとは、思ってもいなかったわ……」
扉を覆っていたはずの結界は跡形もなく消え失せ、金属製の扉には円形に巨大な穴が穿たれていた。
その縁はまだ紅く燃えている。
(これが噂に聞く、竜の火炎息なの……?
なんて威力…………!!)
『ゴカアァァ…………』
「っ!!」
扉に穿たれた穴の向こう側から、何か獣じみた唸り声が響く。
熊などの大型の獣のものとは違う。
この唸り声の主がそれよりもはるかに巨大な者であることは、その声量と含まれている威圧感の大きさが物語っていた。
暫くして、扉の穴からスルリと滑り込むように、宙を泳いで侵入してきたのは1匹の竜だった。
ベルヒルデは知らなかったが、火蜥蜴と呼ばれる中位の竜族である。
ホズは北欧神話ではオーディンの子とされていますが、本作ではアースガル王家の血筋で公爵、そして宮廷魔術士という立場ですね。
そういえば、週刊連載している『おかあさんがいつも一緒』が、日間コメディー〔文芸〕ランキング で58位になりました。本当にありがとうございました。




