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―夕日に染まる街―

 アースガルは(あか)く染まっていた。

 夕日は血のように紅く、それに照らされた風景の全ても同様に紅い。

 まるで凶事の前兆のようでもあった。

 

「嫌な空……」

 

 城下町の一角を警備していた馬上のベルヒルデは、不安げに表情を曇らせる。

 本来の夕暮れ時は、仕事を終えた職人達が酒場へと繰り出し、主婦達は夕食の準備に勤しむ――そんな人々の活気で街が包まれているはずだったが、周囲には人の気配は無く、ただパカパカとベルヒルデが乗る馬の(ひづめ)と、舗装された路面とがぶつかり合う音が聞こえるのみだ。

 

 普段ならば雑踏の喧騒によってかき消される音が、周囲に響き渡ることで、静寂をより引き立たせている。

 街の住人達は、国王から突然発令された戒厳令によって、皆自宅に閉じこもって息を殺しているのだろう。

 深夜でもないのに人気が無い街はなんとも不気味で、まるで廃墟であるかのような印象を受けた。

 

「あれっ?」

 

 ベルヒルデが暫く道を進むと、路地を歩む人影があることに気がついた。

 しかも、見覚えがある。

 

「ちょっと、あなた! 

 ここで何やっているのよ!?」

 

「よお、さっきぶり」


 緊張感の無い調子でされてもいない挨拶を返したのは、今朝方に湖で拾ってきた男――ベーオルフであった。

 ここに至ってようやくベルヒルデは、この男と同じ部屋に妹を置き去りにしていたことを思い出して蒼白となる。

 

「あ……あなた、妹に変なことしていないでしょうね……!?」

 

「ああん? 何もしてねぇよ。

 人を性犯罪者扱いしないでくれ。

 お前の妹なら、勝手に部屋から出ていったぞ」

 

「本当に? 

 そう……良かったわ。

 シグちゃんはすっごく可愛いから、変なおじさんに誘拐されてないか、心配しちゃった」

 

 ベルヒルデはホッと胸を撫で下ろした。

 

「おじ……この姉妹は……!」

 

 またもや「おじさん」と言われて、ちょっぴり傷ついたベーオルフであった。

 

「とにかく、今後も私のシグちゃんに何かしたら、ただじゃ済まさないから、よく憶えておきなさいよ!」

 

(これ……姉馬鹿って言うのか?)

 

 ベーオルフは過剰に妹を可愛がるベルヒルデの様子にそんなことを思ったが、そう遠くない未来にこれを上回る彼女の親馬鹿ぶりを見ることになろうとは、この時の彼には知る由も無い。

 

「そんなことより、街中をうろついていたら駄目じゃないの。

 他の騎士に見つかったら不審人物として捕まるわよ」


 事実、今はこの場にいないが、避難誘導を担当している戦乙女騎士団の面々は、街の各所で警備をしているはずだ。

 ベーオルフのような鎧で武装した不審人物を発見したら、まず間違い無く捕縛するだろう。

 可能かどうかは別として、それが騎士の職務だ。

 

「すまんな。

 ちょっと街に竜が入り込んでいないか、捜してたんだよ。

 だが、気配を消してるのか、全然分からねーな」

 

 あまり悪びれた様子も無いベーオルフの言葉に、ベルヒルデは呆れ顔でツッコミを入れる。

 

「何言ってるのよ? 

 竜みたいに大きな生き物が、こんな街中に入り込んだらすぐに分かるでしょーが」

 

「ああ、お前は知らねーのか。

 竜は人に化けるぜ?」

 

「ええっ、嘘っ!?」

 

「まあ、竜の全種族の中でも、人に化けるほどの能力を持つ奴なんて、精々10個体もいるかいないかだろうから、知らないのも無理ないか。

 とにかく、街か山のどちらに潜んでいるのかは、実際にあいつが動いてくれないと分かりそうにもないな……」

 

「…………」

 

 ベルヒルデは怪訝な表情で、マジマジとベーオルフの顔を見つめた。

 

「あなた、本当に一体何者なの? 

 竜について妙に詳しいし、あまっさえ戦うとか、どう考えても普通の人間じゃないでしょ」

 

「……さあな。

 俺も上から『邪竜と戦え』って言われているだけで、それ以外は俺自身のことさえよく分からねえしな……」

 

「なによ、それ……」

 

 ベルヒルデはベーオルフが真相をはぐらかそうとして、適当なことを言っているのではないかと思い、不満げに口元を歪める。

 しかし実際には、彼の言葉に嘘は無かった。

 

「なにせ、俺には2~3年前より以前の記憶が、殆ど無いんだからな……」

 

「え、何!? 

 あなた、記憶喪失ってやつなの?」

 

 頭部に強い衝撃を受けるなどの原因で、記憶を失うという症例があることはベルヒルデも知ってはいるが、実際にその患者を診るのは初めてだった。

 

「記憶喪失……どうかな? 

 実際には意図的に記憶を封じられた……って感じだけどな。

 上の連中も『邪竜と戦うのに、人間の記憶や感情は必要無い』って言ってたし。

 実際、俺の仲間もそういう連中が殆どだぜ。

 あいつら、いつもムスッとした冷静沈着顔で、つまんねーったらありゃしねぇ」

 

「……なにその、うちの兄様……」

 

 ベルヒルデはベーオルフの半ば愚痴と化した話を、ポカンとして聞いている。

 彼の言っていることの実状はよく分からないが、やはりとんでもない身の上の人間であることだけは確信できた。

 

「でも、なんだな。

 考えてみれば、こうやって普通の人間と会話するのは、随分と久しぶりだ。

 やっぱりお前みたいな奴と話す方が、面白いな」

 

(……ま、そんなに悪い人間でもなさそうだから、深く詮索しないで置こうかしら……)

 

 楽しげな様子のベーオルフの姿を見て、ベルヒルデはわずかに心を(なご)ませた。

 が、すぐに国の非常事態であることを思い出し、気を引き締めようとしたその瞬間――、

 

「!?」


 突然、辺りの空気が緊迫する。

 それに驚いたのか、ベルヒルデが乗っていた馬が暴れ出しそうな気配を見せたので、彼女は慌てて馬を(なだ)めた。

 

「一体どうしたのよ!?」

 

 そのその言葉は馬に対してではなく、ベーオルフへと向けられたものだった。

 この緊迫した空気が、明らかに彼から発せられたものであったからだ。

 先ほどまでの彼が持っていた、何処か人を安心させる雰囲気とは、完全に異質なものだった。


 それはまさに、殺気と怒気に満ちあふれているかのような、触れる物を斬り裂くのではないかと思えるほど、鋭い空気であった。

 

奴ら()が来たぜ……!」

 

 それは、この地に絶望が降りてくることの合図だった。

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