―銀狼姫の覚悟―
「しかしそれでは……王妹殿下は……?
いえ、もう1つ疑問に思ったことがあるのですが……。
結界にはもう一ヶ所、穴があるはずではありませんか?」
騎士の1人が、おずおずと意見を述べた。
ベルヒルデは殆ど間違いというものを犯さないので、彼女に意見することをなんとなく躊躇っている様子だ。
だが実際に結界の穴は、表城門と裏門の他にもう一ヶ所存在する。
それはキラウェア河の水路へと繋がる、小さな船着き場であった。
その船着き場は非常事態にそなえて、王族などの要人をここから船で、あるいは魔術によって水中から逃がす為のものだ。
しかしベルヒルデは、別にその船着き場の存在を見落としている訳ではない。
「まさか王妹殿下……?」
「そこは……私が守ります」
「そんな、王妹殿下が独りで、ですか!?」
ベルヒルデの言葉に、騎士達は一斉にどよめいた。
彼女が独りで船着き場を防衛するという話には、特に戦乙女騎士団の者を始めとする、彼女と親しい者達がかなり強い調子で異論の声を上げる。
「無茶です!
いくら王妹殿下でも、たった独りで竜と戦うなんてっ!!」
どうもベルヒルデが独りで門を守るのをいいことに、人知れず逃走する可能性を皆は考えつかなかったらしい。
全員、本気でベルヒルデのことを心配しており、なかなかの人徳である。
「無茶……そうかしら?
あそこは狭いから、一度に侵入できるのは精々1匹くらいのはず……。
それくらいなら私だけでも、なんとかなると思うのだけどね」
「しかし……っ!」
「みんなの言いたいことは分かるけど、正直言ってこれ以上戦力を分散させる余裕は無いと思うの。
それに……私は本気で、この『ラインの黄金』を振るうつもりだから……!」
本気で剣を振るう──ベルヒルデがやや躊躇ためらいがちに発したその言葉に、幾人もの騎士がハッとしたように息を飲み、沈黙する。
彼らがベルヒルデを見る目は、まるで畏怖しているかのようだ。
いや、実際にそうなのだろう。
それにつられて、他の者達も口を噤む。
会議室の中は、張りつめたような静寂に支配された。
そんな場の雰囲気に居心地の悪さを感じたベルヒルデは、その静寂を破る。
「……異論はないわね?
いえ、あったところで、私には考えを変えるつもりは無いから無駄よ。
……まあ、そういう訳だから、皆よろしくお願いね。
早急に全団員を招集して、準備に取りかかるように。
以上、これにて軍議は終了。
解散して良し!」
とりあえず伝えなければならないことだけを伝え、ベルヒルデは早々に会議を打ち切る。
今の彼女には、のんびりとしていられるような時間の余裕が無かった。
しかしそれでも、最後にはゆっくりと騎士達の顔を見回す。
(……もし本当に竜が現れたら、果たしてこの中の何人と再会できるのかしらね……)
と、ベルヒルデは憂鬱となる。
ひょっとしたら彼らの顔は、これが見納めになるかもしれない。
いざ戦いとなれば、間違いなく犠牲者は出るだろう。
相手は恐るべき戦闘能力を持つ竜なのだ。
もしかしたらここにいる全員が、命を落としてしまうことも十分にありえた。
だからベルヒルデは、それが縁起でもない行為だと思いつつも、騎士達の顔の1つ1つを決して忘れないように、強く心へと焼きつける。
そしてベルヒルデは強い決意の表情を作り、会議室を退室していった。
(今度もこの国を守り切ってみせる……!!)
ベルヒルデの退室後、会議室に取り残された者達は黙りこくっていたが、やがて1人の若い騎士が、思い切ったように口を開く。
「な……なんだったのですか?
先ほどは皆さんが、急に発言をやめてしまって……?
本当に王妹殿下を独りで、竜と戦わせるつもりなんですか?
いくらなんでも無茶ですよ!」
そんな彼の言葉に、いくつもの同意の声が上がった。
しかし不思議なことに、その声を上げた者達の殆どは若年の者達であった。
戦乙女騎士団の者に至っては、全員だと言ってもいい。
そんな彼らの声に、1人の壮年の騎士は答えた。
「そうか……お前達は3年前の、帝国との戦いには参加してなかったのだな。
ベルヒルデ様は『本気で剣を振るう』と言った。
これがどういうことだか分かるか?」
「い……いえ」
「あの御方の『本気』というのは、たぶんお前たち全員の想像をはるかに超えておられる。
……3年前のクラハサードとの戦いで見せたベルヒルデ様の戦いぶりは、人間のものとは思えなかった……。
信じられるか?
100人以上いる敵部隊を、ベルヒルデ様独りで、しかも10分……いや数分足らずで壊滅させたと言ったら……」
「ひゃ、100人を数分で!?」
驚愕の声が騎士達の間から上がった。
だが、それも当然のことだろう。
もしもベルヒルデが100人の人間を倒す為に、10分の時間を要したと仮定しても、1人をあたりの対戦時間はわずか6秒そこそこということになる。
しかも実際には更に短い。
魔術を使用したのならばともかく、剣術のみでそれを実現する為には、烈風刃などの剣術の奥義と呼ばれる高等な技を、連続使用しなければまず不可能だろう。
しかし奥義とよばれるほどの大技は体力の消耗も激しく、通常は連発できるような代物ではない。
だが、彼女はそれをやってのけたというのだ。
「そんな……まさか……」
「いや、事実だよ。
まあ、直接見た者でなければ信じられないのも、無理からぬことだとは思うがね……。
あの時のベルヒルデ様はまるで嵐だった。
下手に加勢に加わろうものなら、我々とて巻き込まれて命はなかったかもしれない。
つまり、我々がいては、全力で戦えないということなのだろうな。
かえって足手まといなのさ。
……あの御方の『本気』とは、そういうことを意味しているんだ……」
「……………………!!」
衝撃の事実を告げられ、その後は誰も口を開かない。
ただ、互いの顔を見合わせて、複雑な心境を分かち合うだけだった。
 




